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わたしは最悪。

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(原題:The Worst Person in the World 2021年/ノルウェー・フランス・スウェーデン・デンマーク合作 128分)
監督/ヨアキム・トリアー 製作/トマス・ロブサム 製作総指揮/エスキル・フォクト、ヨアキム・トリアー 脚本/エスキル・フォクト、ヨアキム・トリアー 撮影/キャスパー・タクセン 美術/ローゲル・ローセンベリ 衣装/エレン・ダーリ・イステヘーデ 編集/オリビエ・ブッゲ・クエット 音楽/オーラ・フロッタム
出演/レナーテ・レインスベ、アンデルシュ・ダニエルセン・リー、ハーバート・ノードラム

概要とあらすじ
「母の残像」「テルマ」などで注目されるデンマークのヨアキム・トリアー監督が手がけ、2021年・第74回カンヌ国際映画祭コンペティション部門で女優賞を受賞、2022年・第94回アカデミー賞では国際長編映画賞と脚本賞の2部門にノミネートされた異色の恋愛ドラマ。30歳という節目を迎えたユリヤ。これまでもいくつもの才能を無駄にしてきた彼女は、いまだ人生の方向性が定まらずにいた。年上の恋人アクセルはグラフィックノベル作家として成功し、最近しきりに身を固めたがっている。ある夜、招待されていないパーティに紛れ込んだユリヤは、そこで若く魅力的なアイヴィンに出会う。ほどなくしてアクセルと別れ、新しい恋愛に身をゆだねたユリヤは、そこに人生の新たな展望を見いだそうとするが……。トリアー監督の「オスロ、8月31日」などに出演してきたレナーテ・レインスベがユリヤ役を演じ、カンヌ映画祭で女優賞を受賞。(映画.comより



正解はわからない

各所で絶賛されている『わたしは最悪。』。ちょっと風変わりな恋愛映画です。

成績優秀なユリヤ(レナーテ・レインスベ)は、「優秀な人がなるのは医者だな」くらいの軽い動機で医大へ進学するものの、自分が興味があるのは肉体ではなく魂だとひらめいて心理学科へと転向。さっそく教授といい仲になるものの、今度は「自分は視覚で物事を捕らえている」と悟り、カメラマンへと転身します。そしてまたモデルと恋に落ち……というなんとも気まぐれな女性。

ではユリヤが自由奔放で無軌道かというとそうでもなく、決断力も行動力もあり、地頭が良いのでどんな生き方でもそれなりにこなせてしまいます。それが逆に彼女の自分探しを難しくさせているのではないでしょうか。現代人は選択肢が多すぎるというセリフがありましたが、選択肢が増えたからこそ生じる困難のなかでユリヤはもがいているように見えます。ただ、飽きっぽいのは確かかもしれません。彼女が最も求めているのは、たぶん刺激だから。

では、ユリヤが自由すぎる世界を彷徨っているかというとそうでもなく、積極的に「なにも選択しないという選択」をしているとも言えますが、現実には社会的要請が待ち受けています。年上のグラフィックノベル作家アクセル(アンデルシュ・ダニエルセン・リー)と恋に落ちたユリヤは同棲生活を始め、彼の家族にも紹介されるようになるものの、つきまとうのは「子供は?」「仕事は?」という質問ばかり。結婚すること、そして結婚したら子供を産むことを要請され、どんな仕事をしているかという属性を求められます。わたしはわたしなのに! というユリヤの叫びが聞こえてきそう。

自分の人生の方向性を決められないもしくは決めたくない人にとって、このような社会的要請は脅迫じみています。さらには女性ならではの壁が存在します。別れ話のシーンで論理的な説明を求めるアクセルの言動はマンスプレイニングに当てはまるでしょう(急に別れると言われて逆上しているから情状酌量の余地は多分にあるが)。「愛してるけど、愛してもいない」というユリヤの言葉に論理的整合性はまったくないけれど、おそらく真実。でも、この矛盾を受け入れるのは(とくに男性にとって)難しいかも……。

