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ハッピーエンド

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(原題:Happy End 2017年/フランス・ドイツ・オーストリア合作 107分)
監督・脚本/ミヒャエル・ハネケ 製作/マルガレート・メネゴス、シュテファン・アルント、ファイト・ハイドゥシュカ、ミヒャエル・カッツ 撮影/クリスティアン・ベルガー 美術/オリビエ・ラド 衣装/カトリーヌ・ルテリエ 編集/モニカ・ウィリ
出演/イザベル・ユペール、ジャン=ルイ・トランティニャン、マチュー・カソビッツ、ファンティーヌ・アルドゥアン、フランツ・ロゴフスキ、ローラ・ファーリンデン、トビー・ジョーンズ、ハッサム・ガンシー、ナビア・アッカリ

概要とあらすじ
「白いリボン」「愛、アムール」の2作連続でカンヌ国際映画祭パルムドールを受賞した名匠ミヒャエル・ハネケが、難民が多く暮らすフランス北部の町カレーを舞台に、不倫や裏切りなどそれぞれに秘密を抱えた3世代の家族の姿を描いた人間ドラマ。建設会社を経営し、豪華な邸宅に3世代で暮らすロラン一家。家長のジョルジュは高齢のためすでに引退し、娘のアンヌが家業を継いでいた。アンヌの弟で医者のトマには、別れた前妻との子で13歳になる娘エヴがおり、両親の離婚のために離れて暮らしていたエヴは、ある事件をきっかけにトマと一緒に暮らすためカレーの屋敷に呼び寄せられる。それぞれが秘密を抱え、互いに無関心な家族の中で、85歳のジョルジュは13歳のエヴにある秘密を打ち明けるが……。「愛、アムール」で親子を演じたジャン=ルイ・トランティニャンとイザベル・ユペールが、今作でも家長のジョルジュと娘のアンヌをそれぞれ演じ、親子役で再共演。「少女ファニーと運命の旅」で主人公の妹を演じたファンティーヌ・アルドゥアンが、重要な役割を担う13歳のエヴに抜てきされた。(映画.comより



生におけるリアリティの復権

『ファニーゲーム』
ちっとも「ファニー」じゃなかったように、
ミヒャエル・ハネケの新作『ハッピーエンド』
ハッピーエンドなわけがないのは自明のこと。
当然、反語的タイトルなのです。

いきなり動画を撮影するスマホの画面で始まり、
嫌な空気が漂います。
就寝前の母親を隠し撮りしている撮影者、
13際の少女エヴ(ファンティーヌ・アルドゥアン)
「吐いた。水を」「お肌のチェック」「おしっこ」などと
チャット(?)しながら母親の行動を観察しているようす。
次に画面はハムスターをとらえ、
エブは母親が服用している抗うつ剤を餌に混ぜて
実験していると書き込みます。
やがて仰向けになって動かなくなったハムスターを確認して
「一丁あがり」とつぶやくエヴ。
ついには過剰な量の抗うつ剤を服用させ、
ソファーで動かなくなった母親を撮影しながら
「静かにさせるのは簡単」と平然というのです。

ハネケ監督は、これまでの作品でも
ビデオテープや監視カメラなど
(なんとユーチューバーまで出てくる)
映画以外の映像メディアを巧みに使い、
現実における冷淡な視線を表現してきました。
本作でも、資材現場の監視カメラや
テレビのニュース映像のざらついた映像が
虚構と現実の教会を曖昧にさせ、
絶妙な居心地の悪さを醸成しています。

ハネケ監督が明言しているように、
本作のエヴは2005年に日本で起こった
タリウム実母薬殺未遂事件をモデルにしているとのこと。
後半でエヴが
「I ★ JAPAN」とプリントされたTシャツを着ていたのは
それを示唆しているのかどうかわかりませんが、
16歳の女子高校生が母親毒殺を試みたということよりも、
その過程をブログに綴っていたことのほうに
強く感心を持ったようです。
ハネケ自身、もはやスマホを手放せないとしたうえで
「現代のSNSは、
 昔の教会が持っていた役割を果たしていると思うのです。
 カトリックの教会では懺悔がありますよね 」

