スター・ウォーズ 最後のジェダイ
(原題:Star Wars: The Last Jedi 2017年/アメリカ 152分)
監督・脚本/ライアン・ジョンソン 製作/キャスリーン・ケネディ、ラム・バーグマン 製作総指揮/J・J・エイブラムス、トム・カーノウスキー、ジェイソン・マクガトリン 撮影/スティーブ・イェドリン 美術/リック・ハインリクス 衣装/マイケル・カプラン 編集/ボブ・ダクセイ 音楽/ジョン・ウィリアムズ
出演/デイジー・リドリー、ジョン・ボヤーガ、アダム・ドライバー、オスカー・アイザック、マーク・ハミル、キャリー・フィッシャー、ルピタ・ニョンゴ、アンディ・サーキス、ドーナル・グリーソン、アンソニー・ダニエルズ、グウェンドリン・クリスティー、ケリー・マリー・トラン、ローラ・ダーン、ベニチオ・デル・トロ
■概要とあらすじ
「スター・ウォーズ」の10年ぶりの新作として大ヒットを記録した「スター・ウォーズ フォースの覚醒」に続くシリーズ作品で、伝説のジェダイの騎士ルーク・スカイウォーカーを探し当てた主人公レイがたどる、新たな物語が描かれる。前作で「スター・ウォーズ」の新たな主人公レイに大抜てきされ一躍注目を集めたデイジー・リドリーのほか、ストームトルーパーの脱走兵フィンを演じるジョン・ボヤーガ、ダースベイダーを受け継ぐカイロ・レン役のアダム・ドライバー、そしてルーク・スカイウォーカー役のマーク・ハミル、2016年12月に急逝したレイア・オーガナ役のキャリー・フィッシャーらおなじみのキャストが出演。監督・脚本は「BRICK ブリック」「LOOPER ルーパー」などで頭角を現したライアン・ジョンソンが担当した。(映画.comより)
愛とはときに厄介なもの
エピソードVIIにあたる
『スター・ウォーズ フォースの覚醒』が
同窓会的馴れ合いに終始し、
ニューキャラクターの登場に期待したものの、
結局また親子げんかかい! とげんなりしたので、
見逃してもいいけどまあ観とくか、くらいの軽い気持ちで観た
『スター・ウォーズ 最後のジェダイ』。
予想を上回るSWサーガのリセットぶりに大満足でした。
しかーし、公開されるやいなや
見事に賛否両論まっぷたつ。
とくに期待値が高かったと思われるオールド・ファンからは
全否定の酷評の嵐が吹き荒れております。
同窓会の知らせが来たから行ってみたら
婚活パーティーだった…としたら気の毒としかいいようがないが、
「こんなのSWじゃない!」という否定派の意見には
それは知らんわとしか言えません。
スペース親子げんかにうんざりしていたボクにとって
SWらしくないことこそが本作の魅力でした。
まさに「SWを終わらせる映画」なのです。
ちなみにプリクエル3部作は観ていませんが
初期3部作は大好きでした。
要は、熱が冷め切った元SWファンです。
脚本も手がける
『LOOPER ルーパー』のライアン・ジョンソン監督は
「SWシリーズ」を埋葬するという難題に挑んだのでしょう。
ファンのSWに対する愛情が深ければ深いほど
反発は予想されたこと。
愛とはときに厄介なものです。
劇中におけるカイロ・レン(アダム・ドライバー)の
「古いものを葬る」というセリフは
登場人物たちが直面する問題でもあり、
SWシリーズに対するメタな意味も含んでいます。
ニュー・ヒーローとなるかと思われた
レイ(デイジー・リドリー)とフィン(ジョン・ボヤーガ)は
ほとんどのシーンで別行動で、
感情的なつながりも希薄です。
旧態依然としたヒーロー像を担うはずの
ポー(オスカー・アイザック)は無邪気さを戒められ、
アンチ・ヒロイズムが徹底されます。
それはこれまでのSWシリーズにあった
特攻精神の否定にも通じます。
また、脈々と続いてきた血統書付きジェダイの系譜を覆し、
レイは酒代のために売られた孤児だとわかり、
フィンはレジスタンスにもファースト・オーダーにも所属しない
拠り所のない存在。
ハン・ソロとレイア(キャリー・フィッシャー)の息子である
カイロ・レンは
レイアを襲うときにわずかな戸惑いをみせるものの、
自ら殺した父親に対してはさほど深い葛藤をみせません。
(褒めてんのか、貶してんのか、
だんだんわからなくなってきた)
新キャラクターのローズ(ケリー・マリー・トラン)も同様に
選ばれた人間ではなく、無名かつ特別ではない人々が活躍するのは
とても現代的な主張だと思われます。
両親の姿を見たいと願うレイが
暗黒面(?)で体験する合わせ鏡のようなシーンは
自分は自分でしかなく、それこそが唯一の真実だと
表現しているように感じました。
フォースに関しては、その神秘性をはぎ落とし、
もはや何でもできる超能力くらいまで矮小化しています。
(やっぱり褒めてんのか、貶してんのか、わからんが)
とにかく、これまでSWを構成してきたあらゆるものを
否定し、解体し、清算しようとしているのです。
ギャラクシーのうち1%の富裕層が武器商人で
彼らはニュー・オーダーに武器を売って稼いでいるが、
レジスタンスも彼らから武器を買っている、
というエピソードに象徴されるように
登場人物たちに課せられた、いい奴かと思えば悪い奴、
悪いやつと思えばいい奴というような善悪の揺らぎは
ライトサイドとダークサイドという二項対立を
より複雑で混沌としたものとして表現しています。
もちろん、
「こんなのSWじゃない!」という否定派じゃない否定派が主張する
数々の破綻は認めます。
無重力の宇宙空間で爆弾投下? とか、
レジスタンスの行動が無謀かつ杜撰すぎないか? とか、
ポケモンちっくな小動物が鼻につくとか、
キャリー・フィッシャーが
すでに他界していることを知っているものからすれば、
レイアが司令室ごと宇宙空間に投げ出されたカットで
胸を締め付けられそうになったものの、
フォースを使ってにゅ〜っと戻ってきたのはどゆこと? とか、
フィンの特攻をローズが阻止したのはいいけれど
(このローズの行動が不可解というひともいるみたいだが、
それは籠城している仲間のためにフィンが死ねばよかったてことかね)
それならローラ・ダーンの件はどうなんだ? とか、
腑に落ちないところはありますよ、そりゃあね。
それでも、親子げんかの無限ループから抜け出したのは
とてもいいことだと思ってますし、
単純に本作を楽しめました。
まあ、なんにしろあと1作でしょ?
(まだ続きそうな予感がする……悪寒もする……)
次回作は再びJ・J・エイブラムスが監督するそうで、
一体どうやって「SWサーガ」にケリをつけるつもりなんでしょうか。
面白いんでしょうねえ、きっと。
面白いんでしょうねえ、きっと。
とにもかくにも
R.I.P. キャリー・フィッシャー。
フォースと共にあらんことを。
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