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ダゲレオタイプの女

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(原題:La femme de la plaque argentique 2016年/フランス・ベルギー・日本合作 113分)
監督・脚本/黒沢清 プロデューサー吉武美知子、ジェローム・ドプフェール 撮影/アレクシ・カビルシン 美術/パスカル・コンシニ、セバスティアン・ダノス 衣装/エリザベス・メウ 編集/ベロニク・ランジュ 音楽/グレゴワール・エッツェル
出演/タハール・ラヒム、コンスタンス・ルソー、オリビエ・グルメ、マチュー・アマルリック、マリック・ジディ、バレリ・シビラ、ジャック・コラール

概要とあらすじ
「岸辺の旅」で2015年・第65回カンヌ国際映画祭ある視点部門監督賞を受賞した黒沢清監督が、オール外国人キャスト、全編フランス語で撮りあげた初の海外作品。世界最古の写真撮影方法「ダゲレオタイプ」が引き寄せる愛と死を描いたホラーラブストーリー。職を探していたジャンは、写真家ステファンの弟子として働き始めることになったが、ステファンは娘のマリーを長時間にわたって拘束器具に固定し、ダゲレオタイプの写真の被写体にしていた。ステファンの屋敷では、かつて首を吊って自殺した妻のドゥニーズも、娘と同じようにダゲレオタイプ写真の被写体となっていた過去があり、ステファンはドゥニーズの亡霊におびえていた。マリーに思いを寄せるジャンは、彼女が母親の二の舞になることを心配し、屋敷の外に連れ出そうとする。主人公ジャン役をタハール・ラヒム、マリー役をコンスタンス・ルソー、ステファン役をオリビエ・グルメがそれぞれ演じる。(映画.comより



現実と非現実を隔てる曖昧な境界線

黒沢清監督によるフランス映画
『ダゲレオタイプの女』
は、
キャストやスタッフもフランス人ということで
黒澤監督はフランス語が堪能なのかと思いきや
そんなことはないそうな。
キアロスタミ監督が日本で撮った
『ライク・サムワン・イン・ラブ』を観たときにも思ったのですが、
言葉は通じなくても(優秀な通訳がいれば)
映画監督は出来るんですね。
黒澤監督曰く「映画言語は世界共通だった」とのことですが、
さすがに俳優の台詞回しについては演出できないんだとか。

写真家のステファン(オリビエ・グルメ)がとりつかれている
「ダゲレオタイプ」という
世界最古の写真撮影技法は、長い露光時間が必要な代わりに
圧倒的に高精細なんだそうです。
また、撮影された写真は1点しか存在しないというのも
作品としての希少価値を高めるのでしょう。
もちろん、ステファンの「ダゲレオタイプ」に対する執着は
高精細で1点ものだという作品作りにおける理由以外の部分
大きいのですが。

それよりもなによりも、
被写体となるモデルが長時間同じ姿勢のままでいるために
用いられる拘束器具のギミック
禁忌を犯すエロティシズムが漂います。
『叫』の赤い服の女を思い出さずにはいられない
マリー(コンスタンス・ルソー)が纏う青いドレスの古めかしさは
本作が黒沢流ゴシック・ホラーであることの証です。
コンスタンス・ルソーの幼さが残る顔立ちは美しく、
また普段のファッションがことごとく可愛い♡

とかいいながら、本作は
怖がらせるだけのホラーではありません。
(まあ、黒沢作品はいつもそうですが)
恐怖というより、怪奇というほうがしっくりきます。
全体的な印象は『叫』などよりも
近作の『岸辺の旅』に似た
現実と非現実を曖昧に隔てる境界線、
もしくは境界線が存在しない(かもしれない)混沌
を描いています。

「ダゲレオタイプ」の被写体となるモデルが
動かない≒動けないのは
マリーが愛する植物とも呼応します。
石のような無機物や赤ん坊の死体とは違い、
植物は動かないけど生きています。
父ステファンの庇護を束縛と感じ、
撮影中は文字通り拘束されるマリーは
生ける屍=植物人間なのでしょう。
また、ステファンが
自殺した妻ヴァンサン(マチュー・アマルリック)
マリーに服用させていたという筋弛緩剤
植物を枯らす水銀と直結しています。

過去に固執するステファンとは対照的に、
将来を不安視するジャン(タハール・ラヒム)
いっちょかみして儲けようとする再開発事業は
まがいなりにも未来を見据えたもの。
ふたりが衝突を避けられるはずもありません。

俳優たちの容姿、音としてのフランス語や古い屋敷などは
やはり、日本で撮影されていたなら不可能な
フランス映画ならではの独特なニュアンスを
本作に与えていると思います。
それでも黒澤作品らしさがしっかりと表現されているのは
確固たる作家性が存在していることの証明です。
誰もいないのにドアがゆっくりと開いたり、
異界への窓である鏡があちこちに置いてあったりするのは
教科書通りでしょうが、
それ自体が怖いというよりも、
な〜んか嫌な感じが常に続いているのが特徴です。
さすがに、半透明のビニール製カーテンが登場したときには
これはセルフパロディだろと思いましたが、
突出しているのはマリーがアトリエの階段から落下するシーン。

暗いアトリエで亡き妻ヴァンサンの姿を見たステファンが
その後を追ってロフトに上がっていったあと、
現れたマリーがその後を追います。
かすかに軋んだロフトの床から埃が舞い落ちたと思ったら、
突然、マリーが激しく階段を転げ落ちてきます。
そのこと自体、十分にショッキングなのですが、
ほんの一瞬、階段を転がり落ちるマリーの
魂が抜けたような四肢の乱れ方が強烈なのです。
(さすがにあれは人形じゃないかと勘ぐっているのですが
 どうでしょう…)

このような作品に、つじつま合わせを求めるのは
たぶん無粋で的外れな行為でしょうが、
一応、現実的な経緯を辿ってみると、
階段から転げ落ちたマリーは
ステファンがいうように、
その時点で死んでいる可能性は高いと思われますが、
病院に向かうためにジャンが走らせる車の後部座席で
横渡ったていたマリーは、頭部から流血していたので
かろうじて此岸にいたとも考えられます。
ジャンが車をスピンさせる川岸
ひとつの分岐点であるのは間違いないでしょうが、
その後、その場所を警察が捜索しているシーンをみると、
マリーもろともジャンも車ごと川に突っ込んで
死んでるんじゃないかと思いたくなります。

かつて、雑誌のインタビューで
「ベッド・シーンが苦手」だと言っていた黒澤監督が
本作でジャンとマリーが愛し合うシーンを入れたのは
やはり『岸辺の旅』でのベッド・シーンによって
死者とのセックスに新たな意味を見いだしたのではないか、
と、思わずに入れません。
まあ、とにかく、
マリーを連れた暴走気味のジャンが
突然結婚しようと言い出し、
道ばたに落ちていた針金で作った急ごしらえの結婚指輪
マリーの薬指にはめるのですが、
ある意味「拘束器具」でもある結婚指輪をはめたマリーは
ジャンの前から姿を消すのでした。

車の中でむせび泣くジャンでしたが、
あいかわらず助手席に座っている(であろう)マリーに
話しかけています。
これは精神崩壊したジャンの現実逃避か、
はたまた、ジャンには
いまだ助手席に座るマリーの姿が見えているのか。

「キヨシスト」も、そうでない方も必見です。





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