イニシェリン島の精霊
(原題:The Banshees of Inisherin 2022年/イギリス 114分)
監督・脚本/マーティン・マクドナー 製作/グレアム・ブロードベント、ピーター・チャーニン、マーティン・マクドナー 撮影/ベン・デイビス 美術/マーク・ティルデスリー 衣装/イマー・ニー・バルドウニグ 編集/ミッケル・E・G・ニルソン 音楽/カーター・バーウェル
出演/コリン・ファレル、ブレンダン・グリーソン、ケリー・コンドン、バリー・コーガン、ゲイリー・ライドン、パット・ショート、ジョン・ケニー、シーラ・フリットン
■概要とあらすじ
「スリー・ビルボード」のマーティン・マクドナー監督が、人の死を予告するというアイルランドの精霊・バンシーをモチーフに描いた人間ドラマ。1923年、アイルランドの小さな孤島イニシェリン島。住民全員が顔見知りのこの島で暮らすパードリックは、長年の友人コルムから絶縁を言い渡されてしまう。理由もわからないまま、妹や風変わりな隣人の力を借りて事態を解決しようとするが、コルムは頑なに彼を拒絶。ついには、これ以上関わろうとするなら自分の指を切り落とすと宣言する。「ヒットマンズ・レクイエム」でもマクドナー監督と組んだコリン・ファレルとブレンダン・グリーソンが主人公パードリックと友人コルムをそれぞれ演じる。共演は「エターナルズ」のバリー・コーガン、「スリー・ビルボード」のケリー・コンドン。2022年・第79回ベネチア国際映画祭のコンペティション部門でマーティン・マクドナーが脚本賞を、コリン・ファレルがポルピ杯(最優秀男優賞)をそれぞれ受賞。第95回アカデミー賞でも作品、監督、主演男優(コリン・ファレル)、助演男優(ブレンダン・グリーソン&バリー・コーガン)、助演女優(ケリー・コンドン)ほか8部門9ノミネートを果たした。(映画.comより)
「退屈ないい人」なのは罪なのか
マーティン・マクドナー監督『イニシェリン島の精霊』。じつに変で後味の悪い映画です。
イニシェリン島というのは架空の島ですが、アイルランドのアラン諸島がモデルになっています(「イニシュ」というのはアイルランド語で島という意味らしい)。この島がスゴくて、なんと木がまったく生えていません。そのおかげかどうか知りませんが、神々しいほどの絶景でありながら、生活の困難さを窺わせます。それでもアランセーター(フィッシュマンズ・セーター)で有名だそうですが。
イニシェリン島で酪農をして暮らすパードリック(コリン・ファレル)は、午後2時(!)になると友人のコルム(ブレンダン・グリーソン)を誘ってパブに行くのが日課。いつものようにコルムの家に行くと、タバコをふかしている彼は無反応。仕方なく引き返したパードリックがパブに行くと、コルムは行き違いでパブに来ていました。いつものように彼の隣でギネスを呑もうとすると「ほかへ行け」というコルム。どういうわけかコルムはパードリックを避けているのです。どうにも解せないパードリックは「なんか怒ってるんなら謝るから」と詰め寄りますが、コルムは「お前は何も言っていないし、何もしていない。ただ嫌いになった」というのでした。
突然の絶交宣言。ボクも長年の友人が平気で差別を口にするネトウヨになったので縁を切ろうか思案中ですがそれはともかく、パードリックが困惑するのも当然で、おそらく本作最大の謎なのではないでしょうか。本作の時代設定的にも、アイルランド内戦のメタファであることは明白ですが、本当にそれだけでしょうか。
理不尽な絶交宣言をしたコルムでしたが、徐々にパードリックと縁を切る理由を語り始めます。「お前の話は退屈だ」「作曲に専念したいからお前と無駄話をしている暇はない」「『いい人』は憶えられてもせいぜい15年だが、モーツァルトはずっと人の記憶に残る』等々……。しかし、だからといってコルムが島から出ていこうとするわけでもなく、パブ通いを辞めるわけでもないので、パードリックと縁を切る正当な理由とは思えません。
そもそもパードリックが「退屈」な人間だったとして、それは責められることなのでしょうか。純朴で無学なパードリック自身は、そんな「退屈」な生活にとくに不満はないようす。どうやら外の世界を知っているコルム(とパードリックの妹シボーン(ウォーンケリー・コンドン))はこんな閉塞的な島にいてはダメだと考えているのでしょう。むしろ、コルムは最も親しいパードリックとの絶縁を宣言することで、パードリックの自立を促しているようにも思えます。
あれほどパードリックを拒否しているにもかかわらず、「今後オレに話しかけたら自分の指を切り落とす」というコルムの脅しは、パードリックに対する攻撃ではありません。それどころか、コルムはクソポリ公に殴られたパードリックを見かねて助けたりもします。コルムはパードリックに対する友情を失ったわけではなさそうです。
ではなぜ絶交? と、やっぱりなるわけですが、マーティン・マクドナー監督の前作『スリー・ビルボード』を思い返せば、コルムとパードリックは同性愛に近い友情で結ばれていたのではないでしょうか。もちろんパードリックはそんなことを自覚していないと思われますが、教会の懺悔室で神父に同性愛を疑われて激高するコルムの意識には、友情を超えた(超えそうな)愛情があったと思われます。この閉鎖的なカトリックの島でふたりとも独身。同性愛者だと判明すること(自分にとっても)を恐れたコルムが、パードリックとの絶交を決意したのかもしれません。
パードリックが「そんなに言うならお前なんてこっちからお断りだよ!」てな感じで反撥してくれたらコルムも楽だったのかもしれませんが、度が過ぎて純朴なパードリックがいつまでたってもなんとか仲直りしようとするので、意地を張ったコルムは自らの指切り宣言を実行するほかなくなってしまいました。
純朴で無学なパードリックは「いい人」と言われるだけで満足げな表情を浮かべていましたが、コルムに対する嫉妬から音大生に意地悪をしてしまい、それをクソポリ公の息子ドミニク(バリー・コーガン)から咎められてしまいます。パードリックは「いい人」であるだけで満足だったのに、彼はそれすら失ってしまいました。このあたりから少しずつパードリックが変わり始めます。
妹シボーンが本土へ旅立ち、コルムが残り4本の指を切り落とします。決定的なのは、コルムが切り落とした指をパードリックが可愛がっていたロバが食べてしまい、死んでしまったことです。さまざまに繊細な表情の変化で物語る演技をみせていたコリン・ファレル=パードリックが、これまでと打って変わって明らかに意を決した顔つきに。
コルムの家に火を付けると宣言どおりにパードリックは実行に移します。彼にとってロバを殺されたことはそれだけのことだし、偶然とはいえ、コルムもパードリックの怒りを受け入れているようす。家を燃やされたコルムは「これでおあいこだ」と和解を促しますが、パードリックはそれを拒否し、「終わらないほうがいい戦いもある」と言い残して去って行くのでした。
泥沼の未来を予見させる気まずいラスト。今更「おあいこ」と言われても、お前が始めたんだろ? というパードリックの気持ちもよくわかります。たいした理由もない断絶は、アイルランド内戦のメタファに留まらない現代的なテーマだと思いました。
ちなみに、ちょいちょい登場するばあさんは、原題にもある「バンシー」という死を告げる伝説の老女なのですが、まあ彼女は予言するだけなので、いてもいなくても事態は変わらなかったのではないすかねー。


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