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毛皮のヴィーナス

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(原題:La Venus a la fourrure 2013年/フランス・ポーランド合作 96分)
監督/ロマン・ポランスキー 製作/ロベール・ベンムッサ、アラン・サルド 原作/L・ザッヘル=マゾッホ 脚本/デビッド・アイビス、ロマン・ポランスキー 撮影/パベル・エデルマン 美術/ジャン・ラバッセ 衣装/ダイナ・コリン 編集/マーゴット・メニエル、エルベ・ド・ルーズ 音楽/アレクサンドル・デプラ
出演/エマニュエル・セニエ、マチュー・アマルリック

概要とあらすじ
その名が「マゾヒズム」の語源にもなったことで知られる、19世紀オーストリアの小説家レオポルド・フォン・ザッヘル=マゾッホの自伝的小説「毛皮を着たヴィーナス」をもとにした戯曲を、「戦場のピアニスト」「おとなのけんか」の鬼才ロマン・ポランスキー監督が映画化。自信家で傲慢な演出家のトマは、オーディションに遅刻してきた無名の女優ワンダに押し切られ、渋々彼女の演技を見ることになる。がさつで厚かましく、知性の欠片も感じさせないワンダだったが、演技を始めてみると、役への理解もセリフも完璧だった。最初はワンダを見下していたトマも次第にひきつけられ、やがて2人の立場は逆転。トマはワンダに支配されることに酔いしれていく。ポランスキー監督の妻でもある女優エマニュエル・セニエがワンダ役を務め、トマ役には「潜水服は蝶の夢を見る」のマチュー・アマルリックが扮した。(映画.comより



本当の自分? 演じている自分?

最近はSMも随分市民権を得ましたよね。
「あたしはSよ」だとか、「おれはMだな」とか、
自己分析してみたりして
まるでライトな性格診断テストのようでもあります。
ま、血液型占いよりはよっぽどマシですが
自分を「S」だという人より「M」だという人のほうが
ちょっぴり可愛げがありませんか?
あ、申し遅れました。僕はMです。

マゾッホの原作『毛皮を着たヴィーナス』を脚色した劇中劇を
演出しているトマ(マチュー・アマルリック)のもとへ
ヒロインと同じ名前のワンダ(エマニュエル・セニエ)
主演女優のオーディションにやってくる
この『毛皮のヴィーナス』
エマニュエル・セニエはロマン・ポランスキー監督の実際の妻で
マチュー・アマルリックは若きポランスキー監督にそっくり
とくれば
ポランスキー監督がトマに自己投影しているのは明白で
劇中劇を演出するトマの物語を監督が演出するという
多重構造
になっています。
映画のトマは、無自覚だったMっ気を刺激され、
ワンダによってそれをどんどん開花させていくので
ポランスキー監督が自身のMっ気を吐露しているかと思いきや、
自分の妻に服を脱がせたり、足を開かせたりするのを
カメラに納めるという行為は
十分、Sっ気によるものだと言えるでしょう。
この映画製作の構造こそが
一筋縄ではいかないSMの不可思議さを表現しています。

並木道をゆっくりとカメラが進むオープニングで流れる曲
サーカスを思い起こすような楽しさと哀しさを兼ね備えた曲で
なんとなく頭の中で3拍子かなと思っているとそうでもない、
ん? 5拍子か? なんて思っているうちに
最初のシーンが始まったのですが
あとから公式サイトをみてみると、なんと9/4拍子とのこと。
ギリシャのリズムだそうですが
演奏するとなると絶対に混乱しそうなリズムです。
この曲はエンディングでも流れます。

脚本家兼演出家のトマが
主演女優のオーディションにバカ女しか来ないと
愚痴りながら帰ろうとしていると
雨に濡れてメイクが流れ落ちていた、
ズタボロの娼婦のような女
がやってきます。
名前を聞けば、役名と同じワンダだと。
遅れてきたというものの、名簿にもその名前が載っていないワンダ
とにかくずうずうしく、自分勝手なことをまくし立てて
なんとかオーディションを受けたがるのですが
そこには頭を下げて懇願するようなようすは一切なく、
クレーマーのごとき態度でトマに詰め寄るのです。
その姿に本気で腹が煮えくりかえります。
しかも、これから無理を頼んで
オーディションをしてもらう立場にありながら
平気で原作の解釈を説明させては異論を挟むので
なんで今、お前と議論しなきゃいけないんだよ!
とっとと帰れ!! この馬鹿女!
 と、
トマに追い払って欲しかったのですが
(それじゃ話にならんのだけども)
もともと気が優しいところがあるのか
トマはしぶしぶオーディションを始めるのです。

すると、なんということでしょう。
自前の衣裳を着込んだワンダの演技は完璧
それどころかなぜか入手している台本を
ほとんど諳んじることができるほどセリフが完璧なのです。
一気にワンダに魅了されるトマは
無理矢理相手役を務めさせられるうちに
ワンダから演技の指示まで受ける始末。
ふたりの主従関係と、演技と現実が
入れ替わりながら交錯し始めます。

この間のめくるめくようなトマの表情の変化が見物です。

もともとSMというやつは
Sが責めてMが受けることから、Sに主導権があると思われがちですが
どこかで耳にして納得した話によると
「おまえをぶってやる!」と言ったときには
Sに主導権があり、
「私をぶって!」といったときには
Mに主導権がある
のです。
トマが「ぼくをあなたの奴隷にしてください」と言う場合には
トマが弱みを見せているようでありながら
じつは行動の主体はトマにあるのです。
だからこそ、自分の欲望を要求するトマ(とその役柄)に対して
ワンダは高圧的なものを感じとり、憤るのでしょう。

トマがソファーに横になり、
トマの眼鏡をかけたワンダが
トマの婚約者をプロファイリングするシーン
立場が逆転しているどころか
セラピストと患者のような関係になり、
なにをやってるんだと笑いがこみ上げてきます。

ワンダは、トマの婚約者と親しくなって
トマの素行調査を依頼されたと言っていましたが
それすら本当かどうかわかりません。
奴隷になりきったトマが、今度は口紅を塗られ、
ワンダ役を演じてみせる
ようになると
もう、一体どっちがどういう立場なのか
さっぱりわからなくなります。

ワンダに強いフェミニズム的思考があるのを思えば
単にSMに限定した話ではなく、
もっと一般的な関係をも含んだ
男女の心理的な駆け引きを表現しているように感じました。
そして、誰もが立場や状況によって
役を演じ分けているのではないでしょうか。
あな恐ろしや。





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