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アメリカン・スナイパー

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(原題:American Sniper 2014年/アメリカ 132分)
監督/クリント・イーストウッド 製作/クリント・イーストウッド、ロバート・ローレンツ、アンドリュー・ラザー、ブラッドリー・クーパー、ピーター・モーガン 原作/クリス・カイル、スコット・マクイーウェン、ジム・デフェリス 脚本/ジェイソン・ホール 撮影/トム・スターン 美術/ジェームズ・J・ムラカミ、シャリーズ・カーデナス 衣装/デボラ・ホッパー 編集/ジョエル・コックス、ゲイリー・D・ローチ 視覚効果/マイケル・オーエン 海軍技術顧問/ケビン・ラーチ
出演/ブラッドリー・クーパー、シエナ・ミラー、ルーク・グライムス、ジェイク・マクドーマン、ケビン・ラーチ、コリー・ハードリクト、ナビド・ネガーバン、キーア・オドネル

概要とあらすじ
「ミリオンダラー・ベイビー」「許されざる者」の名匠クリント・イーストウッドが、米軍史上最強とうたわれた狙撃手クリス・カイルのベストセラー自伝を映画化。米海軍特殊部隊ネイビー・シールズの隊員クリス・カイルは、イラク戦争の際、その狙撃の腕前で多くの仲間を救い、「レジェンド」の異名をとる。しかし、同時にその存在は敵にも広く知られることとなり、クリスの首には懸賞金がかけられ、命を狙われる。数多くの敵兵の命を奪いながらも、遠く離れたアメリカにいる妻子に対して、良き夫であり良き父でありたいと願うクリスは、そのジレンマに苦しみながら、2003年から09年の間に4度にわたるイラク遠征を経験。過酷な戦場を生き延び妻子のもとへ帰還した後も、ぬぐえない心の傷に苦しむことになる。イーストウッド監督とは初タッグのブラッドリー・クーパーが、主演兼プロデューサーを務めた。(映画.comより



プロパガンダ? 反戦? 娯楽?

アメリカでは、
クリント・イーストウッド監督作品史上、
最大のヒットといわれている
『アメリカン・スナイパー』
ついこの前、『ジャージー・ボーイズ』
公開されたばっかりのような気がするけれど
イーストウッド監督は齢84にして
ますます意気軒昂なご様子。で、なにより。

アメリカでは、本作が公開される前から
プロパガンダだ、いや、反戦だと、
意見を二分する大論争に繫がったそうですが、
映画を観る前から何を言っても始まらないでしょうにね。
とにかく、図らずも(?)炎上マーケティングに成功した本作が
大ヒットするのは当然なのです。

少なくとも、イーストウッド監督が
第二次世界大戦におけるひとつの戦闘を描くときに
相対する立場を両論併記するかたちで
『硫黄島からの手紙(2006)』
『父親たちの星条旗(2006)』を撮ったことを考えれば、
右でも左でも敵でも味方でも、
偏った思想をもとに映画を作るとは思えません。
ましてや戦争を賛美したり、兵士を英雄扱いするような映画を
作るはずがないので、
本作は、やっぱ戦争っておかしいよねという事実を
淡々と積み上げたうえでの
反戦映画なんだろうなと思います。
ただ、僕にはそれが
うまくいっているとは思えませんでした。

ブラッドリー・クーパーが演じる狙撃手、
クリス・カイルは実在の人物で
彼が書いた手記『ネイビー・シールズ 最強の狙撃手』
本作の原作ですが
映画化の企画がスタートした直後、
本作のラスト・シーンのように
クリス・カイルが死んでしまったため、
脚本変更を余儀なくされたのだとか。
この事実は、本作を締めくくるにあたって
大きく影響を及ぼしたのではないでしょうか。
本作では、主人公が最後には死んでしまうことが
重要
だと思われるのですが、
もし現実のクリス・カイルが生きつづけていたら
どんな結末になったのでしょう。

幼少期に父親から銃の扱いを習い、
カウボーイに憧れているクリスは
古式ゆかしきアメリカン・マッチョ。
基本的にかなり好戦的だと思われます。
家族の安全を守ることを第一義としているように思えますが
「神、国、家族」というように
家族の優先順位は最下位で
上位になるほど抽象性を帯びるのは
アメリカンなフロンティア精神を正当化するための
大義名分としてだからではないでしょうか。
クリスは、アメリカ大使館が襲撃されたニュースを見て
ネイビー・シールズ入隊を決意するのですが
それまでの彼は、30歳にもなって
ロデオで稼ごうとしているようなボンクラ
なので、
もともと確固たる思想などありません。
クリスは
「人間には、羊、狼、番犬の3種類がいる。
 お前らは番犬になれ。」

という父親の教えを忠実に信じているのですが
番犬って、嬉しいか? 飼い主は誰だよ?

