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50/50 フィフティ・フィフティ

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(原題: 50/50 2011年/アメリカ 100分)
監督/ジョナサン・レビン 脚本/ウィル・レイサー 撮影/テリー・ステイシー 美術/アン・スピッツ 衣装/カーラ・ヘトランド 編集/ゼン・ベイカー 音楽/マイケル・ジアッキノ
出演/ジョセフ・ゴードン=レビット、セス・ローゲン、アナ・ケンドリック、ブライス・ダラス・ハワード、アンジェリカ・ヒューストン、マット・フルーワー、フィリップ・ベイカー・ホール

概要とあらすじ
「(500)日のサマー」のジョセフ・ゴードン=レビットが主演し、ガンで余命宣告を受けた青年の姿を笑いや涙を交えて描くハートフルドラマ。酒もタバコもやらない普通の青年アダムは27歳でガンを患い、生存率50%と宣告される。同僚や恋人、家族は病気を気づかってどこかよそよそしくなっていくなか、悪友カイルだけはガンをネタにナンパに連れ出すなど、いつも通りに接してくれていた。アダムはなんとかガンを笑い飛ばそうと日々を過ごしていくが、刻々と進む病状に次第に平穏を装えなくなってしまう。カイル役のセス・ローゲンが製作を務め、ガンを克服した親友の脚本家の実体験をもとに映画化した。(映画.comより



人生はいつも「50/50」

「難病もの」だと知らずに観始めた『50/50』
いや、もしかしたら知っていたのかもしれませんが
すっかり忘れていたのでしょう。
もし「難病もの」だとしっかり把握していたら
観なかったかも。
だって「難病もの」なんて、
ヘドが出るようないい話に決まっているんだから!

実際にガンを患った
脚本家ウィル・レイサーの実体験を元に
現実でもウィル・レイサーの友人セス・ローゲン
主人公を励ます友人役を演じているとなれば
病気と闘う主人公アダム(ジョセフ・ゴードン=レビット)
悪友カイル(セス・ローゲン)をはじめとする
周囲の振る舞いにはリアリティがあるのでしょう。
ほろりとさせるいい話を語るために
難病をダシに使っている作品とは一線を画すはずです。

とはいえ、この作品はあくまでコメディ
抗がん剤の副作用に苦しむ表現はあるものの、
突然ガンを患ったアダムが苦しい闘病生活にもがき苦しみ、
どんどん衰えていく悲壮感はありません。
もしもラストで、
さまざまな経験を積んで人生に新たな希望を感じ始めたアダムに
重大な転移が発見され、結果的に死に至るのであれば
無常観が重く残ったのかもしれませんが
なにしろアダムは、最後に大手術を乗り越えてガンを克服し、
爽やかに新しい人生を踏み出すのですから
この作品はアダムの成長の物語であり、
ガンの発病はアダムが人生と向かい合うためのきっかけに過ぎず、
転機を促すようなことなら
ほかの出来事でも置換可能でしょう。

アダムの彼女レイチェル(ブライス・ダラス・ハワード)
「あなたの看病につき合う私の辛さはあなたにはわからないわ」
というほど、いかにもクソ女でしたが
新米セラピストのキャサリン(アナ・ケンドリック)
どうやら「片付けられない女」のようで
「主婦みたい」に綺麗好きなアダムは
どういうわけかダメな女に惹かれるようです。
ま、レイチェルとうまくいかないシーンがあった後で
キャサリンが登場したとたんに
ああ、このコと結ばれるのねってのは、すぐに察しがつきます。

キャサリンみたいな経験の浅いセラピストに
診察を受けなければならないのはいかがなものかと思いますが
後半のセリフで出てくるように
患者としてのアダムとセラピストとしてのキャサリンが
どちらも「初心者」であることが重要なのです。
いわずもがな、それは誰もが
人生の初心者であることを示しています。

細かいことですが、
バスを待っているアダムを偶然見つけたキャサリンが
アダムの家まで自分の車で送っていき、
自分の恋人との別れ話を打ち明けて
アダムとちょっといい感じになったシーンのあと、
アダムがいつものようにセラピーに訪れたときのキャサリンは
それまでのYシャツと違い、
胸元が開いた服を着て、なだらかな胸の谷間を強調していた
のが
さりげない演出でした。
ラストでピザを抱えたキャサリンが
アダムの家を訪れたときも同じ服装でした。

話は少し前後しますが
キャサリンに送ってもらう車中で、
「自動車事故が死亡原因の第5位だから」という理由で
アダムは運転免許を持たないことを打ち明けています。
でもこれ、アダムという人間を表現するためには
病気が発覚する前に伏線として登場しても
よかったように思います。
アダムが運転免許を持っていないことは
彼が慎重で、リスクを嫌う性格を示していますが、
にもかかわらず、バスや友人の車を利用するアダムは
アダムに依存するレイチェルと同様かそれ以上に
じつは他者に依存している
という、
誰にでもありがちな軽い欺瞞を表しているので
この部分はもっと強調してもいいのではと思いました。

口うるさい母親(アンジェリカ・ヒューストン)
疎ましく思っているのも同様で
痴呆症の父親の世話をしつつ、
闘病するアダムのことを心配する母親の心情に
ひとたび想いが至ったとき、
自分がいかに周囲から思いやられ、
決して自分一人の力で生きているわけではないことを
悟る
のです。
表面的なコメディの裏に巧妙に隠された設定は秀逸です。
ま、母親や、呑気に振る舞っているようにみえるカイルが
じつはアダムのことを心から心配していることが
アダムに伝わってしまうのは、ちょっとやぼったい気がしましたが。

アダムから初めて病気を告白された悪友カイルが
「生存率50%? 悪くないじゃないか!」
と、慰めるようにいうのは、まさにその通りで
確率がフィフティ・フィフティなら
まったく落ち込む理由などないのです。
生まれた途端にいつかは死ぬことが決定している僕たちにとって
生か死かという意味では、人生は常に「50/50」なのですから

50%の確率で死ぬ可能性を憂えているより、
50%の確率で生きている可能性を喜ぶべきなのでしょう。





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