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キャロル

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(原題:Carol 2015年/アメリカ 118分)
監督/トッド・ヘインズ 製作/エリザベス・カールセン、スティーブン・ウーリー、クリスティーン・ベイコン 原作/パトリシア・ハイスミス 脚本/フィリス・ナジー 撮影/エド・ラックマン 美術/ジュディ・ベッカー 衣装/サンディ・パウエル 編集/アフォンソ・ゴンサウベス 音/楽カーター・バーウェル
出演/ケイト・ブランシェット、ルーニー・マーラ、サラ・ポールソン、ジェイク・レイシー、カイル・チャンドラー、ジョン・マガロ、コリー・マイケル・スミス、ケビン・クローリー

概要とあらすじ
「ブルージャスミン」のケイト・ブランシェットと「ドラゴン・タトゥーの女」のルーニー・マーラが共演し、1950年代ニューヨークを舞台に女同士の美しい恋を描いた恋愛ドラマ。「太陽がいっぱい」などで知られるアメリカの女性作家パトリシア・ハイスミスが52年に発表したベストセラー小説「ザ・プライス・オブ・ソルト」を、「エデンより彼方に」のトッド・ヘインズ監督が映画化した。52年、冬。ジャーナリストを夢見てマンハッタンにやって来たテレーズは、クリスマスシーズンのデパートで玩具販売員のアルバイトをしていた。彼女にはリチャードという恋人がいたが、なかなか結婚に踏み切れずにいる。ある日テレーズは、デパートに娘へのプレゼントを探しに来たエレガントでミステリアスな女性キャロルにひと目で心を奪われてしまう。それ以来、2人は会うようになり、テレーズはキャロルが夫と離婚訴訟中であることを知る。生まれて初めて本当の恋をしていると実感するテレーズは、キャロルから車での小旅行に誘われ、ともに旅立つが……。テレーズ役のマーラが第68回カンヌ国際映画祭で女優賞を受賞した。(映画.comより



心に従って生きなければ、人生は無意味よ

「アラン・ドロン主演の『太陽がいっぱい』を
 BL映画だと解説したのは、世界中で淀川長治ただひとり!」

というのは、町山智浩さん
その『太陽がいっぱい』の原作者、パトリシア・ハイスミス
別名義で発表していたという『キャロル』
彼女の自伝的作品であり、そのほかのBL的作品は
女性を男性に、
恋愛における独占欲を殺人に置き換えたものだったんだとか。

本作のオープニングに映されるパターンを観て
なんだろうなと思っていると、
カメラはすーっと視線を上げて地下鉄の出口を捉えるので
それが地面の通気口だったとわかります。
このオープニングには明らかに意図が込められているのはわかるものの、
それがどういう意図なのか考えあぐねていました。
ところが、町山さんの解説で
このシーンは、1950年代当時、
同性愛はタブーとされていたけれど
見えないところ(地下)では
間違いなく存在したということを表している
と知って
骨が砕けるくらい膝を打ちました。
『進撃の〜』の脚本に関わって少々ケチがついた町山さんですが
評論家としてのキャリアに傷がつくというのはお門違いというもの。
こういう解説こそ、町山さんの真骨頂でしょう。
(下のリンクをお聞きあそばせ。カタツムリのくだりも面白いよ)

それはともかく、
同性愛がタブーの時代、というか、
同性愛は精神異常だとされるような時代における
百合作品
なわけです。
本作において、
そのような社会的背景をないがしろにするわけにはいきません。
『アデル、ブルーは熱い色』の奔放さと比べたら
社会的禁否の度合いが違うのですが、
仮にLGBTにとって過酷な社会的背景を脇に置いたとしても
本作は恋愛映画として上等なのです。
その組合せが、異性だろうが同性だろうが、
どうだっていいじゃん。
恋愛は恋愛でしょ。

男だろうが女だろうが
テレーズに扮するルーニー・マーラの可憐さには
ウットリするに違いありません。
かたやゴージャスな美しさのキャロル(ケイト・ブランシェット)
このふたりがお互いに一目惚れするのです。
ふたりが交流を持つことになるきっかけは
テレ—ズが勤めるデパートのおもちゃ売り場に
キャロルが手袋を忘れていったこと。
「お嬢さん、ハンケチ落としましたよ」的な
非常に古典的かつベタな出会いですが、
恋の始まりってやつは、こんなものかもしれません。
わざと忘れ物をするってのも、
意中の相手とお近づきになる常套句でしょう。

キャロルのほうは自身のビアン的性質を承知の上ですが、
テレーズのほうにはそういう自覚はなさそうで、
なんだかわからないけれどキャロルに惹かれてしまうといった様子。
同性愛が社会的にタブーだからなおさらですが、
ふたりの恋愛の綱引きは
(繰り返しになりますが)どういう組合せでも同じ
恋愛あるあるのはずです。

冒頭、キャロルとテレーズが
ホテルで食事をしているシーンはラストシーンと繫がりますが、
ここでテレーズの肩にキャロルが手をかけたときと
邪魔男が手をかけたときとでは
同じ行動でもまったく意味が違うのです。
これは当人同士にしかわからない暗号のようなものでしょう。

ちょっと手が触れ合っただけでも、
あ♡、という攻防戦を繰り広げ、にじり寄っているふたりの
演技が絶妙です。
旅行中、ホテルの部屋で同じ香水をつけ、
お互いの香りをかぐために顔を近づけたときの
キャロルの「やべえ、チューしてえ!」という気持ちを
ぐっと堪える表情
がたまりませんでした。

また、とくに前半で
キャロルは必ずクリムゾン・レッドを身につけていて
それは彼女の情熱の強さとともに
社会に対する敵対心も表現していると思うのですが、
旅行中のモーテルでテレーザに
ブルーのセーターを取ってくれといったのは
象徴的なような気がします。
キャロルにとって、クリムゾン・レッドは鎧であって
彼女がブルーのセーターを着るということは
テレーザに対して警戒心を完全に振り払い、
安らぎを感じ始めているということなのではないでしょうか。

本作に登場する男性陣の横暴さはいうまでもありませんが、
社会全体がそのようは偏向した価値観によって
まかなわれているとしたら
砂を噛む思いで耐えるしかありません。
やむを得ず引き裂かれたキャロルとテレーザでしたが
恋の炎は消えず、冒頭のシーンへと繫がります。
テレーザの、なによいまさら的態度もさもありなん。

でも、やっぱりテレーザにとっても
キャロルは特別な存在なのでした。
一度は別れを決意したものの思い直し、
キャロルに誘われた食事会に遅れて登場したテレーズが
ゆっくりとキャロルに近づいていくラストシーン
テレーズが逡巡しながらも、ある覚悟をもって行動しているという
心理的サスペンスを感じることができました。
来ないはずのテレーズをみつけて
軽く微笑むキャロル。そして、ジ・エンド。
この終わり方もいいですねぇ。

奇をてらった構図や派手なカメラワークはありませんが
エドワード・ホッパーの絵画を摸したという
緻密に設計された画面にうっとり。
「心に従って生きなければ、人生は無意味よ」
というキャロルの言葉が耳に痛い作品です。







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