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草原の実験

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(原題:Ispytanie 2014年/ロシア 97分)
監督・脚本/アレクサンドル・コット 製作/イゴール・トルストゥノフ、セルゲイ・コズロフ、アンナ・カガルリーツカヤ 撮影/レバン・カパナーゼ 美術エドゥアルド・ガルキン 衣装/エドゥアルド・ガルキン 編集/カラリーナ・マチェーフスカ 音楽/アレクセイ・アイギ 音響/フィリップ・ラムシーン
出演/エレーナ・アン、ダニーラ・ラッソマーヒン、カリーム・パカチャコーフ、ナリンマン・ベクブラートフ=アレシェフ

概要とあらすじ
広大な草原地帯を舞台に、平和な日々を送る父と美しく優しい娘、そして娘に恋をする2人の青年のエピソードを一切のセリフを排して描いた異色作。ロシアの新鋭監督アレクサンドル・コットが、旧ソ連のカザフスタンで起きた実際の出来事に着想を得て作り上げた一作で、セリフなしの映像美で描かれる少女たちのささやかな日常に、徐々に意外な暗い影がさしこんでいく。2014年・第27回東京国際映画祭コンペティション部門に出品され、最優秀芸術貢献賞を受賞した。(映画.comより



すべてを台無しにする「実験」

カザフスタンの大草原の中で孤立しているかのように佇む
一軒家を舞台にした『草原の実験』
周囲の土地には起伏がなく、一本の木すら生えておらず、
ただ地平線が真っ直ぐに伸びる光景は
いやがおうにも地球を意識させ、どこかSF的でもあります。
空にも地上にもまったく隔てるものがない草原で
トラックの荷台で羊を枕にして昼寝をする
父親トルガ(カリーム・パカチャコーフト)
の姿からは
この世界に不安な要素はまったくないように思えます。

本作はセリフが一切ないので
そのこと自体が「実験」的といえるかも知れませんが
そもそも無声ではじまった映画の歴史を考えれば
原点回帰的なのかもしれません。
伸びる地平線を画面いっぱいに捉えた引きの画や
真俯瞰からの構図が多用され、
映像は詩的でグラフィカル。
一軒家のそばに一本だけ立つ枯れ木は
どうしたってタルコフスキーの『サクリファイス』でしょう。
セリフがないので、当然役名も登場しませんが
パンフをみたら一応登場人物たちに名前があったもよう。

予告編などを観てわかっていても
ジーマを演じるエレーナ・アンがスクリーンに登場すると
その圧倒的な美しさにたじろぎます。
大人の女の色気をほんのちょっと予感させる程度の少女という
絶妙な年頃のエレーナ・アンは
韓国人の父親とロシア人の母親をもつ新人だそうですが
(というか、今後も俳優を続けるかは未定だそうで)
セリフがないこともあってあどけないというよりも、
ちょっと近寄りがたい神聖さすら感じます。
そんなエレーナにうっとりしながらも
ああ、エレーナに思いっきり叱られたい!
と思ったのは僕だけですか? そうですか。
少なくとも、本作にはエレーナの美しさを愛でる
アイドル映画の一面があるのは確かでしょう。

母親が不在の理由は気になりますが、
父と娘の二人ぐらしは
のんびりしていて、それなりに仲良く楽しそうにやっています。
どういうわけか、突然白い飛行機がやってくると
嬉しそうにゴーグルをつけて運転させてもらうトルガは
無骨な風貌とはうってかわってお茶目なところがあり、
おどける父親をみてジーマは微笑んだりしています。
トルガのほうもジーマが可愛いらしく(そりゃそうだ)
車を運転させてやったり、
わざわざ家の中から車までケーブルを引っ張ってバッテリーと繋ぎ、
ジーマのためにラジオを聞かせてやるのです。

