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ホテル・ムンバイ

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(原題:Hotel Mumbai 2018年/オーストラリア・アメリカ・インド合作 123分)
監督/アンソニー・マラス 製作/ベイジル・イバニク、ゲイリー・ハミルトン、マイク・ガブラウィ、ジュリー・ライアン、アンドリュー・オギルビー、ジョーモン・トーマス 脚本/ジョン・コリー、アンソニー・マラス 撮影/ニック・レミー・マシューズ 美術/スティーブン・ジョーンズ=エバンズ 衣装/アナ・ボーゲージ 編集/ピーター・マクナルティ、アンソニー・マラス 音楽/フォルカー・ベルテルマン 音楽監修/ローラ・カッツ
出演/デブ・パテル
、アーミー・ハマー
、ナザニン・ボニアディ
、ティルダ・コブハム=ハーベイ、アヌパム・カー
、ジェイソン・アイザックス

概要とあらすじ
2008年のインド・ムンバイ同時多発テロでテロリストに占拠されたタージマハル・パレス・ホテルでの人質脱出劇を、「LION ライオン 25年目のただいま」「スラムドッグ$ミリオネア」のデブ・パテル主演で映画化。2008年11月、インドを代表する五つ星ホテルが500人以上の宿泊客と従業員を人質にテロリストによって占拠された。宿泊客を逃がすために、プロとしての誇りをかけてホテルに残ったホテルマンたち。部屋に取り残された赤ちゃんを救出するため、決死の覚悟で銃弾の中へと向かう父と母。テロリストたちに支配される極限の状況下で、特殊部隊の到着まで数日という過酷な現実を前に、人々の誇りと愛に満ちあふれた脱出劇が描かれる。パテルが宿泊客を守ろうとするホテルマン役を演じるほか、「君の名前で僕を呼んで」のアーミー・ハマーがアメリカ人旅行客役で出演。監督はこれまでも数多くの短編作品を手がけ、本作が長編初監督作となるオーストラリア出身のアンソニー・マラス。(映画.comより



「信じること」の重要性と危険性

2008年に起きたインド・ムンバイ同時多発テロ。なかでも500人以上もの人々が巻き込まれたタージマハル・パレス・ホテルでの惨劇と脱出劇を描いた『ホテル・ムンバイ』。テロの恐怖を描いた作品は数あれど、これまた強烈な作品です。監督のアンソニー・マラスはこれが長編第1作だというから驚き。

まずは小さなボートに乗ったテロリストたちがムンバイの待ちに上陸するシーンから始まります。イスラム原理主義の指導者によって導かれた彼らは「聖戦(ジハード)」のために決意を持ってやってきたのです。駅やレストラン、ホテルなど人の多いところを狙ったテロを計画している彼らは自分たちから富を搾取した主に白人たちをターゲットにしていますが、基本的には無差別テロです。

かたや、タージマハル・パレス・ホテル=ホテル・ムンバイのホテルマンであるアルジュン(デブ・パテル)は頭に巻いたパグリーを慎重に整えて出勤するところ。ベビーシッターである妻の妹が来なかったために、身重の妻に幼児を預けてホテルへと向かうアルジュン。そのとき彼は仕事用の靴を落としてしまいます。シーク教徒であるアルジュンにとってのパグリーの重要性、幼い子供がいること、落とした靴のすべてがこの後の展開にかかる重要な伏線になっています。また、彼が暮らす場所がいかにもスラム街のような場所なのも、勤務先である高級ホテルとの対比になっています。

セレブ御用達のタージマハル・パレス・ホテルは当然のごとくホスピタリティに対する規律が厳格で、「お客様は神様です」の精神を徹底しています。この三波春夫的「お客様は神様です」というある種の信仰も本作の重要なキーワードです。翻って、絶体絶命の状態で人々がすがる「祈り」に対しては「祈りこそが(諍いの)元凶だ」といってのけます。本作は「信じること」の重要性と危険性をともに語っていると思います。

テロリストたちがやってくる前、ホテルに到着したのは大富豪の娘ザーラ(ナザニン・ボニアディ)とその夫デヴィッド(アーミー・ハマー)、そして彼らの乳児を連れたベビーシッターのサリー(ティルダ・コブハム=ハーベイ
)。ホテルマンが風呂の温度はきっちり48℃(熱くない?)にして出迎えるほどのお得意様。もうひとりのセレブはロシア人のワシリー(ジェイソン・アイザックス)。到着早々、ホテルのレストランに馳せ参じた彼らでしたが、高級レストランにもかかわらず、デヴィッドはコーク・ハイとビーフ・ハンバーガーを注文するような品のないバカで、ワシリーはさっそく2人のコールガールを呼びつけるエロキチ。こんなやつらは殺してもいいんじゃないかとほのかに臭わせます。

そしてやがて、テロリストたちがホテルにやってくるわけですが、自分たちの行動にまったく疑問を持たない彼らが淡々と殺戮を繰り返していくさまが恐ろしい。迷ったり躊躇したりすることなく、次々とホテル内の人々を殺していきます。その姿はゴキブリに殺虫剤を吹きかけるかのような冷淡さで、少年ばかりで構成されたテロリストたちのあまりにも「無垢な」信仰を感じさせます。

彼らテロリストには指導者がいて、つねに電話越しに彼らを鼓舞し、この殺戮がいかに正当で、神の教えに則ったものか力説します。しかし、テロリストの少年たちはただ洗脳されたキチガイではなく、家族に対する報酬を約束されてテロ行為に挑んだ者もいるのです。また、指導者は繰り返し「世界が見ているぞ」と彼らの虚栄心もくすぐります。非常に巧妙に金持ち≒白人を仮想敵に見立てて少年たちの敵対心を煽ってきます。本作で描かれるのは、テロの恐怖はもちろんのこと、テロリストになることで家族を救えると思い込んでしまった少年たちが置かれた切なくて無残な状況なのです。

地元警察では歯が立たず、特殊部隊は1300キロ離れたニューデリーからやってくるということで、反撃しようもなくただただ閉じこもって耐える人々。どの当たりまで事実に即しているのかわかりませんが、ザーラとベビーシッターのサリーの繰り返されるすれ違い。泣き止まない赤ちゃん。ルームサービスや警官を偽装して部屋に入ろうとするテロリスト。ザーラをテロリストの仲間だと言い始めるイギリス人女性。間の悪い警官。電池切れの携帯電話。マスコミの電話取材に応えて隠れている人々の場所をばらしてしまうバカ……。さまざまなサスペンスが次々と襲ってきて、緊張感が途切れません。

テロリストたちを完全悪として描くのではなく、人種や宗教、経済格差などのさまざまな隔たりが複合的に絡み合っています。しかし、それらを乗り越えて団結し協力しあうことにこそ意味があり、果てはテロリストを生み出さないことへと繋がるのではないでしょうか。イギリス人女性から厭がられたパグリーを宗教的な理由から頑なに外さなかったアルジュンが、負傷した女性の傷口を押さえるためには躊躇せずにパグリーを外したシーンがとても象徴的でした。

エンディングでは、テロの指導者がいまだに逮捕されていないというテロップが。スクーターで家路につくアルジュンの表情は、助かったという安堵の表情よりも困惑しているように見えました。







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