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殺しが静かにやって来る

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(原題:Il grande silenzio 1968年/イタリア 105分)
監督・製作/セルジオ・コルブッチ 脚本/ヴィットリアノ・ペトリリ、マリオ・アメンドラ、ブルーノ・コルブッチ
出演/ジャン・ルイ・トランティニャン、クラウス・キンスキー、フランク・ウォルフ、ルイジ・ピスティリ、ヴォネッタ・マギー

概要とあらすじ
「続荒野の用心棒」のセルジオ・コルブッチが、ヴィットリアノ・ペトリリ、マリオ・アメンドラ、ブルーノ・コルブッチと脚本を共同執筆し、さらに監督したマカロニ・ウエスタン。撮影はアレハンドロ・ウローア(アレクサンダー・ウローア)、音楽は、エンニオ・モリコーネ。出演は、「女性上位時代」のジャン・ルイ・トランティニャン、その他クラウス・キンスキー、フランク・ウォルフなど。アメリカ西部の町、スノーヒルは、殺し屋が占領する恐ろしい町だった。殺し屋のボスはロコ(K・キンスキー)。ロコの黒幕は、判事のポリカット(L・ビスチリ)たった。そんな町に、幼時、両親をポリカットに殺されたサイレンス(J・ルイ・トランティニャン)がやって来た。ロコに夫を殺されたポーリン(V・マクギー)に代金千ドルで、復讐を頼まれたのだった。(後略)(映画.comより)



ジャンゴ 繫がれざる者[予習 その4]

純白の雪原を馬に乗って近づいてくる
黒ずくめの男のシルエット。
それを陰に隠れて付け狙う複数の男たち。

という、オープニングで始まる
『殺しが静かにやって来る』
雪の中で展開される「マカロニ・ウェスタン」であることに
驚かされます。
ゾンビが出てくればゾンビ映画であるように
ガンマン、賞金稼ぎ、保安官などの
基本的な設定さえ満たしていれば
それはもう西部劇なのだということなのでしょう。
そんなことすらすでに意識にないのかもしれませんが
そこが「マカロニ・ウェスタン」のシュールな魅力だと
言えるでしょう。

セルジオ・コルブッチ監督は多くの作品を撮っていますが
『続・荒野の用心棒』と比較すると
映像には冷静さが漂い、詩的ですらあったと思えるのです。
オープニングクレジットでは、
深い雪に見舞われた森の中を
馬に乗ったサイレンス(J・ルイ・トランティニャン)
木々の間を縫って進む姿をただただ捕らえ、
雪に足を取られてついに力尽きた馬が倒れ込み、
サイレンスが馬を失うことになる物語の導入を
映像とエンニオ・モリコーネによる音楽だけで伝えています。

人間関係は、単純な善人と悪人との対峙ではなく
それぞれにそれなりのバックボーンが存在し、
さまざまな因縁が絡み合ってくる脚本は
よく練り上げられてるのではないかという印象です。

法を司る権力者によって理不尽に虐げられ、
勝手に「野族」扱いを受けて
お尋ね者にでっちあげられている人々と
それに乗じて彼らを狙う賞金稼ぎという大きな構造が存在し、
そこにサイレンスの幼少時代の復讐
やがてサイレンスと心通わすポーリン(V・マクギー)の
殺された夫のための復讐とが複合的に重なり合っています。
ヒロインであるポーリンが黒人女性であることも
西部劇という範疇ではめずらしい設定で
「リベンジ・ムービー」としての強度を
高めているのではないでしょうか。

サイレンスが扱う銃は
銃器に疎い僕でもなんだか変わった木箱に入った
変わった銃だなと気づいたほど特徴的な
モーゼル自動拳銃と呼ばれる銃でした。
なにがどういう仕組みになっているのか
僕にはさっぱりわかりませんが、わはは、
とにかく早撃ちには向いているようです。
サイレンスが声が出せないという設定には裏話があるようですが
それが彼の謎めいた雰囲気と
うちに秘めたものの強さを表現していました。

