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ニンゲン合格

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(1999年/日本 109分)
監督・脚本/黒沢清 製作/加藤博之 撮影/林淳一郎 美術/丸尾知行 音楽/ゲイリー芦屋 主題歌/洞口依子 録音/井家眞紀夫 整音/中田裕章 音響効果/丹雄二 照明/豊見山明長 編集/大永昌弘
出演/西島秀俊、役所広司、菅田俊、りりィ、麻生久美子、哀川翔、大杉漣、洞口依子

概要とあらすじ
昏睡状態から10年ぶりに目覚めた青年が、家族再生に奮闘する様を描いたニンゲン・ドラマ。14歳の時に交通事故に遭い、昏睡状態が続いていた豊が10年の眠りから突然覚めた。しかし、彼を出迎えたのは懐かしい家族ではなく、藤森という風変わりな中年男だった。産廃処理業を営む藤森は豊の父・真一郎の友人で、離散した豊の家族に代わって数年前から東京郊外にある豊の家の一部を釣り堀に改造して暮らしているらしい…(映画.comより抜粋



脆くて危うい家族の繋がり

『岸辺の旅』は原作ものでしたが、
黒沢清監督の家族観は一貫しているんだなと感じる
『ニンゲン合格』です。
まー、あいかわらず不思議な映画です。

14歳で交通事故に遭ってから
10年間昏睡状態だった豊(西島秀俊)
突然意識を取り戻します。
それを発見した看護婦も特段に驚いて取り乱す様子はなく、
「あら。」てな具合で
10年という年月の間、豊がモノとして扱われていたことを
窺わせます。
意識を取り戻した豊の元に訪れたのは
加害者である室田(大杉漣)
知り合いらしい藤森(役所広司)
なぜか家族は現れません。

藤森が豊を連れて帰るあいだ、
24歳になっている豊はだだをこねて
藤森に引きずられたりするのがコミカルですが
当然、豊の心は14歳のままなのです。
豊が履いているズボンが中途半端な七分丈なのも
彼が中途半端なコドモであることを表しているように思います。

藤森はどうやら豊の父親と学生時代からの友人のようですが
どれくらい深い繋がりがあるのかは一切語られません。
とにかく、藤森は
一応、豊の面倒をみなければならないと考えているようで、
風俗店に連れていったり、自動車の運転を教えてたり、
父親のような兄のような役目を担おうとしています。

基本的に、本作に登場する人物たちは
「う〜ん」とか「そうねぇ」とか、
生返事しかしないのですが
10年ぶりに意識を取り戻したわりには
豊もどこかぼーっとしているような、
もしくは達観しているようなふわふわした印象です。
まるで、『岸辺の旅』の浅野忠信と同じく幽霊のように。

藤森の元に現れた豊の父親(菅田俊)
どうやら新興宗教に没頭しているらしく、
あちこちを転々としているようですが
どうもそれが豊の家族がバラバラになった一因のような気がします。
つかの間のあいだ、豊と暮らす父親は
いまさらながら父親らしく振る舞おうとしますが、
ジュースを買いに出かけた豊についていっては
電柱の看板に頭をぶつけて倒れ込んだり、
買い物帰りの途中で、豊とのかけっこで惨敗したり、
ことごとく父親としての資格が失墜していることが
念を押されます。
父親が豊の元を再び去ることになったとき、
豊は藤森に抱きついて嗚咽し、はじめて感情を露わにしますが
その翌朝、父親は
わざわざそんなところにいなくてもと思うほどの暗がりに座り、
存在感の希薄さが強調されます。

その後、豊は母親(りりィ)と妹千鶴(麻生久美子)とも
再会を果たしますが、
やはり、10年ぶりに昏睡状態から蘇った豊に対して
あら、久しぶりねという程度の反応しか見せません。

産業廃棄物の不法投棄を商いとする藤森が姿を消した後、
千鶴の彼氏・加崎(哀川翔)を交えた4人は
まるでかつての「家族」のように暮らし始め、
家族の団らんが復活したかのように思われますが、
(それも窓の隙間から覗き見るようなショットで)
母親は現在の交際相手との不仲、千鶴は金目当てと
それぞれの事情があって「家族」を演じているに過ぎません。
むしろ、「いつも人から目障りって言われるんです」という加崎が
いわゆる家族の繋がりをもっとも欲していたのかもしれません。

テレビのある居間に家族全員が集まっているという
いかにも昭和の家族的なシーンで、
アフリカ行きの船が沈没したというニュースが聞こえてきます。
その船には豊の父親が乗っていて、
生存者のインタビューに父親が応える映像が映し出されると
それまで一応安否を気にかけていたはずなのに
千鶴はテレビの音声を消し、「まだ喋ってるよ」というのです。
母親も「元気そうねぇ」と他人事のように呟くだけです。
父親の求心力のなさといったら、半端じゃありません。
かつて、家族を支えていた父性が失われた現実を
これでもかと見せつけます。

黒沢清監督は本作の劇場公開の際に家族について、
「家族とは絶対的なくせに希薄であり、
 偶然の産物でありながら濃密であるといった厄介な関係であった。
 逃れようとすればするほど絡みつき、
 掴みとろうとするとするりと逃げていく、それが個人と家族の関係である。
 それを運命と呼んでもいいし、まぼろしと呼んでもいい。」

早稲田松竹サイトより
と、語ったそうです。
たしかに、黒沢監督の作品で描かれる家族は
『トウキョウソナタ』でも非常に脆く、危うい存在でした。

また、家族関係に留まらず、
同窓会を開いたあとの豊が
かつての悪友たちとはしゃいだあとで
「ありがとな。つきあってくれて」と言い残して家路につくと、
「おう」と返事した悪友ふたりもそそくさと解散するのです。
これは「親友」や「同級生」という関係も
それに「つきあって」演じているに過ぎないことを
表現しているように感じます。

家族が再生したかのようにみえたとき、
母親がいかにも母親らしく洗濯物を干していると
突然死んだように椅子に座り込んだ豊が
「ほんの一瞬でいいから、もう一度みんなが揃うことってあんのかな」
とつぶやきますが、
その願いが叶ったのは、彼自身の葬儀のときでした。

死に際の豊が、
「おれ、存在した? ちゃんと存在した?」
藤森に聞くのは
存在とは、絶対的なものではなく、
家族や友人などの関係性の中から
相対的に認識するものだということでしょうか。
豊の問いに答えて、「お前は確実に存在した」という藤森が
家族ではなく、部外者であることが
むしろ豊を安心させるのかもしれません。

また、家族の希薄な関係とは裏腹に
豊が経営するミルクバーを夜な夜なチェーンソーで襲撃する
加害者の室田にとっての豊は、
忘れたくても忘れられない、
室田に一生つきまとう存在なのが皮肉です。
豊の存在をもっとも強く感じているのは、
家族でも友人でもなく、室田なのです。


フレームアウトした麻生久美子が
菓子袋をテーブルに投げるカット

シーンの脈絡とは関係なく、ものすごく緊張感を呼び覚ます演出で
たまらなく好きです。
シンガーの洞口依子の存在とか、
ラストの宛名のない絵はがきとか、
考えを巡らす部分はほかにもいろいろありますが、このへんにして、
とにかく不思議〜な傑作です。





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