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嗤う分身

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(原題:The Double 2013年/イギリス 93分)
監督/リチャード・アイオアディ 製作/ロビン・C・フォックス、アミナ・ダスマル 原作/フョードル・ドストエフスキー 原案/アビ・コリン 脚本/リチャード・アイオアディ、アビ・コリン 撮影/エリック・アレクサンダー・ウィルソン 美術/デビッド・クランク 衣装/ジャクリーン・デュラン 編集/ニック・フェントン、クリス・ディケンズ 音楽/アンドリュー・ヒューイット
出演/ジェシー・アイゼンバーグ、ミア・ワシコウスカ、ウォーレス・ショーン、ノア・テイラー、ヤスミン・ペイジ、キャシー・モリアーティ、ジェームズ・フォックス

概要とあらすじ
文豪ドストエフスキーの名作「分身」の舞台を近未来的世界に置き換え、「ソーシャル・ネットワーク」のジェシー・アイゼンバーグ&「アリス・イン・ワンダーランド」のミア・ワシコウスカ共演で映画化した不条理スリラー。不器用で気の小さい青年サイモンは、向かいのアパートで暮らすあこがれの同僚ハナを望遠鏡で覗くことだけが楽しみの孤独な生活を送っていた。そんなある日、サイモンの職場に彼と瓜二つのジェームズが入社してくる。しかもジェームズは、サイモンよりはるかに優秀で……。監督は「サブマリン」のリチャード・アイオアディ。「ザ・ダブル 分身」のタイトルで2013年・第26回東京国際映画祭コンペティション部門で上映された。(映画.comより



懐メロを歌い上げる承認欲求

わりと最近だと『複製された男』とかありましたが、
本作もいわゆるドッペルゲンガーものの
『嗤う分身』
設定がややこしいというよりも
演出がややこしい、というかヘンテコな珍品です。

リチャード・アイオアディ監督
本国イギリスでは、コメディアンとしての経歴が華やかだそうで
日本でいうなら、さしずめ……。
ま、いいか。

原作は『ベルトルッチの分身(1968)』と同じく、
ドストエフスキーの『分身(二重人格)』
このふたつの作品を観てもいなけりゃ読んでもいないので
まったく比較ができないのが
あいかわらず情けないところではありますが
おそらく大胆な改編がなされているだろうことは
予想がつきます。

監督自身が
「『アルファビル』や『イレイザーヘッド』にインスパイアされた」
語っている本作は
スチームパンク的レトロフューチャーな世界観です。
フューチャーなんて、軽々しく言ったものの、
本作の舞台が、過去の時代ではないのは明らかとはいえ、
未来かどうかもわかりません。
とにかく、監督がレトロ趣味の持ち主だということは
よーくわかります。

ぶかぶかのスーツを着ているサイモン(ジェシー・アイゼンバーグ)
「大佐(ジェームズ・フォックス)」が牛耳る
なんの仕事かよくわからない会社に勤務していますが
7年も勤めているのに
突然、会社の同僚たちから見知らぬ人間として扱われます。
当然、戸惑うサイモンですが
同僚たちにサイモンの姿が見えないわけではなく、
社員として認められないからゲストとしてしか会社に入れないわりには
仕事をさせられて、挙げ句に出来が悪いと罵られます。
さらには、同僚の中には
ちゃんとサイモンをサイモンとして認識している人物もいたりと、
完全に存在しないものとして扱われているわけではないのが
設定がいい加減なようでいて、
むしろその中途半端さが余計に不条理を際だたせるのです。

内向的でシケてるサイモンは
自宅に帰ると道を挟んだアパートに住む同僚の
ハナ(ミア・ワシコウスカ)のようすを
望遠鏡で覗いているのですが
これはもう、ヒッチコックの『裏窓(1954)』を思い出させ、
飛び降り自殺&望遠鏡を覗いた先に自分の姿を見るという展開は
ポランスキーの『テナント/恐怖を借りた男(1976)』
頭に浮かびます。
ある意味、本作は
ゴダールもしくはタランティーノ的な
サンプリング映画でもあるのではないでしょうか。

7年も勤めているのに社員として認められないし、
老人ホームで暮らす母親はボケてるし、
サイモンが陰々滅々としていると
今度は、サイモンと瓜二つのジェームズが入社してきて、
めきめきと頭角を現しては上司にもてはやされ、
次から次へと目に付く女の子をものにしていくのです。
やがてサイモンは、ジェームズに自我を乗っ取られるかのように
蹂躙されるようになっていくのですが
これは誰もが『ファイト・クラブ(1999)』
思い描くでしょう。

本作の見どころ(日本人にとって)のひとつには
日本の懐メロが使われていることでしょう。
『上を向いて歩こう』が聞こえてくるだけなら
あーはいはい、てな感じですが
いわゆる『スキヤキ』のカバーヴァージョンではなく、
坂本九オリジナルだったりするのに驚いていると
ジャッキー吉川とブルー・コメッツの
『草原の輝き』と『ブルー・シャトウ』
まで。
1977年生まれのリチャード・アイオアディ監督が
リアルタイムで聞いていたわけもなく、
『エド・サリバン・ショー』の再放送で
こういう懐メロに接したそうですが
それにしてもこの選曲……バカなんじゃないの? わはは。
いやいや、面白いんだけど、
我々日本人にとっては
監督が感じているであろう違和感の面白さは
たぶん理解できないのではないでしょうか。
たぶん、この監督は
価値観をずらすのが好きなんでしょう。
こういう選曲に限らず、
本作では音の使い方にかなり強い主張がありました。

サイモンとジェームズは
顔だけでなく服装までまったく同じにもかかわらず、
周囲の人間たちは誰もそれを意に介しません。
かと思えば、見た目が同じだからと
替え玉ができたりするのは
やっぱり設定がいい加減なのか、意図があるのかわかりませんが
とにかく、徐々にサイモンとジェームズの境界線は
うやむやになってきます。


ジェームズは、あきらかに
サイモンの自己承認欲求が実体化したもの。

古い漫画によくある頭の中でやり合う
天使と悪魔と同じでしょう。
(サイモンはグズグズしているだけなので、
 天使とは言えないけれど)
ドッペルゲンガーとかオルター・エゴを
題材にした作品というのは
基本的に同一人物の別人格であって
主人公の心の葛藤を具現化したものです。
そもそも両者は個人の心の中で戦っている存在なのですから
相対したふたつの人格はおのずから戦うことになるのです。

あたりまえっちゃーあたりまえですが
自由奔放に人生を謳歌しているやつが
自分のしみったれた別人格と対峙するっていう、
逆のパターンはありませんね。
別人格を産み出してしまうのは
やっぱり、内的自己と外的自己が乖離しているような
鬱屈した生活を送っている人物なのでしょう。
(そして、そういう人は多い、んじゃないの?)

ラストシーンは
サイモンとジェームズの
どちらが相手を殺し、殺されたのか
はっきりとはわからなくなっています。

これはふたりのどちらかが生き残ったのか、
それともふたりはついに一体化したということを意味するのか……
わかりませんねぇ〜。

いろいろと楽しい作品です。





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