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さよなら、人類

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(原題:En duva satt pa en gren och funderade pa tillvaron 2014年/スウェーデン・ノルウェー・フランス・ドイツ合作 100分)
監督・脚本/ロイ・アンダーソン 製作/ペニラ・サンドストロム 撮影/イストバン・ボルバス
出演/ホルガー・アンダーソン、ニルス・ウェストブロム、ロッティ・トーノルス、オラ・ステンソン、ケナス・ゲホルン、カルロッタ・ラーソン、ヴィクトル・ギュレンバリ

概要とあらすじ
スウェーデンの奇才ロイ・アンダーソン監督が「散歩する惑星」「愛おしき隣人」に続く「リビング・トリロジー」3部作の最終章として4年の歳月をかけて完成させ、2014年・第71回ベネチア国際映画祭で最高賞の金獅子賞を受賞した不条理コメディ。面白グッズを売り歩く冴えないセールスマンのサムとヨナタンは、行く先々で様々な人生を目撃する。ワインを開けようとした男が心臓発作を起こして絶命するが、妻はそれに気がつかない。また、臨終寸前の老女は宝石が詰まったバッグを天国に持って行こうとして手放さない。一方、18世紀のスウェーデン国王率いる騎馬隊が、現代のバーに現われる。ブラックでシュールなエピソードの数々が、細部まで緻密に計算され尽くした絵画のような39シーンで語られる。日本では、14年・第27回東京国際映画祭ワールド・フォーカス部門で上映されている(映画祭上映時のタイトルは「実存を省みる枝の上の鳩」)。(映画.comより



冷淡な慈愛に満ちた人類コラージュ

『散歩する惑星(2000)』『愛おしき隣人(2008)』に続く
「リビング・トリロジー」3部作の最終章となる
ロイ・アンダーソン監督『さよなら、人類』
……なんですが、前2作を観ていない、オレ……
なんたることよ!
ロイ・アンダーソン監督作品は
『スウェーディッシュ・ラブ・ストーリー(1971)』
観たことがあるものの、憶えているのは
ヒロインの少女が履いていた白いミニスカートのみ!
(↑ものすごく殺傷能力が高いのだよ)
まあ、そんなことをいまさら嘆いても仕方がない。
とにかく、予告編を観てコロッとやられた僕は
ほとんど予備知識を持たずに映画館へと向かったのです。

まず驚くべきは、本作が
「Studio 24」というロイ・アンダーソン監督自前のスタジオで撮影され、
全編がセットと書き割りだということ。
狭い室内ならまだしも、馬を引き連れた軍隊の行進や
線路沿いのシーンなど、セットとは思えない奥行きを感じます。
ただ同時に、セットならではの閉塞感も感じ、
フィックスされたカメラによるワンシーン・ワンカットのエピソード
空間や色調のすべてがロイ・アンダーソン監督によって
コントロールされた箱庭的世界だとわかります。

大小さまざまなシーンが断続的に綴られる本作は
一貫した物語のようなものがあると思っていると混乱します。
そもそも全編を通した脚本というものがないんだそうで、
監督は、さまざまなシーンのアイデアをスケッチし、
絵コンテをスタジオの壁に貼って、
スタッフと一緒に順番を入れ替えたりしながら
本作を作っていったんだとか。(4年かけて!)

もちろん、全体に通底するテーマのようなものは
存在してしかるべきなのですが
ひとつひとつのモチーフに関連性はありません。
とかいいながら、
面白グッズを売り歩くヨナタン(ホルガー・アンダーソン)
サム(ニルス・ウェストブロム)の凸凹コンビが
狂言回し的存在として繰り返し登場するもんだから
なんか繫がってそうな雰囲気だけがあるので
より一層混乱するのです。

アヴァンタイトルで
博物館で動物の剥製を眺める男が登場。
なんだかちょっと苛立っているような付き添いがひとり。
奥には恐竜の骨が見えます。
もしかしたら、このシーンは
本作の本質的な部分を宣言しているのかもしれません。
本作は人間の剥製を眺めるようにしてつくられていると。