クリスは、9.11の映像をテレビで観た後、
イラクに派兵されていますが
アメリカが報復の動機とした事実が誤りだったことには
言及されていません。
また、クリスはイラクの武力組織のことを
「野蛮人」だと罵り、
彼らを殺す理由を神に説明できるとまで言います。
それ自体は、問題ありません。
主人公の主張することが
そのまま映画の主張であるはずもなく、
主人公(=アメリカ)が勝手にそう定義していることを
反面教師的に表現することも可能なのですが
本作に登場するイラクの武力組織は
ドリルで子供の頭部を貫き、
捕らえた人間を天井から吊して拷問し、
切り取った頭や手足を棚に並べていたり
と、
文字通り野蛮な行為を行なっているので
観客に対して、彼らは野蛮人だと裏付けているとしか思えず、
すなわちそれは、彼らは殺して然るべき相手だと
言っているように受け取られても仕方がないので
必要なかったんじゃないでしょうか。

また、このようなアメリカの報復が
イスラム圏の反米勢力を鎮圧するどころか、
むしろ拡大させている
のは現実が証明済みで、
僕たち日本人も、一部の過激な組織への
対処の難しさを思い知らされたばかりですが
敵を駆逐すること自体の虚しさや
それどころか逆効果となりうる現実を
的確に表現できているとは思えません。

もっともクリスの狂気を感じたのは
最後に家を出る前のクリスが
妻のタヤ(シエナ・ミラー)に向かって
おどけながら銃を向けるシーンです。
たとえ弾が入っていなかったとしても
銃口をひとに向けるなど、あり得ません。
ましてや、妻に。子供がいる前で。
このシーンではクリスが罰を受けるべき人間であること
表明されています。

殺されたのか、事故なのか、
映画でははっきりわかりませんでしたが
ラストは実際の映像も交えた、
クリスの大々的な葬儀の模様が流され、
長々とした無音のエンドロールで本作は終わります。
なにかしらのカタルシスが頂点を迎えた直後に、
この無音のエンドロールがあったとしたら
感慨に耽ったかもしれませんが、
軍を挙げての葬儀シーンのあとでは
まるで黙祷を強要しているようにも受け取れます。

よっぽどの映画マニアでないと
わかるはずもないのですが
「映画秘宝 2015年4月号」の特集記事によれば
葬儀のシーンで流れていた音楽は
『続・荒野の1ドル銀貨(1965)』という
マカロニ・ウエスタンに登場する、
エンニオ・モリコーネによる曲で
南北戦争から帰ってきた主人公(ジュリアーノ・ジェンマ)が
戦死したことにさせられ、
アメリカ国旗に包まれて運ばれる自分の棺を
見てしまうというシーン
に使われているそうで
それを踏まえれば
あのラストシーンには痛烈な皮肉が込められていたと
考えざるを得ませんが
それならそれで、
クリスがそもそも持っている狂気や
PTSDによって正常な生活を送れない状態を
さらに強く表現してくれれば

大々的な葬儀のシーンをみて、
そんなに英雄として扱うのかよ〜という複雑な感情が
自然と湧き上がってくるはずで
あまりにも淡々と事実を映し出したあとに
なにやら意図的な無音状態を突きつけられると
困惑してしまいます。

戦闘シーンは娯楽的ではありましたが
類似する『ハート・ロッカー』
『ゼロ・ダーク・サーティー』の緊迫感には及びませんでした。
敵側に、元オリンピック選手のスナイパーがいて
彼にも妻子がいるという設定は
クリスのライバルを作るうえでは
巧妙な設定だったとは思いますが
ベトナム戦争を描いたキューブリック監督の
『フルメタル・ジャケット』におけるベトコンスナイパーが
まったく姿を見せず、
ラストになってやっと姿を現したと思ったら
少女だった
という描き方のほうが
何のために、誰と戦っているのかわからない
無益な戦争の実態を的確かつ効果的に表現していると思います。

