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野火

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(2014年/日本 87分)
監督・製作・脚本・編集/塚本晋也 原作/大岡昇平 撮影/塚本晋也、林啓史 音楽/石川忠
出演/塚本晋也、リリー・フランキー、中村達也、森優作、中村優子

概要とあらすじ
1959年に市川崑により映画化された大岡昇平の同名小説を塚本晋也の監督、脚本、製作、主演により再び映画化。日本軍の敗北が濃厚となった第二次世界大戦末期のフィリピン戦線。結核を患った田村一等兵は部隊を追放され、野戦病院へと送られる。しかし、野戦病院では食糧不足を理由に田村の入院を拒絶。再び舞い戻った部隊からも入隊を拒否されてしまう。空腹と孤独と戦いながら、レイテ島の暑さの中をさまよい続ける田村は、かつての仲間たちと再会する。戦場という異常な空間で極限状態に追い込まれた人間たちが描かれる。共演にリリー・フランキー、俳優デビュー作の「バレット・バレエ」以来の塚本監督作品への参加となるドラマーの中村達也。(映画.comより



人間を人間でなくすもの、それが戦争

10年前にはすでに企画されていたという、
塚本晋也監督の『野火』。

本作は、戦後70年となる今年に狙いを定めて作られたわけではなく、
できるだけ大規模な作品にしたいと考えていた塚本監督は
映画製作に充分な資金が集まるまでは作らないと
決めていたそうですが、
時が経つにつれて
戦争体験者がいなくなってしまうのと反比例するかのように
(場合によってはこれ幸いとばかりに)
どんどんきな臭くなっていく日本の現状を危惧し、
今こそ『野火』を作らなければいけないと考えたそうです。
結果的に、塚本監督らしいDIY精神溢れる制作方法となり、
本来なら有名な(客を呼べる)俳優に演じさせたかった主役を
自らが演じることとなったのです。

ところが、たとえそれがケガの巧妙だったとしても、
塚本監督が演じる田村一等兵
過酷なジャングルを生き延びるという
根源的な欲求のために彷徨いうろたえる姿が、
映画製作の困難を前に、それでも本作を作らなければならないという
塚本監督自身の切羽詰まった使命感が乗り移ったかのようにみえます。
それはとくに、何度もクローズアップされる
塚本監督の鬼気迫る表情、というか顔そのものにおいて、
これは田村なのか塚本なのか、判別できなくなるほどの
憑依現象として目に映るのです。
もはや本作を観終わったあとでは、
田村一等兵を演じるのは塚本監督以外に考えられません。

さて、あらかじめ
本棚の奥の奥で眠っていたウン十年前の文庫本を探し出して
原作をおさらいしていたのですが
本作はちょっと拍子抜けするほど原作に忠実でした。
本作を市川崑版『野火(1959)』のリメイクではない
宣言していた塚本監督ですが
原作の構成を大きく改編するつもりもなかったようです。
大岡昇平の原作のキリスト教色を最小限の表現に留めているのは、
特定の宗教観がでるのを避けたためでしょうか。

結核を患った田村一等兵が部隊から野戦病院行きを命じられ、
野戦病院から門前払いにされて、仕方なく部隊に戻ると
また追い返される、という冒頭のシーンは
まるでコメディみたいですが、
田村にはすでに居場所がなく、
彼は兵士でありながらなにものにも所属しない存在なのです。
あとから田村の部隊が全滅したと聞かされてそれは決定的になりますが
田村には依るべきものがないと同時に自由でもあるのです。
それはすなわち徹底的な孤独をもたらします。

爆撃によって野戦病院が燃え上がった時点で
田村に狂気が芽生え始めていましたが
ゴーストタウンとなった海辺の集落で
野犬を銃剣で刺し殺し、
教会でフィリピン人の女性を射殺してしまったことが
田村にとってトラウマになり、狂気を加速させます。
とくに説明はありませんでしたが、
田村が銃剣を使うのも、人間を射殺するのも
これが初めてだったのです。

本作でもっとも戦場の狂気が描かれるのは
パロンポンへ行けば助かると思っていた日本兵たちが
真夜中に米軍の目を盗んで道を渡ろうとするシーン。
原作では、この場所は膝まで埋まるような沼地で
行くも地獄、帰るも地獄という場所なのですが
突然、かっとサーチライトに照らされたかと思うと
米軍の銃撃が始まり、
後ろ向きの『プライベート・ライアン』ともいうべき、
地獄絵図
が繰り広げられます。
彼ら日本兵は、すでに国のために命を投げ打つ兵士ではなく、
敵国と戦ってすらいません。

頭は吹っ飛び、手足はちぎれ、内臓があふれ出す……
塚本監督の真骨頂ともいうべきこのゴアシーンは
痛みや嫌悪感を優先して作られているように感じます。
それは単に、えげつないものを露悪的に表現したわけではなく、
戦争ってこういうことだよ、と
戦争に対する抽象的なイメージを
肉体の感覚に引き戻すための表現
ではないでしょうか。
そして、おそらく実際の戦場は
本作の比ではない、さらなる地獄絵図だったのでしょう。

本作のもっともおぞましい部分は、カニバリズムです。
とはいえ、このような極限の状況で
人間が人間を食べるなんてとんでもない、という
倫理的な発想がもはやまかり通るとも思えません。
「オレがお前を殺して食うか?
 お前がオレを殺して食うか?」
というセリフがありましたが、
やらなければやられるという状況なのです。
すでに人間ではないのです。
人間を人間でなくすもの、それが戦争なのでしょう。

あえて、ないものねだりをしてみれば
飢餓が極限に達した田村がみる
「わたしを食べていいわよ」と花がささやく幻想シーン
もう少したっぷり観たかったという気がします。
塚本監督もできるもんなら描きたかったんじゃないかと
勝手に邪推してみたくなるのですが、
あのシーンは『ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日(2012)』
「ミーアキャットの島」に相当するシーンのはずなので
田村が此岸と彼岸を彷徨うさまを
サイケデリックな映像で観てみたかったとは思いました。
また、原作のラストで
帰国した田村が精神病院にいて
チャラい医者と田村の間でくりひろげられる、
どっちが正気でどっちが狂気なのかというくだりを
観てみたかった気はします。
ま、ないものねだりですよ。

さりとて、本作が
このタイミングで公開されたことの意義はとても大きいように思います。
「とにかく戦争反対!」と叫ぶひとたちもいれば、
なかばそれをお花畑な発想だと冷笑しつつ、
軍備拡充を訴える人もいるなかで
ところで、戦争ってこういうことだよと
いまさらながら改めて提示して見せた本作からは、
塚本監督がいま感じている危機感が伝わってきます。

ヘラヘラした悪人をやらせたら上手いね、
リリー・フランキーは。







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