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この世界の(さらにいくつもの)片隅に

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(2019年/日本 168分)
監督・脚本/片渕須直 原作/こうの史代 プロデューサー/真木太郎 企画/丸山正雄 監督補/浦谷千恵 画面構成/浦谷千恵 キャラクターデザイン/松原秀典 作画監督/松原秀典 美術監督/林孝輔 音楽/コトリンゴ
声の出演/のん
、細谷佳正
、尾身美詞
、稲葉菜月
、小野大輔
、潘めぐみ
、岩井七世
、牛山茂
、新谷真弓
、花澤香菜
、澁谷天外
、京田尚子
、世弥きくよ
、たちばなことね
、瀬田ひろ美
、小山剛志
、津田真澄


概要とあらすじ
片渕須直監督がこうの史代の同名漫画をアニメーション映画化して異例のロングランヒットを記録し、国内外で高い評価を得た「この世界の片隅に」に、新たなシーンを追加した長尺版。日本が戦争のただ中にあった昭和19年、広島県・呉に嫁いだすずは、夫・周作とその家族に囲まれ、新たな生活を始める。戦況の悪化に伴い生活も困窮していくが、すずは工夫を重ねて日々の暮らしを紡いでいく。そんなある日、迷い込んだ遊郭でリンという女性と出会ったすずは、境遇は異なるものの、呉ではじめて出会った同世代の女性であるリンと心を通わせていくが……。片渕監督のもと、主人公すず役ののん、今作でシーンの追加されたリン役の岩井七世らキャスト陣は変わらず続投。(映画.comより



よしなに。

日本映画史に残る大傑作『この世界の片隅に』で描ききれなかったエピソードを追加した『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』。一時は2018年の年末に公開予定とされていた公開が1年延期され、ファンとしては首を長くして待っていた待望の一作。観る前から素晴らしい作品になることはわかりきっているのです。

片渕須直監督は本作を前作(便宜上あえてこう表現します)のディレクターズ・カット版とか、エクステンデッド版ではなく、独立した作品だとおっしゃっています。それは本作で追加されたシーンによって、前作にあったシーンの意味合いが変化し、まったく違う印象の映画になっているからだと。台詞のひとつひとつ(とくにすずさんの)が前作とは違ったニュアンスと説得力を帯びてくるのだと。

それはもう、間違いなくその通りでした。前作と本作における作用反作用はさておいても、上映時間的制約によって描ききれなかったシーンを追加するだけでなく、すでに前作にあったシーンにまでも、気づく人しか気づかないような微細な改変が施されているので(すずさんと晴美ちゃんが大変な目に遭うシーンでのチャフと呼ばれる包帯のようなやつとか海苔の色味とかその他もろもろ)、そもそもが片渕監督の時代考証への執念によってその都度更新され続けてきた作品なのです。

もっとも多く追加されたのは、リンさんにまつわるシーン。晴美ちゃんといるときだけ童心を蘇らせていたすずさんが同年代の友人を獲得したことで、すずさんの女性としての心象がより鮮明になっています。「バケモン」同様、ファンタジックな存在かと思われたリンさんは、すずさんと対話するとき(彼女の険しい生い立ちのせいか)、女性性について達観したような言葉を発します。「死んだら心の底の秘密もなんも消えてなかったことになる。それはそれで贅沢なことかもなんかもしれんよ」というリンさんにとっては、誰にも知られたくない秘密が多い人生だったのかもしれません。

だからこそすずさんは「ウチは、なにひとつリンさんに敵わん気がするよ」とつぶやいたのでしょうが、これは周作をめぐる恋敵としてリンさんに敵わないのではなく、女性としてまたは人としてのリンさんの立ち振る舞いにすずさんが圧倒されたということではないかと思います。本作をもってしても明かされない真実としては、すずさんから北条周作という名前を聞いたリンさんが、周作を認知していたのかどうか。桜の木の上ですずさんと語り合ったあと、図らずもすれ違ったリンさんと周作が、軽い挨拶を交わす一瞬のシーンは、おそらくすずさんが及び知らない大人の男女ののっぴきならない関係性を目の当たりにする、なかなか恐ろしいシーンでありました。

ギョッとしたのは、周作とリンさんとの過去を悟ったすずさんが、周作との夜の営みを描いたシーン。「挿入」のタイミングまでわかってしまうこの「ベッドシーン」は果たして……。木炭の「代用品」としての炭団は、周作にとってはリンさんの「代用品」であるすずさんであり、タンポポと同様に、アイデンティティに苦悩するすずさんを象徴するもの。このあたりも、すずさんの心の揺れが非常にわかりやすく表現されていました。

原作にあるエピソードのなかで、個人的にもっとも悲しくて悲しくてとてもやりきれないと感じていた刈谷さんと知多さんのシーンが追加されていたのは喜びでした。激しい空襲にあった呉を見舞って広島からおにぎりが届けられたことの返礼に、新型爆弾が落とされていまだ地面が熱い広島のために、呉の人々がわらじを編んで届けに行きます。実家を心配するすずさんは自ら髪を切って同行を申し出ますが、断られます。しかしこのとき、放射能にまみれた広島に向かった刈谷さんと知多さんは被爆してしまうのですね。なんとも理不尽な話です。

というわけで、総じて本作に対する拍手を惜しまないが、前作に圧倒されたいちファンとして、恐る恐る言うと、とても観賞が難しい作品ではありました。映画館、Bru-ray、配信と、何度も繰り返し前作を愛でてきたものからすると、どうしてもその差分にばかり気がいってしまいました。前作の早いテンポが脳裏に焼き付いていると、追加されたシーンが「寄り道」のように感じられたというのが正直なところ。もちろん、リンさんとかテルちゃんとかのシーンは、観たくて仕方がなかったのですが、ちょっと説明的に感じてしまいました。

例えば前作では、「すわ、妊娠か!?」→「はい朝飯2人分!」→「病院からとぼとぼ出てくるすずさん」→「晩ご飯を減らされるすずさん」と、矢継ぎ早の4カットであっという間に語られる一連のエピソードには、ぼぉ〜としていたと思われたすずさんが円形脱毛症の発症から連なる新生活のストレスと栄養失調によって、戦時下無月経症になっていたことを示し(原作の欄外にある脚注で説明される)、それはすなわち跡継ぎを産めなくなった無用の嫁となってしまったすずさんのアイデンティティを大きく揺さぶる出来事(その後右手を失うすずさんは労働力としての価値も失ってしまう)でしたが、映画を観ただけですぐに納得するのは困難です。でも、あれはなんだったの? とか、もろもろ調べてやっと理解できるのも前作の魅力のひとつだったと思うのです。

本作において追加されたエピソードが蛇足だなどは決して思いませんが、前作の強引とも言える物語の推進力(スピード感)が損なわれたのは否めないと思います。Xデーに向けてのカウントダウンのサスペンスも希薄に感じられました。本作も素晴らしかったけれど、好きか嫌いかでいえば、ボクは前作のほうが好きです。

「片隅」の象徴として存在していたすずさんが、一個人としての具体性を獲得したという意味において、本作が前作のディレクターズ・カット版ではない別物であることは間違いありません。もちろん、前作を観ずに本作を観た人はまったく違った受け止め方をするでしょう。本作もまた繰り返し観ることによって少しずつ理解を深めていく作品なのだと思います。前作から受けた圧倒的な衝撃をいまだ引きずっている者による反射的な感想ということで、よしなに。







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