「(男性が)萎えてるときが好き」というユリヤが「#MeToo時代のオーラルセックス」という論説をネット上で公表し、評価を得るのが面白い。彼女は性行為におけるイニシアティブがつねに男性にあるとは考えていないのです。その後、別れ話のシーンで欲情したアクセルがユリアにクンニするのは象徴的です(なんとかセックスに持ち込んで別れ話をうやむやにしようというあるあるシーンでもありますが)。

加えてユリヤには30歳という年齢の壁が立ちはだかります。30歳という年齢をひとつの区切りだと考えるのも社会的要請かもしれませんが、明らかに猶予を与えられている子供ではなくなったのは確かです。ますます決断を迫られるユリヤ。しかし決断とはほかの可能性を断つ=なにかを諦めること。これが彼女が最も恐れていることではないかと思います。

忍び込んだパーティで知り合ったアイヴィン(ハーバート・ノードラム)との、浮気の限界を探るようなやりとりこそがまさに恋愛のワクワク感。恋人同士ならむしろやらないだろうというような、脇の匂いを嗅ぎ合ったり、おしっこするところを見せ合ったり、口から口へタバコの煙を受け渡したり。まさに肉体ではなく魂ですでに恋に落ちているふたり。その場限りだったはずが再会してしまい、ユリヤがキッチンの照明のスイッチを押した瞬間に時間が止まると、ついぞ世の中の時間軸から解放されたユリヤが駆けだし、ふたりがキスをするシーンはファンタジックであり、まさにまわりのことなんてどうでもいいふたりだけの世界=時間が構築された瞬間です。

アイヴァンと暮らし始めたユリヤがマジック・マッシュルームでバッドトリップするシーンでは、彼女の父親に血に染まったタンポンを投げつける場面があります。どうやら彼女には父親に対する不信感が根底にあるようですがそれはともかく、ユリヤは不意の妊娠が発覚し、さらにはアクセルがすい臓ガンで余命幾ばくもないことがわかります。どちらも自分で選択したことではない人生の岐路に立たされ、人生は自分の意志で選択できることばかりではないという事実が迫ってくるるわけです。ましてやアクセルは病気によって人生そのものを断ち切られます。

アクセルの死期が近いことに動揺したユリヤは、ゴミ箱で見つけたユリヤの原稿を褒めるバリスタのアイヴァンに八つ当たりし「このままずっとコーヒーを入れ続けるつもり!?」と毒づきますが、これは彼女自身の苛立ちであり、彼女自身が本屋の店員で終わりたくないと思っている裏返しで、人生の決断を拒み続けて来た彼女が自分に向けた焦りなのでしょう。アクセルの望み通り、ユリアが妊娠・出産して子供が出来ていたとしても、アクセルのすい臓ガンが発症しなかったわけではありません。

結局、アイヴァンの子供を流産したことがわかったユリヤはなんともいえない表情を見せます。流産そのものを悲しんでいるのか、喜んでいるのか、微妙な泣き笑い。少なくとも彼女の決断は先延ばしされました。

捉えようによっては、優柔不断で身勝手にも見えるユリヤというキャラクターを愛らしく感じるのは、レナーテ・レインスベの顔つきと演技力が大きく貢献していると思います。子供っぽいけどセクシーで、セクシーだけどエロくない。なんともチャーミングなのです。しかも髪型によって顔の印象がずいぶん変わります。ユリヤがスチールカメラマンを務めている映画の女優がじつはアイヴァンの妻で、子供が生まれたばかりだということを知るエンディングでのユリヤは少し凜とした印象があり、それなりに「大人の女性」になったような、ほのかな成長が感じられました。

本作は序章と終章のあいだに12章からなる小説的な章立てで構成されています。文才もあるユリアが書いた自叙伝を映像化したようでもありますが、彼女が言う言葉を彼女自身のナレーションで先回りする仕掛けは、良くいえば自分を客観視している、悪く言えば他人事のように考えていることの演出なのかなと思いました。

人生にはさまざまな選択を迫られる分岐点が存在しますけども、自分が最良の選択をしたのかどうか、社会的要請に身を任せただけなのか、それとも病気などの不意な事態で選択を余儀なくされた結果なのか……もう、人それぞれ過ぎて正解がわからないという状況をあくまで朗らかに綴った作品です。







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