屋根の上に馬の人形があったり、
刺しゅうの入ったカーテンや毛布の柄など
一軒家の室内にかわいいものが多いのは
ジーマのセンスなのかどうかわかりませんが
樹の葉をスクラップしたり、切り抜きをコラージュしたり、
父親の顔をデッサンしたり
と、
ジーマには美術の素養がありそう。
世界地図を壁に貼っているのは、世界に対する憧れか。

これだけ美しいジーマですから
男が放っておかないのは当然。
おそらく幼なじみの、馬を駈る
カイスィン(ナリンマン・ベクブラートフ=アレシェフ)
ジーマのことが大好きなのです。
この土地に生きる男のたくましさを備えたカイスィンは
ジーマとお似合いのように思えましたが
そこへたまたま通りがかったロシア人、
マクシム(ダニーラ・ラッソマーヒン)が横恋慕(←古いね)。
カイスィンとマクシムが取っ組み合いのケンカをするのをみて
クスッと笑ったあと、ふたりに水をかけて
ケンカをやめさせるジーマ。
このあたりがね、ただのあどけない少女じゃないわけですよ。
先天的なファムファタールなのですよ。

のどかな草原の日常に、徐々に不穏な空気が漂い始め、
雷雨の中、一軒家に軍隊がやってきます。
どうやらトルガは軍の施設で働いているようで
なにやら持ち出したようなのです。
トルガの車に隠された木箱の中身はよく見えなかったけれど、
ガイガーカウンターをあてているところからすると
放射能に汚染されているもようで
トルガ自身も被曝しているようす。

体調を崩して病院に運ばれたトルガが戻って来ると
正装し、枯れ木の側のベンチに腰掛けると
赤い太陽が沈むのを観ながら息を引き取るのでした。
トルガの不在中にジーマが受け取った手紙は
トルガが余命幾ばくもないことを知らせる診断書でしょうか。

トルガを埋葬したあと、ひとり旅立つ決意をしたジーマは
ガス欠で動かなくなった車を捨て、歩き始めましたが
遮るものがないと思われていた草原は
有刺鉄線で隔離された土地だった
のです。
仕方なく一軒家に戻ってくると
そこには結婚の準備をしたカイスィンと彼の家族が。
ところが、ジーマはカイスィンのプロポーズを蹴って
マクシムと結ばれることを選ぶ
のです。
これは本作で唯一納得のいかないところ。
マクシムのピエロのようにおどけた笑顔が
腹立って仕方がない
のです。
この土地の限界を知ったジーマは
外部の人間であるマクシムのほうに憧れたのでしょうか。
ジーマに男を見る目がなかったのは心底残念です。
風に揺れて絡まる洗濯物とか、マジむかつく。

そして、本作のこれまでの全てを
文字通り吹き飛ばすラストシーン。

突然巨大な爆発音が響き渡ったかと思うと
巨大なキノコ雲が立ち上がり、爆風と土煙が襲ってきます。
肉体がはじけ飛ぶ描写こそありませんが
それまでの詩的で美しい映像とはうってかわって
すべてが破壊されていくさまを具体的かつ露悪的に見せつけます。
あまりの唐突さに唖然となること必死ですが、
小さな生活の営みがすべて台無しになる瞬間というのは
こういうことなのかもしれません。
羽根が散乱した地面の先に
小さいテーブルが映し出されるオープニングの映像は、
爆発後の世界
だったのです。

本作のベースとなっているのは
1949年、旧ソビエト連邦のセミパラチンスク核実験場で行なわれた
原子爆弾の爆発実験

なんと周囲の住民には避難勧告が出されなかったそうです。
とはいえ、本作は単純に核兵器の脅威を訴えるというより
もっと普遍的な終末観や人間の叡智がもたらす不条理などを
含みもっているような気がします。

とはいえ、慎ましい生活のなかの小さな喜びも
少女の美しさも
一瞬にして破壊してしまう核兵器は
悪としかいいようがありません。
こんなもんの「実験」で
人生を台無しにされたくないやね。



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