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セブンス・コンチネント

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(原題:DER SIEBENTE KONTINENT 1989年/オーストリア 104分)
監督・脚本/ミヒャエル・ハネケ 撮影/トニー・ペシュケ 編集/マリー・ホモルコーヴァ 音楽/カール・シュリフェルナー
出演/ビルギッド・ドール 、ディーター・ベルナー 、ウド・ザメル 、ゲオルク・フリードリヒ

概要とあらすじ
1989年に制作されたミヒャエル・ハネケの映画デビュー作。ロカルノ国際映画祭ブロンズレパード受賞。物語は三部構成からなり、各部である家族の1日を断片的に綴っていく。(Wikipediaより



意味や価値を捨てて、人生に逆らえるか

なかなか観られなかった
日本未公開のミヒャエル・ハネケの初監督作品
『セブンス・コンチネント』
やっと観ることができました。
『愛、アムール(2012)』
「ハネケにも心があった」とまで言われるほど
ま、人を嫌な気分にさせる作品が多いハネケ監督ですが
「第4の壁」をズカズカと乗り越えて、
あきらかに観客の神経を逆なでする
『ファニー・ゲーム(1997)』などと比較すると
この作品は随分と内省的です。
もちろん、挑戦的な作風ではあるけれど
じつは得体の知れない愛情に満ちあふれていて
目下の所、僕にとってのハネケ作品ベストムービーです。
日本未公開ということもあってか
具体的な情報に乏しいのですが、
この作品は実際に起きた事件に基づいています。

三人家族が自動車に乗ったまま
洗車システムをくぐる長々としたシーン
で始まります。
吹き付ける水とブラシがこすれる音だけが鳴り響くなか、
洗車システムに誘導されるままに車がゆっくりと進んでいきます。
そこには「ブレーキはかけないように」という警告がみえ、
やがて、洗車を終えた車は
「オーストラリアへようこそ」というキャッチコピーがついた
砂浜のポスターの前を横切って去っていきます。

三部構成になっているこの作品の
「第一部 1987年」
AM6:00に起床した家族が朝食を摂り、
身支度を調えて出勤・登校するようすを
登場人物たちの表情を一切映すことなく、手元だけを捉えています。
洗車シーンから続くこのシーンで
この家族が中産階級の暮らしを営んでいることがわかります。

さて、この作品の説明を補うのは
夫ゲオルクの両親に宛てた手紙です。
書き手は妻のアンナで、その文面からすると
最近、アンナの母親が死んで遺産が入ったこと、
アンナの弟が鬱病らしいこと、
夫のゲオルクは勤務先(研究所?)にソリが合わない上司がいるものの、
昇格間近だということなどがわかります。
アンナは弟と一緒に眼鏡屋で働いています。(経営している?)
小学校に通う娘のエヴァが
目が見えなくなったと嘘をつくささいな事件が起きますが
(もちろんこれは愛情に対するエヴァの飢餓感が表れている)
いたって普通の生活が淡々と描かれるといっていいでしょう。

「第二部 1988年」
「第一部」と同様にAM6:00を示す時計の文字から始まりますが
ゲオルクとアンナはセックスの最中でした。
微妙な違いはあるものの、やはり一年前と同じ朝の身支度が繰り返されます。
昇進を果たしたゲオルクは、アンナとともに
さらに上の上司をホームパーティーに招くための準備をしています。
ラジオから世界の紛争と飛行機事故を伝えるニュースが流れ、
交通事故による渋滞に巻き込まれた車が
道路に横たわった遺体の横を通り過ぎるとき、
アンナは堪えきれずに嗚咽します。


少しずつ不穏な空気は増殖していくものの、
ここまで観て、ただ思わせぶりなだけで退屈だと感じる人は
いるでしょうが、
それこそが演出意図であって、
退屈であることが重要なのです。

