" />

ボーダーライン

ill660.jpg



(原題:Sicario 2015年/アメリカ 121分)
監督/ドゥニ・ビルヌーブ 製作/ベイジル・イバニク、エドワード・L・マクドネル、モリー・スミス、サッド・ラッキンビル、トレント・ラッキンビル 脚本/テイラー・シェリダン 撮影/ロジャー・ディーキンス 美術/パトリス・バーメット 衣装/レネー・エイプリル 編集/ジョー・ウォーカー 音楽/ヨハン・ヨハンソン
出演/エミリー・ブラント、ベニチオ・デル・トロ、ジョシュ・ブローリン、ビクター・ガーバー、ジョン・バーンサル、ダニエル・カルーヤ、ジェフリー・ドノバン

概要とあらすじ
「プリズナーズ」「灼熱の魂」のドゥニ・ビルヌーブ監督が、「イントゥ・ザ・ウッズ」「オール・ユー・ニード・イズ・キル」のエミリー・ブラントを主演に迎え、アメリカとメキシコの国境地帯で繰り広げられる麻薬戦争の現実を、リアルに描いたクライムアクション。巨大化するメキシコの麻薬カルテルを殲滅するため、米国防総省の特別部隊にリクルートされたエリートFBI捜査官ケイトは、謎のコロンビア人とともにアメリカとメキシコの国境付近を拠点とする麻薬組織撲滅の極秘作戦に参加する。しかし、仲間の動きさえも把握できない常軌を逸した作戦内容や、人の命が簡単に失われていく現場に直面し、ケイトの中で善と悪の境界が揺らいでいく。共演にベニチオ・デル・トロ、ジョシュ・ブローリン。(映画.comより



「正しさ」よりも「バランス」

メキシコの麻薬カルテルを描いた映画って
ここ最近増えているような気がします。
古くは『トラフィック(2000)』『ノーカントリー(2007)』
最近では『悪の法則(2013)』
『皆殺しのバラッド メキシコ麻薬戦争の光と闇(2013)』という
そら恐ろしいドキュメンタリーもありました。
シウダー・フアレスという街を中心にした抗争は
もはや修復不可能な状態になってますが、
アメリカ(≒正義)vs 麻薬密売組織という単純な構図にならないのは
どの作品にも共通しています。
それほど複雑な状況なんでしょう。

で、『ボーダーライン』の予告編を観た限りでは
『ゼロ・ダーク・サーティ(2013)』みたいに
女性捜査官が本当の正義とはなにかを訴えかけるような作品だろうと
予想していて、ま、そうとも言えるのですが
本作はちょっと趣が違い、
そもそも正義なんてものに意味はないとでもいうような作品です。
正義がなければ悪もない。ではなぜ殺し合うのでしょうか。
監督は『複製された男』ドゥニ・ビルヌーブ
あんなヘンテコ映画を撮る監督が……

ケイト(エミリー・ブラント)が率いるFBI誘拐即応班が
誘拐事件の人質救出のためにとある小屋に
車ごと突っ込む荒っぽさ。
これは捜査というより戦争なんだと知らされます。
壁の中には腐乱した大量の死体が。
なぜ壁の中に? カルテルの考えることはよくわかりません。

お偉方の会議によって
大きな影響力を持つソノラ・カルテルの壊滅を目的とした
特殊チームに参加することを要請されたケイトは
先の人質救出任務の際にふたりの隊員を亡くしていたため、
仇討ちのため、任務に志願することに。
その会議で終始にやにやしていたサンダル履きの男が
CIAのマット(ジョシュ・ブローリン)
マットは、ベトナム戦争ものなどでよく登場する
作戦の目的よりも戦闘そのものが好きなタイプの人間でしょう。

テキサス州のエル・パソに向かうと聞いていたはずが
ケイトが連れて行かれたのはメキシコのフアレス
フアレスに向かう専用機の中で
元検察官のコロンビア人、アレハンドロ(ベニチオ・デル・トロ)
出会うことに。
この手の映画にベニチオ・デル・トロは欠かせませんな。
アングロサクソン系とはあきらかに違う細い眼が
常に怪しく光っておられます。