 (映画.comより
と、語っているのは言い得て妙。
現代人は、どういうわけかSNS上で
反社会的な暴言を吐いたり、
普段は口に出来ないような自身の秘密を吐露したりします。
罪悪感と優越感がない交ぜになったSNS上の言葉が
まるで顔が見えない(=匿名の)神父に対する懺悔のようだと
いうのです。
(逆に神父のように、他人の秘密を盗み聞きしたいという
 欲望もあるかもしれません)
エヴや実母薬殺未遂事件の少女が
日記帳ではなく、ネット上に犯行の過程を記していたのは
共感を求める弱さといくばくかの罪悪感があったのかもしれないし、
エヴの父親トマ(マチュー・カソビッツ)
浮気相手とエロチャットをくり返すのは
禁忌を犯す快楽と秘密を共有する優越感があったから
ではないでしょうか。

本音を語り、
場合によっては不特定多数の他人と繋がれるかもしれない
SNS上のコミュニケーションと対をなすのが
アンヌ(イザベル・ユペール)が取り仕切る建設会社の
ブルジョア一家。
この一家が象徴するのは上っ面の建前です。
ここで優先されるのは血族の絆であり、
それに抑圧されているのが
いつまでたっても大人になれない
息子のピエール(フランツ・ロゴフスキ)
煮え切らないピエールに対してアンヌがうるさく言うのは
あなたのためだと繰り返しますが
一族のメンツを維持するためなのは明らか。
跡継ぎの重圧に苦しむピエールは
資材現場での事故の被害者家族に単身で謝罪に出向くものの
無残にもボコられてしまいます。
承認欲求のために彼が取った行動は浅はかでしたが、
結果的に、被害者家族との示談交渉で
ピエールが暴行を受けたことが会社にとって有利に働くという皮肉。

さらには移民問題も語られ、
旧来の社会構造では立ちゆかなくなっていることが
さりげなく示されます。
ブルジョア一家と暮らすことになったエヴは
移民が置かれた立場を象徴しているのかもしれません。
ところで、エブを演じるファンティーヌ・アルドゥアンは
とても可愛いんですけど、
子供らしい可愛さというよりも
どこか大人の女性の美しさをたたえた少女といった感じで
希有な魅力を放っていました。
トマが運転する車の助手席に乗った学校帰りのエヴが
じわじわと泣き始める演技が見事でしたが、
モデルとなった事件の少女が
自分が盛った毒で苦しむ母親のことを泣いて心配してみせたら
いとも簡単に周囲が同情したと綴っていたのをみると、
エヴが泣いたのも父親トマの気を惹くためだったとしたら
……恐ろしい。

さて、ブルジョア一家のなかでひとり異質なのは
すでに半分ボケている(かのような)
ジョルジュ(ジャン=ルイ・トランティニャン)
彼は上っ面な世界でみすぼらしく生きるのに
嫌気がさしているもようで
繰り返し自殺を試みます。
ジョルジュに託されたのは『愛、アムール』の後日譚で、
かつて寝たきりになった妻の首を絞めて殺したと
エヴに打ち明けます。
ふたりは人生に幻滅しているという点において
共感し合う
のでした。
ジョルジュがエヴに語る鳥のエピソードは
ネット上で得た情報よりも
実際に体験することは残酷で辛辣だという
わりとわかりやすいメッセージでした。

アンヌとローレンス(トビー・ジョーンズ)
結婚パーティーの最中、
(このふたりが結ばれる違和感はともかくとして)
車椅子のまま入水自殺しようとするジョルジュを
スマホで撮影するエヴ。

ハッピーエンドとは「幸せな死」を意味するのでしょうか。
「死の意味」は即座に「生の意味」を問いただします。
かろうじて結論めいたことを言えば
本作は生におけるリアリティの復権を
呼びかけているような気がしました。



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