「第三部 1989年」になって、事態は急変。
昇進して順風満帆なはずのゲオルクは勤務先を辞職し、
アンナとともに全預金を引き出します。
不審に感じた銀行員が理由を尋ねると、
アンナは「オーストラリアへ移住するの」と応えます。
そして、店員から「パーティーでもするの?」といわれるほどの
豪華な食材を買い込むのです。
さんざん洗車していた車を売ってしまうのも
このあと、どこにも行くつもりがないようにみえます。
その夜、執拗な長さで映されていた朝食のシリアルとうって変わり、
三人家族は贅沢な晩餐を囲むのです。
翌朝、目覚めた家族は前の晩の残りで朝食を済ませると、
それぞれが家の中のあらゆるものを破壊し始めるのです。

家族は一家心中を企てたのでした。
しかも、小学生の娘も同意の上で。
この家族が一家心中に至った動機はまったくわかりませんが、
心中するために用いられた薬品は
アンナが病院に通って蓄えられたもので
以前から計画されていたことがわかります。

またしても長々とした、この破壊シーンは
観るひとによって、さまざまな感じ方があるでしょうが
僕にとっては、痛快極まりないものでした。
(それは、たぶん僕が病んでいるから)
LPを割るシーンでは思わず笑ってしまうほど。

そして、この破壊シーンでも
映し出されるのは手元のみで、家族の表情は映されません。
狂ったように笑っているのか、はたまた泣きながらなのか
一切の感情を排除した「行為」のみが映し出されます。
これは出勤・登校前の身支度のシーンと同様です。
高価なものも、思い出の写真も同じ扱いで
「行為」のみに限定された破壊は、あらゆる解釈を拒絶しています。
唯一、この客観性が揺らいだのは
破壊された水槽から流れ出た魚があえぐのをみた娘のエヴァが
取り乱したとき
だけでした。

DVD特典映像のインタビューで、ハネケ監督は
「プロトコルを書こうと思った」と語っています。
プロトコルとは、手順や決まり事といった意味ですが
情緒が介在しない所作を淡々と見せつけることで
観客が情緒を創り出すのを促したのではないでしょうか。

車のナンバーやスーパーのレジなど、繰り返される数字のイメージや
紙幣をトイレに流すシーンがあまりにも象徴的に映るため、
「物質社会・消費社会への批判」と解釈する向きもあるようですが
祖父母へ宛てた遺書だけを残して死のうとしているこの家族には
社会に対してメッセージを訴えるつもりなどないはずです。
紙幣をトイレに流すシーンなどは監督の創作ではなく、
実際の事件で行なわれていた
そうで
事実をトレースしたハネケ監督自身も、
この家族が一家心中を決意した動機と同じく、
紙幣をトイレに流すことの真意は理解していないのです。

また、ハネケ監督は同じインタビューのなかで
「説明は事態を卑小化する」とも言っています。
この事件の真相を、下世話なワイドショーのように詮索することには
何の意味もないどころか、
この家族にしか知り得ない真相を卑小化し、歪曲する恐れがあります。
破壊シーンをみて痛快だと感じた僕も
家族の行為を自分の思惑に当てはめているだけかもしれません。

とはいえ、ハネケ監督が示唆しようとする考えが
まったく反映されていないはずもありません。
「オーストラリアへようこそ」というキャッチコピーの
ポスターから喚起されるイメージがたびたび挿入され、
楽園とも彼岸とも受け取れる
「セブンス・コンチネント=第7の大陸」を想像させるし、
洗車システムのシーンも
「ブレーキはかけないように」という警告が
システマチックに繰り返される日常のルーティンを想像させます。
全てを破壊し尽くしたあと、それでも一台のテレビだけが残っていたのは
生に対するかすかな未練のように思いました。

とにかく、一家は「人生」に逆らった
というのは、断言してもいいでしょう。
「行為」だけを切り取って意味や価値を排除した映像をみて、
そこに何らかの解釈を付加しようとしてしまう態度からは
どれほど僕たちが、そもそもモノやコトでしかないあらゆるものに
意味や価値を塗りたくっているのかを考えざるを得ません。

いつも、いろんなことに惑わされて右往左往している僕にとって
痛恨の一作でした。





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