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テイク・シェルター

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(原題:Take Shelter 2011年/アメリカ 120分)
監督・脚本/ジェフ・ニコルズ 製作/タイラー・デビッドソン、ソフィア・リン 撮影/アダム・ストーン 美術/チャド・キース 衣装/カレン・マレッキー 編集/パーク・グレッグ 音楽/デビッド・ウィンゴ
出演/マイケル・シャノン、ジェシカ・チャステイン、トーバ・スチュワート、シェー・ウィガム、ケイティ・ミクソン、キャシー・ベイカー

概要とあらすじ
異常気象襲来に対する恐怖にかられ錯乱する男の狂気を描いたサイコスリラー。田舎町で妻と娘と幸せに暮らしていたカーティスは、異常気象に襲われる悪夢を見て以来、その恐怖にとりつかれてしまう。避難用のシェルター作りに没頭するカーティスに対し、家族や周囲の人々は次第に不信感を募らせていくが……。「レボリューショナリー・ロード 燃え尽きるまで」でオスカー候補になったマイケル・シャノンがカーティス役を怪演。妻のサマンサ役に「ツリー・オブ・ライフ」のジェシカ・チャステイン。(映画.comより



不安がもたらす矛盾

傑作『MUD マッド』ジェフ・ニコルズ監督による
『テイク・シェルター』
なかなか、くせ者でござるよ。これは。

地盤の掘削作業員カーティス(マイケル・シャノン)
裁縫が得意な妻サマンサ(ジェシカ・チャステイン)
聴覚障害をもつ娘の3人家族は
裕福ではないけれど、平凡で幸せな家庭を築いています。
ところが、徐々に
カーティスは不穏な幻覚や悪夢に悩まされるようになり、
巨大竜巻に襲われることを恐れて、
自宅の庭にシェルターを作り始める
のでした。

まさに真綿で首を絞めるように
ゆっくりじわじわと進む物語は途中で焦れそうになります。
おそらく、監督自身も我慢に我慢を重ねて
慎重に物語を編んだのではないでしょうか。
何度も繰り返される夢オチも安易な表現だと受け取らずに、
辛抱強く最後まで観れば、
夢オチそのものが本作の重要な要素であることがわかるはずです。

少しずつ内容がエスカレートしていく悪夢に悩まされるカーティスは
目を覚まして、ああ夢かとなるわけですが、
冒頭のシーンは少し違います。
庭に佇むカーティスが遠くで渦巻く厚い雲を目撃すると、
やがて雨が降り始め、手には茶色いオイルのようなものが付着しています。
そして、呆然と雨に打たれるカーティスが
次のカットでシャワーを浴びているのは彼が寝起きだからと思われ、
すなわち、冒頭のシーンはカーティスの夢だったということになりますが、
夢であることを示すなら他のシーンと同様に
カーティスがはっと目覚めて始まればいい
ものを
そうしていないのは、
ラストシーンを読み解くためのヒントになっているのではないでしょうか。

被害妄想と強迫観念をエスカレートさせるカーティスは、
サマンサの了承を得ることなく、また家計を顧みずに、
シェルター計画を推し進めます。
娘が聴覚障害なのは、ディスコミュニケーションの象徴だろうし、
カーティスの夢の中で、自分を攻撃するものとして
親友や妻のサマンサが現れる
のは、
彼の疑心暗鬼な精神症の深刻度の表れでしょう。
それでも、カーティス自身も自分が囚われている妄想に半信半疑であるため、
医者にかかったり、カウンセリングを受けたり、
彼が10歳のときに精神病を患って入院している母親のもとを訪れ、
自分の妄想や執着心が血筋(遺伝)によるものではないか、
確認しようともします。

10歳のとき、車の中に置き去りにされた記憶が
カーティスのトラウマになっているのかもしれないし、
シェルターという場所が胎内回帰願望を想像させますが、
それはともかく、
本作を観ているうちに思い起こしたのは
3.11の福島第一原発事故に端を欲する放射能汚染に
過剰な恐怖心を抱く人々です。
このような人たちにいくら詳細な科学的データをみせて
安全を訴えても意味をなしません。
なぜならよく言われるように、安全と安心は別物だからです。

このような危機的状況を危惧するあまり、
不安に囚われてしまう人たちは
大丈夫だ、考えすぎだといわれればいわれるほど考えを固執させ、
やがて自らの正当性を証明するために
危機的状況が訪れるのを心待ちにするようになります。

それ、みたことかと。
嵐が来て、家族共々シェルターに逃げ込んだときのカーティスは
自分の正当性が証明されたと思っていたはずです。
しかし、用意されていたガスマスクの無用さをみれば
彼があくまで具体性のない、漠然とした恐怖に怯えていたことがわかります。

そして、ラストシーンです。
紹介された精神科医の診察を受けるカーティス。
精神科医は、とりあえずシェルターのある家から離れ、
その後、療養施設への入院を薦めます。
いわれるままに、毎年訪れるビーチに出かけた家族。
すると、カーティスと砂遊びをしていた娘が遠くを見つめ、
手話で嵐が来るとカーティスに伝えます。
やがて雨が降り始め、バルコニーに立つサマンサの手には
茶色いオイルのようなものが……。


このシーンをそのままみれば、
すわ、カーティスの妄想が現実化したぞと思われ、
カーティスは予言者だったと理解する人もいるようです。
やっぱ、カーティスは正しかったんだ〜って?
カーティスを信用しなかったやつらはみんな馬鹿だったって?
それじゃあ、いくらなんでもつまらなすぎだし、
こんな終わり方はしないでしょう。

カーティスが仕事をクビになり、
せっかく叶った娘の手術にも保険が適用できなくなったあと、
サマンサは家族旅行のためのへそくりをバッグに移し、
生活費(もしくは娘の手術費用)に充てたと思われますが、
カーティスは旅行資金がないことを知りません。
さらには、カーティスが悩まされる数々の妄想の中でも
茶色いオイルが降ってきたのは冒頭のシーンだけです。
前述したように、夢であることを明確に示さない冒頭のミスリードは
意図的にこのラストシーンへの布石
になっていると
考えるのが妥当ではないでしょうか。
すなわち、このラストシーンは
カーティスがみている夢なのでしょう。

しかもその夢とは、悪夢ではなく、
カーティスが自分の妄想を家族に理解してもらえたこと、
自分が正しかったことを証明するための夢なのです。

もしも、この解釈が正しいとすれば
結構恐ろしい結末です。
これまた前述したように、
カーティスは危機的状況を恐れ、万が一のために準備する反面、
自己を正当化するために
その危機的状況が訪れるのを願っている
のです。
このような過度な不安がもたらす矛盾こそが
本作が描こうとしているものではないでしょうか。





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