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豚小屋

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(原題:Porcile 1969年/イタリア 98分)
監督・脚本/ピエル・パオロ・パゾリーニ 撮影/トニーノ・デリ・コリ、アルマンド・ナンヌッツィ 音楽/ベネデット・ギリア 衣装/デザインダニロ・ドナティ
出演/ピエール・クレマンティ、ジャン=ピエール・レオ、アルベルト・リオネロ、ウーゴ・トニャッツィ、アンヌ・ビアゼムスキー、マルコ・フェレーリ、フランコ・チッティ

概要とあらすじ
人肉を喰う飢えた若者と、豚とのセックスの果てに豚に喰われてしまう若者。この二つの話が、同時進行のかたちで描かれるという、ユニークな構成をもった作品。監督・脚本は、「王女メディア」のピエル・パオロ・パゾリーニ、撮影は「世にも怪奇な物語」のトニーノ・デリ・コリと「天使の詩」のアルマンド・ナンヌッティ、音楽は「続さすらいの一匹狼」のベネデット・ギリア、衣裳はダニノ・ドナティがそれぞれ担当。いつの時代のことかわからない。荒涼とした火山灰地の高地に、ひとりの若者(P・クレマンティ)がいた。飢え、やせこけたその若者は、蝶や蛇にむしゃぶりついていた。火縄銃と兜をひろい、歩きつづけていた若者は、やがて兵士の一団と出会った……(映画.comより抜粋



最後に笑うのは豚なのか

ああ、まためんどくさい映画を観てしまった……
ピエル・パオロ・パゾリーニ『豚小屋』
数々のメタファに彩られたふたつの寓話的世界を
交互に行き交いながら、
これまた隠喩に満ちた詩的なセリフによって語られます。
そこには、歴史的背景と政治的イデオロギーが隠され、
ファシズムに取って代わった資本家という権力者の欺瞞に対する批判
大いに込められている……
ということくらいは、無学な僕でも観ればわかります。
タイトルの『豚小屋』の「豚」とは、
「資本家の豚ども」と左翼が叫ぶときの「豚」であることも
察しが付きますが
それぞれのモチーフや映画全体に込められた意味を
一見して「はいはい、あれのことね」と
理解するのは困難でした。
というわけで、「ピエル・パオロ・パゾリーニ傑作選DVD」
付録にあった四方田犬彦氏の文章を参照しながら
自分なりに考えたいと思います。

交錯するエピソードのひとつは
岩と砂が支配する荒涼とした火山灰地で
蝶を食べ、蛇を食べる男(ピエール・クレマンティ)
登場する中世の時代。
彷徨う男は、やがて倒した敵の首を狩り、
残った肉体を食べるのです。
いつしか仲間を得た男は
通りがかりの女をレイプしたあとで食べてしまいます。
それを陰から目撃した農夫が村に帰って報告すると、
村は自警団を結成して
食人集団を征伐するために、囮として
全裸の男女を荒野に放置します。
全裸で佇む男女のペアは、まるでアダムとイブのようです。
村人たちは見事食人集団を捕らえ、処刑しようとしますが、
仲間が見苦しくも許しを請うなか、
最初の男だけは目に涙を溜めながらも毅然とした態度で
こういうのです。
「自分は父を殺し、人間を食べ……
 しかも喜びに満ちている」


もうひとつのエピソードは、西ドイツ。
資本家の息子ユリアン(ジャン=ピエール・レオ)
やはり資本家の娘イーダ(アンヌ・ビアゼムスキー)
結婚するのしないのと問答を繰り広げています。
どうやらイーダのほうはユリアンとの結婚に積極的ですが
ユリアンはイーダのアピールをのらりくらりとかわし、
まったくその気がないようです。
25歳になるユリアンはキスの経験もなく、
やがて意識はあっても身動きが取れない病に冒されることから
去勢された若者を象徴しているのかもしれません。

ちょびひげをたくわえて、
あからさまにヒトラーをイメージさせるユリアンの父親クロツ
幼なじみで商売敵の実業家ヘルディツェを貶めるために
ヘルディツェがナチスに加担した過去を暴露しようとするものの、
ヘルディツェは、ユリアンが「豚小屋」に通い詰め、
豚を獣姦していた事実
を引き替えに脅迫してくるのです。
そこで手打ちとなった二人の実業家は事業を合併することに。
合併を祝うパーティーに農夫たちがやってきて、
そのうちのひとり(食人集団の蛮行を目撃した農夫と同じ)が
ユリアンが豚小屋で豚に跡形もなく食べられて死んだと告げます。
するとヘルディツェは、「誰にも言うなよ」
人差し指を口に当てて、FIN。

食人や獣姦という人間の理性を超えた行為が描かれながらも
直接的な表現はなく、露悪的ではありません。
ふたつのエピソードは全く共通点がないようにも思えますが
食人してまでも野性的に生きる若者と
去勢された挙げ句に懐柔される若者
とを
対比しているのではないでしょうか。
そのどちらも当然のように死を迎えるのですが
そこにはある種の絶望が反映されているのかもしれません。
とくに、豚(=資本家)を犯していたユリアンは
資本家の父に対するささやかな反抗を示していたのですが
そのささやかな反抗すら父によってもみ消されてしまう
(すなわち豚に食べられて死ぬ)のでは
反抗そのものの無力さを感じざるを得ません。

映画が作られた1960年代末は、世界的に学生運動が盛んで
パゾリーニ自身もマルクス主義に傾倒していたことから
自由資本主義に対する批判が強く描かれています。
ゴダールをはじめとする、政治的問題に敏感な表現者たちは
(というか、政治的問題を密接に感じていた時代は)
自由競争に基づく資本主義の台頭に懸念を感じ、
社会主義的な発想に傾いていたのは事実でしょう。
そして、社会主義は歴史的に完全な事実上の敗北を
迎える結果となっています。
だからこそ、1960〜70年代のマルクス主義的思想に基づいた
政治姿勢や表現にルサンチマン的な幼稚さが
みられるのも事実だと思います。

それでも、巡り巡って
社会主義を駆逐して、自由資本主義を邁進するアメリカでは
1%の富裕層が99%を牛耳っているという現実は
本当に「自由」な社会の実現を意味するのでしょうか。
……あまり深く潜ると、バカがばれるので
このあたりで。





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