ポーリン(V・マクギー)
誰もが美女と認めるような魅力的な顔立ち。
「マカロニ・ウェスタン」にはめずらしくラブシーンもあり、
美しい曲線を描く背中から下がっていくと
少しだけ見えるお尻の割れ目がセクシーで、
当時はこれだけでも十分に過激だったのかも知れません。

サイレンスの敵役となるのは
ロコ(クラウス・キンスキー)で、これまた怪演。
嫌みな顔立ちに嫌みな台詞回しです。
やたらに「んふっ」を挟みながら
半笑いで憎たらしいことを言うのです。

基本的には、サイレンスとロコの戦いが
物語のメインテーマとなるのですが
当初は道化役のように見られた保安官役のフランク・ウォルフ
途中から正義の取締役のようになり、
観客の溜飲を下げてくれるのです。
すべてを正しい道へと導いてくれそうな保安官も
もともとは政治家の選挙対策のために派遣されているのだし、
最終的には、やっぱりまぬけにこの世を去るのですが。

さあ、まさにこれからクライマックスへと向かおうとする
直前のシーンで、なぜか画面全体に
ソフトフォーカスがかかったような映像になり
間に細かく挿入されるカットはまったく違う画質なので
演出の意図に沿ったものとは考えにくく、
さっぱり意味がわかりませんでした。

まー、そんなことはどうでもいいですよ。
この作品で問われるのは、やはりラストシーンでしょう。
未見の方のために、細かい描写はできるだけ避けるようしますが
ラストは観てのお楽しみ。ふふふ〜で
終わらせるわけにもいきません。
ラストシーンが衝撃的であることは耳にしていたので
それなりの覚悟と期待を持って待ち受けていたのですが
このラストシーンは僕の想像を凌駕していました。

簡単に言えば、バッドエンドです。
DVDには、後に発見されたという
ハッピーエンドヴァージョンが収録されていて、
それをみると確かにありきたりでつまらないと言えます。

でもね。いや、しかしね。
誰しも「ええぇ〜〜〜〜?」といいそうなこのバッドエンドは
なにか衝撃的なことをやって観客を驚かせてやろうという
監督の思惑は理解できるとしても
これはやっちゃだめだろうと感じるのです。

これはデヴィッド・フィンチャー監督の『セブン』でも
同様に感じたことですが、このようなバッドエンドは
それまで作品を鑑賞してきたことそのものを
なかったことにしてしまうような行為だと思うのです。
先述したように、さまざまな因縁が絡み合い、
その復讐の物語であるこの作品をこういう形で終えることは
それまでの物語がまったく無意味だったと
いっているようなものです。
しかも、人を驚かせるための最も安易な発想だと思うのです。

要するに、ひとが真剣に話を聞いていたのに
最終的に「なんちゃって〜」で終わってしまうような
無駄話につき合わされたとしか言いようがないのです。

誤解を避けるために、念のためつけ加えますが
決して「ハッピーエンドがいい」とか
「スカッとしないから嫌だ」「希望を持たせろ」などと
いっているわけではありません。
この作品のようなバッドエンドは、作り手であれば
誰しも一度は頭をよぎるものではないでしょうか。
それは確かに観客を驚かせるかも知れませんが
このような誰でも考えつく「ぶっちゃけ感」を避けるために
映画を作る人々は知恵を絞っているのではないですか?
その安易さが腹立たしいのです。
せっかくそれまでこの作品が綿々と辿ってきた復讐の物語も
まったく意味のないものになってしまいます。

先述したように、DVDに収録されていたハッピーエンドは
全てが報われて、つまらないものです。
では、面白い終わり方とはなにか?
映画にとって、そこが最も問われることではないでしょうか。

そんな衝撃的なラストシーンをもって
この作品はカルト映画の仲間入りを果たしています。
一度は自分の目で観て、それぞれが各々に
考えてみるのがいいのではないでしょうか。
少なくとも、一見の価値ありです。





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