最初に「死との出会い」という
3つのスケッチ(モンティ・パイソンでいうところのコント)が
登場します。
その1は、ワインの栓を抜こうとしていたら心臓発作を起こしてしまう男。
そのことに気がつかない妻はキッチンで鼻歌を歌っています。
その2は、臨終間近の老女が貴金属の入ったバッグを握りしめて離さない
というお話。
その3は、フェリーの食堂。
突然倒れて死んでしまった男性が注文したサンドイッチとビールを
「どなたかこの食事を食べたい人、いませんか」というもの。
その2の老女はまだ死んでいませんが、
どれも自分の死に対する周囲の冷淡さを描いているように思います。
死は突然訪れるし、悲しいことではありますが、
こんなふうに、わりとあっさりしたもんだよと
言っているような気がします。

このように、チャプター分けされた構成で進んでいくのかと思いきや、
それ以降は最初のエピソードとは関係なく進んでいきます。
女性フラメンコ教師のダンサーに対するしつこいアプローチの間とか
最高に面白いのですが
それが一体、なにを言わんとしているのかは常に不明です。
その後ようやく、面白グッズセールスマンのサムとヨナタンが登場して
なにかしらひとつのお話がはじまるのかというと、
そうでもありません。

ベランダでシャボン玉を飛ばして遊ぶ二人の少女や
ベビーカーの赤ちゃんをあやす女性、
砂浜でいちゃつくカップル、
窓辺でタバコをふかす男に寄り添う女、
ダウン症の少女が発表会で詩を読むシーンなどは
一回こっきり登場するだけで、
他のシーンとの物語的な関連性はまったくありません。
これらのシーンにかろうじて共通するように思えるのは
言葉に出来ない多幸感です。

笑わせたいのか考えさせたいのか、
よくわからないシーンが多いのですが
どうやら恋に落ちたと思われる二組のカップルの片割れ同士が
熱烈なキスをしているバーに
突然、18世紀のスウェーデン国王(ヴィクトル・ギュレンバリ)が
馬ごと店内に入ってくるシーン
のサイズ感の異様さは特筆すべきでしょう。
なにやら、かのスウェーデン国王カール12世は
右翼団体のシンボルになるほどマッチョな男だとされているらしく、
その反面、同性愛疑惑もあるようで、
それがハンサムなバーテンを誘惑するシーンで揶揄されているんだとか。

終盤に向けて、表現は徐々に辛辣に。
なにかの研究室で
わけのわからない機械を取り付けられた猿が登場したときには
笑ってしまいましたが
その後ろで科学者らしき女性が携帯電話で話しているあいだ、
時折、電気ショックを与えられた猿がぎゃっ!と悲鳴をあげるのです。
一体、なんの研究なのかさっぱりですが
電話中の女性の呑気さと猿に対する虐待とのギャップが
ものすごく居心地悪い気分にさせます。
(あとから調べてわかったことですが、
 あれは「シルバースプリング・モンキー」なのか)

さらに別のシーンでは、
巨大な樽にラッパをつけた装置が登場し、
アフリカ人たちが次々とその樽の中へと押し込められたかと思うと
その巨大な樽の下に火が放たれます。
熱くて苦しむアフリカ人たちがもがくと
巨大な樽はゆっくりと回転し始め、
ラッパからはアフリカ人たちの呻き声が音楽のように漏れてきます。
そのようすを、まるでオペラでも観劇するかのように
正装した老人たちがシャンパンを飲みながら鑑賞するのです。
老人たちの給仕役はヨナタンでした。

本作では、
電話で話す(もしくは伝言を残す)シーンがたびたび登場し、
「元気そうで何より」という言葉が繰り返されます。
これはなんでしょうか。
相手を気遣う言葉には違いないものの、
頻繁に顔を合わせるわけではない疎遠な関係も想像させます。

人類の愚かさをシニカルに糾弾しつつ、
それでもまだ完全には絶望していない慈しみも感じられ、
人類のさまざまな側面をコラージュしたような作品でした。







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