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ピアニスト

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(原題:LA PIANISTE 2001年/フランス・オーストリア 132分)
監督・脚本/ミヒャエル・ハネケ 原作/エルフリーデ・イェリネク 撮影/クリスティアン・ベルガー 編集/モニカ・ヴィッリ、ナディーヌ・ミューズ
出演/イザベル・ユペール、ブノワ・マジメル、アニー・ジラルド、アンナ・シガレヴィッチ 、スザンヌ・ロタール 、ウド・ザメル

概要とあらすじ
“普通でない”性的嗜好をもつ中年女性が、そうとは知らずに近づいてきたハンサムな青年の一途な恋に戸惑い、スレ違いの性的情感に苦悩するさまを繊細にして力強く描いた切なく激しい愛の物語。監督は「ファニーゲーム」のミヒャエル・ハネケ。2001年のカンヌ映画祭において、グランプリの他、最優秀主演女優賞、最優秀主演男優賞の三冠に輝いた。ウィーン。小さい頃から母親に厳しく育てられたエリカ。40歳を過ぎてウィーン国立音楽院のピアノ教授となった今でも母と二人暮らし。ある日、エリカは私的な演奏会の席で青年ワルターに出会う。彼のピアノの才能に特別な感情を抱くエリカだったが、それ以上にワルターのエリカに対する思いは強かった。彼女に執拗につきまとい、ついには音楽院の試験に合格し彼女の生徒となってしまう。ワルターはある日、思いあまってトイレにいたエリカに強引にキスを迫る。ワルターの思いが通じたかと思われた瞬間、エリカがひた隠しにしていた秘密があらわになる……。(allcinemaより



支配しているのは誰か、支配されているのは誰か。

とてもとても評価の高い、
ミヒャエル・ハネケ監督『ピアニスト』はやっぱり難しい。
物語はとてもとても判りやすいのですが
だからこそ、物語の表面的なディティールにとらわれると
必ずやなにか本質的なものを見逃しているような気になるのです。

エルフリーデ・イェリネクによる原作は自伝と噂され、
ポルノまがいの性描写が物議を醸したそうですが
この作品の本質は過激な性描写ではないのはあきらか。
ヒロインのエリカを演じるイザベル・ユペールが体現してみせる
ひとりの女性の心理的な動向に
あまりのも多くのものが託されているように
思えるのです。

冒頭から、エリカとその母親(アニー・ジラルド)
特殊な関係にあることはすぐにわかります。
あきらかに中年に差し掛かっているエリカに対して
帰りが遅いだの、あの派手な洋服はなんだだのと
口うるさく叱る母親は異常に過保護だし、
その母親に対して、まるで思春期の子供のように反論するエリカの姿は
よくある親子げんかのように見えますが
その後仲直りした親子が
同じベッドに並んで眠りにつこうとするのを目の当たりにすれば
この親子の尋常ではない関係に眉をひそめることになります。

コンサートピアニストを目指していたエリカは
その夢を半ば諦めて
名門ウィーン国立音楽院のピアノ科の教授を務めているのですが
コンサートピアニストになるという夢は
エリカ自身のなかから芽生えたものではなく、
その夢を挫折した母親が自分の夢を娘のエリカに託して
育ててきた結果なのです。
しかも母親はまだその夢を諦めていないようすで
エリカに対して、ピアノ以外のことすべてにおいて
禁欲的であることを徹底して強要しているのです。
そのような母親の態度に対して、エリカは反撥するものの、
同時に、コンサートピアニストになるという夢が
自発的なものであるかのようにも錯覚していて
そのことがなおさら本来の自分を抑圧することに
なっているのではないでしょうか。

そんなエリカが、自分の教え子たちに対して
厳しく接するのは当然ですが
母親に教えられた規範(=譜面)から逸脱したことのないエリカが
譜面通りに演奏するのではなく、
感情がこもった表現をすることが肝心だと説く
のは
皮肉たっぷりで、自己否定の側面もあるでしょう。
とくに、過剰な期待を抱く母親がいつも付き添っている
気の弱い女子生徒に対して厳しく当たるのは
エリカが自分自身の姿を彼女に重ねているからにほかなりません。

閉塞感に苛まれて鬱屈を貯めているエリカが
そのガス抜きとしてやることは
ポルノショップの個室でゴミ箱から取り出したティッシュの匂いを嗅いだり、
ドライブイン・シアターの車中でことに及ぶカップルの覗き
です。
冒頭で母親に、帰りが遅いと叱られていたエリカも
どこかでこっそり楽しんでいたのでしょう。
カーセックスを覗いたエリカが放尿するのをみて、
なぜ?? と思いましたが
あれを男の射精と置き換えれば理解できるような……できないような。
とにかく、エリカが性欲を持て余していることは明らかですが
自慰行為のシーンがひとつもなかったのは
いま考えると不思議です。

そして、ケツアゴイケメンの
ワルター(ブノワ・マジメル)が登場して
エリカに言い寄るようになると物語が急転します。
当初はケツアゴをあしらっていたエリカは
徐々に欲望を抑えきれなくなり、
ケツアゴが先述の気の弱い教え子と仲良くしているのを見るや
嫉妬の炎をたぎらせ、彼女のポケットにガラスの破片を忍ばせて
教え子の指を傷つけるのです。
感極まったエリカは、
ついにトイレでケツアゴと熱いキスを交わすのですが
手コキ→フェラ→手コキ寸止め、と
体を許さず、ケツアゴを自分の支配下に置こうとしているようです。

やがてエリカは、ケツアゴに
自分の想いをしたためた手紙を渡すのですが
その文面はSM行為を要求する内容だったのです。
しかもあらかじめ、ベッドの下にSMの道具を用意して。
一気に引いてしまうケツアゴでしたが
エリカがSM行為を望むのは
風呂場で自らの股間をカミソリで傷つけていたことからも
自傷行為によって快感を得ていたことが窺えますが
エリカは、支配・被支配の関係しか
愛情表現のしかたを知らないのではないでしょうか。

エリカとケツアゴのあいだで
主導権が移り変わるさまが見所です。

この作品が、
社会的規律の無自覚な暴力を描いているのは理解できますが
評論家・大場正明氏がサイトで評論されているように
マチズモ(男性優位主義)に対するものだというのは
僕にはわかりませんでした。
むしろ、精神を患っていたエリカの父親が一度も顔を見せず、
命を引き取ったときもあっさりとしていたことに
男性の不在すら感じてしまいました。
(父親は常に存在する見えない圧力を表現していたのかもしれないし、
 父親の死がエリカを自己解放へと導いたのかもしれませんが)
たしかに、ケツアゴはエリカに対して高慢な態度を見せ続けるし、
ベッドで母親に覆い被さり、強引に唇を重ねるエリカ
自分の性を見失い、
男女の恋愛と親子の愛情との区別がつかなくなっている
ようにみえますが
それが男性主導の価値観に基づく社会の圧力を
表現しているということを悟るまでには至りませんでした。

ラストシーンで、
自分の左胸をナイフで刺したエリカ
すべてを捨てて、その場から立ち去ります。
これで彼女が、あらゆる抑圧から解放されたのかどうか
わかりませんが、
やっと自分の人生の一歩を踏み出したのは確かでしょう。





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