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灼熱の魂

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(原題:Incendies 2010年/カナダ・フランス合作 131分)
監督・脚本/ドゥニ・ビルヌーブ 原作/ワジディ・ムアワッド
出演/ルブナ・アザバル、メリッサ・デゾルモー=プーラン、マキシム・ゴーデット、レミー・ジラール

概要とあらすじ
レバノン出身のカナダ人劇作家ワジディ・ムアワッドの戯曲を映画化し、第83回米アカデミー外国語映画賞にノミネートされたヒューマンミステリー。心を閉ざして生きてきた中東系カナダ人女性ナワルは、ある日、実の子で双子のジャンヌとシモンに謎めいた遺言と2通の手紙を残してこの世を去る。手紙はジャンヌとシモンが知らされていなかった兄と父に宛てたもので、まだ見ぬ家族を探すためナワルの母国を訪れたジャンヌとシモンは、母の痛切な過去と向き合うことになる。(映画.comより



1+1=1はありうるか?

ドゥニ・ビルヌーブ監督の作品を初めて観たのが
『複製された男(2013)』だったので、
奇をてらった設定と演出が好きな人なのかなあと思っていたのですが、
その後『ボーダーライン(2015)』『プリズナーズ(2013)』と観ていくと
むしろ重厚なテーマをどっしりと描くという印象が
強くなりました。

母が遺した遺書に従って
双子の兄妹が自分たちの生い立ちと母の人生を辿る
『灼熱の魂』
4時間にものぼる戯曲を原作とする本作は
構成の妙と静かな語り口に引き込まれます。
いくつかに別れるチャプターごとに浮かび上がる赤いテロップが
シンプルでかっこいい。

自分たちの父親と兄を探しだして手紙を渡すように指示された
ジャンヌ(メリッサ・デゾルモー=プーラン)
シモン(マキシム・ゴーデット)の双子の兄妹は
おもにジャンヌが母親ナワル(ルブナ・アザバル)の故郷に渡って
母親の人生を遡っていくのと交錯するように
ナワルが実際に体験したことを映像化し、
遡る時間と進んでいく時間がやがて邂逅し、
誰も知らなかった真実に巡り会います。

ナワルの人生には、レバノン内戦が大きく関わっていますが、
過酷な戦争を生き延びる女性の姿を
センチメンタルに描くものではありません。
ナワルはあくまで自由を求めて強く生き延び、
その結果もたらされた彼女の個性が破天荒にみえたのか、
シモンは母親の奔放さに辟易しているようす。
ナワルは自由を勝ち取るため、または子供たちを守るためには
周囲と反撥し合うことも辞さない構えだったと思われます。
そんな強いナワルも、驚くべき人生の巡り合わせに
茫然自失としてしまうのですが……。

難民の男性と恋に落ちたナワルは
家族から一族の恥とまで言われ、
相手の男性はいともあっさりと射殺されてしまいます。
どれほどの憎しみを持てばこんなことができるのか……。
しかし、すでに恋人の子供をお腹に宿していたナワルは
男の子を出産した後、追われるように村を出るのでした。
かかとに3つの黒い点からなるタトゥーを入れられた赤ちゃんは
その後孤児院へと送られたのでした。

叔父を頼って大学に通っていたナワルは
政情が混乱の度を深めるなかで、反体制ゲリラに参加し、
敵対勢力の重要人部を暗殺して
刑務所で囚われの身となるのですが、
当然、まともな司法によって裁かれるわけではなく、
拷問の日々が続きます。
それでも気丈に振る舞うナワルが
看守たちから「歌う女」と呼ばれるようになると、
アブ・タレクという拷問を得意とする男によって
何度もレイプされ、妊娠してしまいます。
日を追うごとに出っ張ってくるお腹を叩いて
流産しようとするナワルでしたが、
手錠をはめられてそれも叶わず、ついに出産を迎えます。
そして、赤ん坊を取り上げた産婆が一言。
「さあ、もうひとり」

この一言がもたらす衝撃は尋常ではありません。
刑務所でレイプされた挙げ句に生まれた双子は
他ならぬジャンヌとシモンです。

生後すぐに双子が捨てられそうになった夜の川面を写す
ふたつの懐中電灯の光や、
真実を悟ったジャンヌとシモンが泳ぐ
羊水を連想させるプールのシーンが印象的です。

やっと積極的に動くようになったシモンが
ニハドという名の兄を探し始め、
かつて反体制ゲリラ組織の一員と巡り会います。
そこでは、優れた狙撃手だったニハドが
母に見つけてもらうために殉教者となって顔を知られたいと望み、
凶暴さを増していったことが語られます。
やがて敵対勢力に捕らえられたニハドは洗脳され、
拷問人となったのでした。
すなわち、ナワルをレイプしたアブ・タレク=ニハドであり、
ジャンヌとシモンにとっては、父=兄だった
という
おぞましい事実。
すべてを悟ったシモンに
「1+1=1はありうるか?」と問われた数学者であるジャンヌが
ひぃ〜っ! と声を上げるだけで
すべてを納得させる演出が素晴らしい。

思い起こせば、序盤のシーンで
「今まで学んできた数学は明解で決定的な答えを求めるものだった。
 これからは変わる。
 答えのない問題へと続く解決不能な問題に直面するようになる。
 想像を絶するほど複雑で難解な問題を前に自分を守るすべはなくなる。」

という純粋数学についての講釈がありました。
「1+1=1」というのは、
別人だと思っていたはずがじつは同一人物だったということを
示すだけではなく、
数式が意味をなさない閉じた関係を示唆します。
ナワルは図らずもループする悲劇の円環構造に閉じ込められましたが、
繰り返される報復の連鎖を断ち切る一端を担ったかのような
諦観と慈愛すら感じます。

おそらく子供に恵まれていない公証人のルベルが
「この仕事は俺の代で終わりだ」と寂しそうにいうのが
あとになって胸に迫ります。





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