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パラダイス 神

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(原題:Paradies: Glaube 2012年/オーストリア・ドイツ・フランス合作 113分)
監督・製作/ウルリッヒ・ザイドル 脚本/ウルリッヒ・ザイドル、ベロニカ・フランツ 撮影/ボルフガング・ターラー、エドワード・ラックマン 美術/アンドレアス・ドンハウザー、レナーテ・マルティン 編集/クリストフ・シェルテンライプ
出演/マリア・ホーフステッター、ナビル・サレー

概要とあらすじ
オーストリアのウルリッヒ・ザイドル監督による「パラダイス3部作」の第2作。第1作に登場したテレサの妹アンナ・マリアを主人公に、愛を求めてイエス・キリストに過剰なまでの信仰を寄せる姿を、シニカルな笑いを織り交ぜながら描く。大きな聖母マリア像を携えて布教活動に励むアンナ・マリアは、日常の全てをイエス・キリストにささげることに喜びを見出していた。ところが、イスラム教徒の夫ナビルが2年ぶりに帰宅したことから、彼女の日常は狂いはじめる。アンナ・マリア役に「ドッグ・デイズ」のマリア・ホーフステッター。2012年・第69回ベネチア国際映画祭で審査員特別賞を受賞。日本では13年・第26回東京国際映画祭ワールド・フォーカス部門で3部作が上映され、14年劇場公開。(映画.comより



自分も他人も救えない宗教。

ウルリッヒ・ザイドル監督「パラダイス3部作」の第2作、
『パラダイス 神』

第1作の『パラダイス 愛』
奔放なセックスを謳歌しようとする女性が
コミカルかつ悲哀を込めて描かれていましたが、
本作はそれとは真反対。
禁欲的なカトリック原理主義者がヒロインです。
観ようによってはシニカルな笑いをもたらすシーンもあるけれど
全体を通していびつでシリアスな物語が続きます。

『パラダイス 愛』のヒロイン、テレサが
バカンスの間、娘と飼い猫を預けたのが
テレサの妹で本作のヒロイン、
アンナ・マリア(マリア・ホーフステッター)
テレサは障害者施設で働く女性で
バカンスで行ったケニアで黒人男性を買ううち、
無自覚だった差別意識が浮き上がってくるものでしたが
アンナ・マリアは病院に勤務し、
人間ドックかなにかの助手のようなことをしています。
彼女がカトリックの敬虔な信者だということをふまえれば
神が作ったとされる人間の肉体を
医学をもって検査・治療する病院
で働いていることが
ものすごい皮肉だとわかります。

休暇中のアンナ・マリアがやることは
移民が暮らす家を訪問して、布教に努めること。
追い返されたり、反論されたりしますが、
彼女はまったくめげません。
なんせ、彼女にとって
キリストに反撥する人たちは罪人だからです。
たとえ乱暴なことをされても赦してあげなければなりません。
しかも、マリア像を抱いて他人の家に上がり込むアンナ・マリアは
相当ずうずうしくも厚かましい。
自分が正しいと思い込んでいる人間の傲慢さが表れています。
根本的に他人に対する敬意がなく、排他的なのです。

実体験でいうと、
通りすがりで突然顔の前に手をかざされて振り払うと、
「神に失礼です」といわれたことがあるし、
他人の施しで生活しているはずの寺の坊主に
「飯は喰えとるんか?」とバカにされたこともあります。
自分ひとりでやっているうちは当人の自由ですが
自分の価値観を他人に押し付けてくるから
やっかいなのですよ。
ひいては、自分たちの意に沿わない人間を
抹殺しようとまで考え始めます。

キリスト教なんて、「処女懐胎」だけで
バカじゃないのファックオフ
なはずなんですけど、
信じるものは救われるのか、信じるものは騙されるのか、
宗教というファンタジーの世界の住人は
都合の悪い論理破綻は軽々と無視する能力を兼ね備えています。

性の快楽を嫌悪するアンナ・マリアが
キリストから赦しを得るときには
自分の身体を鞭打ったり、家中を膝歩きしてみたりしますが
これはあきらかに彼女になんらかの「快楽」をもたらしているはず。
彼女はどうみてもキリストに恋をしているのですが
やがて十字架を股に挟んでオナニーまでするのです。
公園で乱交パーティーをしていたやつらと比較して
どっちが変態なんだよ、というわけです。

アンナ・マリアの生活がややこしくなるのは
夫のナビル(ナビル・サレー)が2年ぶりに戻ってきてから。
事故で両脚が不自由になったナビルが
なぜ2年前に出て行き、突然戻ってきたのかは
よくわかりませんでしたが
ナビルは身のまわりのことを何一つ出来ないくせに
まるでだだっ子な子供のようにアンナ・マリアにまとわりつき、
あれやこれやと要求するのです。
アンナ・マリアもうっとうしいけれど、
ナビルも劣悪に超ウザく、
どちらにも肩入れできません。

どうやらアンナ・マリアは
ナビルが不在の間にカトリックに傾倒したようで
イスラム教を信仰するムスリム移民のナビルとの諍いは
まるで、現代における
キリスト教原理主義とイスラム教原理主義のいざこざ
象徴しているようにみえます。

傲慢な甘えん坊のナビルにレイプされそうになったアンナ・マリアは
ついに耐えかねて、
「どれだけ私に罰を与えればいいのよ!」と
キリストに唾して、鞭打つ
のでした。

自分も他人も救えない宗教。
それでもまだ信仰は必要なのでしょうか。



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