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プライベート・ライアン

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(原題: SAVING PRIVATE RYAN 1998年/アメリカ 170分)
監督/スティーヴン・スピルバーグ 脚本/ロバート・ロダット、フランク・ダラボン 撮影/ヤヌス・カミンスキー 美術/トーマス・イー・サンダース 録音/ランス・ブラウン 編集/マイケル・カーン 特撮/ILM 音楽/ジョン・ウィリアムズ
出演/トム・ハンクス、トム・サイズモア、エドワード・バーンズ、バリー・ペッパー、アダム・ゴールドバーグ、ヴィン・ディーゼル、ヴィン・ディーゼル、ジョヴァンニ・リビシ、ジェレミー・デイヴィス、テッド・ダンソン、デニス・ファリナ、ポール・ジアマッティ、デイル・ダイ、マット・デイモン

概要とあらすじ
第二次世界大戦のターニング・ポイントとなったノルマンディ上陸作戦の中、たったひとりの兵士を救うために展開された作戦があった……。実話にインスパイアされたR・ロダットのオリジナル脚本をスピルバーグが映画化した戦争秘話で、その圧倒的な戦闘描写が話題を呼んだ。1944年6月。連合軍によるフランス・ノルマンディ上陸作戦は成功に終わったものの、激戦に次ぐ激戦は多くの死傷者を出していた。そんな中、オマハビーチでの熾烈な攻防を生き延びたジョン・ミラー大尉に新たな命令が下された。ひとりの落下傘兵を戦場から救出せよ。その兵士、ジェームズ・ライアン二等兵には3人の兄がいるが、この一週間の間に全員が死亡。兄弟全てを戦死させる訳には行かないという軍上層部はひとり残されたライアンをなんとしてでも故国へ帰還させようと考えたのだ。ミラーは中隊から7人の兵士を選び出し、生死も定かでないライアン二等兵を探すために戦場へと出発するのであった……。(allcinemaより抜粋



いまこそ、この痛みを

戦争映画の傑作として名高い『プライベート・ライアン』
戦場の理不尽さを告発した『プラトーン(1986)』
見えない敵と戦う兵士たちの狂気を描いた
『フルメタル・ジャケット(1987)』などなど、
エポックメイキングとなった戦争映画は数あれど
『プライベート・ライアン』が突出しているのは
その「痛さ」ゆえでしょう。

1944年6月6日、
「D-Day」と呼ばれるノルマンディ上陸作戦の決行日を描いた
冒頭の20数分間
はあまりにも有名です。
オマハビーチの砂浜に降り立つ前に
一斉に銃撃を浴びてバタバタと死んでいく兵士たちの捨て石感
銃弾は受けていないのに海で溺死してしまう兵士たちの
命の安さに絶望的になり、
血しぶきを浴びながら追い続ける手持ちカメラが映し出す、
腕が飛び、脚が飛び、
内臓をまき散らして叫ぶ兵士たちが溢れかえる波打ち際は
まさに地獄絵図。

頭を低くしながら息を止め、眼を離すことが出来ません。
そこにあるのは記号的な死ではなく、
ひとりひとりが血を流し、見苦しくもわめきながら死んでいく
「痛い死」なのです。
ややもすれば抽象化してしまいがちな戦争を
肉体の痛みから捉えようとする表現は
終盤でのミラー大尉(トム・ハンクス)
左手の指先を銃弾がかすめて血を流すシーンの細かさが
その細かさゆえになおさら痛いと感じるまで
徹底的に貫かれています。

とはいえ、露悪的ともいわれかねないほど強烈な
ノルマンディ上陸作戦のシーンはあくまで導入部分。
多くの部下を犠牲にしながらも
「D-Day」を乗り切ったミラー大尉は
4人兄妹のうち3人が戦死して、
ひとりだけ行方不明の末っ子ジェームス・ライアン2等兵を
探し出して帰国させろという任務
を下されます。
リンカーンの言葉を引き合いに出す軍上層部が出した指令の目的は
世論操作のために美談を作り上げることか、
4人の息子をすべてなくしてしまう母親の悲しみにほだされたのか、
どちらにせよ欺瞞に充ち満ちています。

当然、上層部の欺瞞は
ミラー大尉率いる部隊の兵士たちにも伝わり、
同じように次から次へと兵士たちは戦死しているのに
なぜその2等兵だけを特別に助けなければならないのかという
不信感を伴いながらの任務になります。
生死も分からないライアン2等兵を探すうち、
部隊のうちふたりが戦死してしまえば、なおさらです。

そのように、
兵士ひとりひとりの死の重みを知っている彼らでさえ、
グライダーを墜落させた空挺部隊の伍長から
袋詰めになった大量の戦死者のドッグ・タグを受け取って
ライアンの名前を探すうち、
兵士ひとりひとりの死がタグの数に記号化され、
死の重みが薄れてしまうのです。

さて、重要なのは
アプム伍長(ジェレミー・デイヴィス)の存在です。
実戦経験のないアプム伍長は狂言回しであり、
もっとも観客の気持ちに寄り添う役割で、
捕虜に対しても人道的に接する態度は
物語に対する客観性を保つ効果がありますが
アプム伍長によって示されるのはそれだけではありません。

アメリカの哲学者エマーソンの言葉を引用したアプム伍長が
「戦争は人間の感性を研ぎ澄まし養う部分がある」
と語るのに対して、
後半で、かつては国語教師だったと分かるミラー大尉が
「それは戦争すら楽天的に考えるエマーソンの言葉だな」
と返すくだりでは、
アプム伍長に空疎な机上論を語らせ、
観客も含めた戦場を知らないものが抱く認識の甘さを
指摘します。

そして、終盤の再び激しい戦闘シーンでは
銃弾を調達に走るものの、恐怖のあまり腰が抜け、
二人の戦友を見殺し同然に死なせてしまうアプム伍長の姿に
誰もが苛立つはず。
でも、あの臆病者は僕たち自身の姿なのではないでしょうか。
もしも僕がアプム伍長だったら
さんざん逃げ回った挙げ句に
死んだふりして死体の間に隠れたかもしれません。
いやいや、自分は逃げもかくれもせず、
敢然と敵に立ち向かっていくという猛者もいるでしょう。
しかし、そのような勇ましさこそ
戦争をやりたがる人間にとって好都合
なのではないでしょうか。

ところが、アプム伍長のチキンぶりに同情しかけていると
空から援軍が現れ、戦況が一気に逆転したとみるや
アプム伍長は先ほどまでとうって変わって
手を挙げるドイツ兵たちの前に跳びだして銃を向けるのです。
これでは臆病者どころか、卑怯者です。
そしてドイツ兵のなかに、かつて逃がしてやった捕虜を見つけると
降伏しているにも拘わらず射殺してしまいます。
その他の多くの兵士たちが
やらなければやられるという状況でやむを得ず戦っていたのと違い、
アプム伍長は自分の卑小なプライドのために
殺人を犯すのです。

さすがに、これには同情する気になれませんが
あの卑怯者の姿も含めて
自戒の念を持って受け止めるべきなのかもしれません。

太陽の光を受けて陰となった星条旗がはためくラストシーンは
ないをかいわんや。
我が国でも、時の首相がきな臭い話題を振りまき、
実感を伴わずに好戦的な考えを持つ人が増えつつある今こそ、
リアリティのある痛みを思い起こすときではないでしょうか。





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