メキシコに到着した一行が
現地の警察に先導されて街中を進むシーンの物々しさが半端なく、
なにも起きていないうちから緊張感マックス。
もう、音楽がズルイ。(褒めてます)
なにかが起こったときよりも、
なにかが起こるかもしれないと思っている時間が一番怖いのです。
で、やっぱりエラいことが起こります。

一般市民を巻き込みかねない高速道路での銃撃戦に遭遇したケイトは
法の範疇を超えた行為だと憤り、マットに説明を求めると
「俺たちがやることを見とけ。そうすればわかる」と言います。
任務の目的もわからずただ「見とけ」と言われるケイトは
まさに映画を観ている観客そのもの。
ケイトは、観客の戸惑いを代弁するかのように振る舞うので
こちとら観客も、わけもわからず現場に放り込まれたような気分になるのです。

観ているときはだれだかよくわかりませんでしたが
ケイトたち一行が到着した施設に捕らえられていたのは
アメリカ国内に潜伏しているカルテルの幹部
マヌエル・ディアスの兄、ギエルモ。
ウォーター・サーバーの水を提げて取調室に入ったアレハンドロが
ギエルモにどんな拷問を施したのか、考えたくもありませんが
床の排水溝にズームアップするのは
後に登場する「トンネル」を暗喩している
と考えていいでしょう。

憂さ晴らしにバーで酒を飲んだケイトが
お持ち帰りした警官もカルテルの息がかかっていて
ケイトが首を絞められて殺されそうになったところに現れたのは
アレハンドロ。
ケイトは不穏分子をあぶり出すための囮にされたわけです。
ところがそれだけには留まらず、
そもそもFBIのケイトがこの作戦に同行することを要請されたのは
国外での諜報活動を主とするマットたちCIAが
国内で単独行動できないから。

ケイトはそこにいることだけが任務だったのです。

メキシコとアメリカの国境をくぐり抜けるトンネルを発見し、
制圧しようとするシーンは
暗視カメラ(?)の不気味さも伴って緊張感が高まります。
ときおり挿入されていた、メキシコの警察官の正体も判明します。
いつも息子にサッカーをしようとねだられている警察官の
平穏な生活を凄惨な現実の対比として描くのには
麻薬カルテルを取り巻く問題の根の深さを表しているように思います。

そしてなにより、アレハンドロには
かつて妻と娘を無残な方法で殺された過去があり、
いまはコロンビアのカルテルに雇われているということも明かされます。
マットの説明によると、
かつてはコロンビアのカルテルとの間で
「それなりに」バランスが保たれていたが
メキシコのカルテルの台頭によって諍いが生じた、と。
それを元に戻すんだ、と。

マットのいう元に戻った状態が正常だとは思えませんが
とにかく、世の中に必要とされているのは「正しさ」ではなく、
「バランス」なんだ
ということでしょう。
法的な正しさを主張するケイトが非常にちっぽけな存在にみえてきます。
私怨によって行動するアレハンドロは
彼なりの「正しさ」に基づいていたのかもしれませんが
大ボスのファウスト・アラルコンのもとに単独で辿り着き、
妻とふたりの息子をファウストの目の前で殺したあと、
ファウストの息の根を止めたアレハンドロ

本当に満足したでしょうか。

ラストシーンで、ケイトの部屋を訪れたアレハンドロは
捜査の際に違法行為がなかったことを証明する書類にサインするよう、
銃を突きつけてケイトを脅します。
帰って行くアレハンドロにベランダから銃を向けたケイトは
逡巡した後、銃を下ろします。
抹殺すべき敵はアレハンドロではありません。
ここでアレハンドロを殺しても、なんにもならないのです。
では、敵とは?
彼女は自分の無力さを痛感したのではないでしょうか。

映像も音楽も素晴らしく、できれば映画館で。





にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ 
↑お気に召したらクリックしていただけますと、もんどりうって喜びます。
関連記事
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

«  | ホーム |  »

プロフィール

のほうず

のほうず
映画が好きで観るのはいいが、
かたっぱしから忘れていくので
オツムのリハビリ的ブログ。
******************
当ブログの文章・画像およびイラストの無断転載を禁じます。引用される場合は、出典の表記と当ブログへのリンクを設定してください。

FC2ブログランキング

FC2Blog Ranking

お気に召したら
クリックお願いします。
にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ

スポンサードリンク

↓過去の記事はこちらから!↓

検索フォーム

QRコード

QR

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

カウンタ