戦争娯楽活劇として観たほうが
いいような気もしますがそんなわけにもいかないか。
それにしても、
あんなに一目で人形だとわかる赤ん坊を見たのは
久しぶりでした。





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コメント

自分もアメリカンスナイパーを見ました。
貴方がまとめたように、この映画は戦争をテーマにしていますが、その焦点がその正義への信仰もしくは批判にないことは明らかだと思います。カイルという人間を通じて、戦争について見た人間に考えさせようとしているのだと思うのです。

その意味で、あの無音のエンドロールは、彼の人生を2時間淡々と追ったクリントウッドから押し付けるような意思はなく、むしろ自分の意思を持つ機会が奇抜なやりかた与えられているのではないでしょうか。
無音=黙祷の教養ではないと思うのです。
(この映画はアメリカ人かそうでないかで感想を得る上での各々の背景が違うでしょうし、彼を派手に追悼した実際の映像を見せた後だからこそ、その意義が全アメリカ人に問われているとアメリカ人は受け取ると推察します。)

また、クリスが正常な生活を送れていないことをもっと強調しなければ道理が通らないという貴方の意見に関してですが、
自分はクリスが殺される前の最後のシーンで、妻に銃口を向ける、しかもその銃に玉を込めているシーンからもより一層、彼の狂気が一番強く描かれていたと思います。あのシーンこそ、2度とカイルがまともな精神で生活できていないことの証でしょう。
彼が車に乗り込むシーンはこの映画で始めて視点がカイルから彼の妻に変わります。その時に見る側は彼の終わりを感じるのです。

最後になりますが、
この映画はもともと彼の自伝を元に作られたもので、それと映画には多少の違いがあります。彼は序盤の狙撃シーンで子供は撃ってないと言っていますし、そもそもドリルで頭を破壊するて敵は作り物です。ライバルとなる狙撃手も、わざとオリンピックの写真を見せるなど存在感を強調する演出がありました。これらは全て原作から脚本に昇華させる時点で書き換えた、もしくは付け加えたものでしょう。的の存在がリアルになることで見る側も西部劇のような単純な設定に入り込めます。
この映画は脚本が中でも高く評価されています。その意義に関して疑問を持つのはそれぞれですが、意味がなかったとは言い切れないでしょう。

私はこう考えました。

批判なり返答なり、反応を返していただければ幸いです。

2015/04/14 (火) 16:26:02 | URL | ひゅーい #- [ 編集 ]

Re: タイトルなし

> ひゅーいさん
コメントありがとうございます。
誤字脱字が多く、難解な文章なので理解するのに苦労しましたが。。。

> カイルという人間を通じて、戦争について見た人間に考えさせようとしているのだと思うのです。
=そうですよ。

> 無音=黙祷の教養ではないと思うのです。
=そうですか。僕には黙祷にしか受け取れません。

> (この映画はアメリカ人かそうでないかで感想を得る上での各々の背景が違うでしょうし、彼を派手に追悼した実際の映像を見せた後だからこそ、その意義が全アメリカ人に問われているとアメリカ人は受け取ると推察します。)
=まったく意味がわかりません。あなたはアメリカ人ですか?

> 自分はクリスが殺される前の最後のシーンで、妻に銃口を向ける、しかもその銃に玉を込めているシーンからもより一層、彼の狂気が一番強く描かれていたと思います。あのシーンこそ、2度とカイルがまともな精神で生活できていないことの証でしょう。
=そう書いてますよ。

> これらは全て原作から脚本に昇華させる時点で書き換えた、もしくは付け加えたものでしょう。
=イーストウッドは徹底的に取材することで有名で、そういう盛りかたはしないと思いますよ。
フィクションなのは、敵の狙撃手が元オリンピック選手という設定だけです。

> 西部劇のような単純な設定に入り込めます。
=それが批判の対象になっているんですけど。

> この映画は脚本が中でも高く評価されています。
=それがどうかしましたか?

> その意義に関して疑問を持つのはそれぞれですが、
=じゃあ、それぞれでいいじゃないですか(笑)

> 意味がなかったとは言い切れないでしょう。
=意味がなかったなんて、どこにも書いてませんが。

2015/04/14 (火) 17:54:49 | URL | のほうず #- [ 編集 ]

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