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トム・アット・ザ・ファーム

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(原題:Tom a la ferme 2013年/カナダ・フランス合作 100分)
監督/グザビエ・ドラン 原作/ミシェル・マルク・ブシャール 脚本/グザビエ・ドラン、ミシェル・マルク・ブシャール 撮影/アンドレ・トュルパン 編集/グザビエ・ドラン 音楽/ガブリエル・ヤーレ
出演/グザビエ・ドラン、ピエール=イブ・カルディナル、リズ・ロワ、エブリーヌ・ブロシュ、マニュエル・タドロス

概要とあらすじ
監督第3作「わたしはロランス」の劇場公開によって日本でも注目を集めるカナダの若き才能グザビエ・ドランが、カナダ東部ケベック州の雄大な田園地帯を背景に、閉鎖的な家族と地域を舞台に描いた心理サスペンス。恋人の男性ギョームが亡くなり悲しみに暮れるトムは、葬儀に出席するためギョームの故郷を訪れる。しかし、ギョームの母アガットはトムの存在を知らず、息子の恋人はサラという女性だと思っている。トムの存在を唯一知るギョームの兄フランシスは、トムに恋人であることを隠すよう強要。当初は反発を覚えたトムだったが、次第にフランシスの中に亡きギョームの姿を重ねるようになり……。カナダの人気劇作家ミシェル・マルク・ブシャールが2011年に発表した同名戯曲の映画化。(映画.comより



若い+才能豊か+イケメン=癪に障る

『わたしはロランス(2012)』
世界的な評価を確実なものにしたグザビエ・ドラン監督
最新作『トム・アット・ザ・ファーム』
意外や意外、サイコサスペンスです。
1989年生まれ、やっと25歳になったグザビエくんは
さらに表現の幅を広げようというのか……
しかもイケメンでもある彼は、今作で主演も兼ねています。
若くて、才能豊かで、イケメン。癪に障る。
(おんなじことを『わたしはロランス』の記事でも書いたよ)
さりとて、『わたしはロランス』で完全に打ちのめされていた僕は
グザビエ・ドラン監督の新作と聞いただけで
絶対に見逃したくない気持ちになり、
それ以上の情報は完全に断ち切って映画館へ向かったのでした。

青いサインペンの先を水で濡らして
情緒的な文章を走り書きするナプキンをめいっぱいズームアップした直後に
真っ直ぐに伸びる一本道を走る車を捉えた空撮へと
ダイナミックに移動する視点にすでにワクワクします。

トム(グザビエ・ドラン)が目的地の一軒の家に到着して
住人が留守だとわかり、所在なさげにしているあいだ、
携帯を高く掲げて圏外になっていることを確認していることで
そこが都市から隔絶された場所であることがわかります。
(道中でも、いらだったトムがなにかを踏みつけて壊していましたが
 あれはカーナビだろうか。よく見えず)

母親のアガット(リズ・ロワ)が登場し、
トムがぎこちない挨拶を交わす会話のなかで
トムが死んでしまった友人の葬儀に出席するためにこの地を訪れ、
その家が友人ギョームの実家であることがわかります。
さらには、トムも知らなかった
ギョームの兄フランシス(ピエール=イブ・カルディナル)の存在も
明らかになります。
ギョームの実家に宿泊することになったトムがベッドで眠っていると
暗闇の中でフランシスらしき男が襲いかかり、
葬式で母親が喜ぶような弔辞をしろと脅すのです。
翌朝、朝食をとっているトムのうしろに
フランシスが登場するものの、いまだフランシスの顔は映されず、
不穏な空気が増幅します。
フランシスの顔がはっきりとわかるのは
シャワーを浴びているトムの脳裏に一瞬歪んだ人間の顔が浮かんだあと、
まるでヒッチコックの『サイコ』のようなシーンで登場したときです。

とにかく高圧的で暴力的なフランシスの
理不尽極まりない態度に嫌悪感が膨れあがりますが、
徐々に登場人物たちの背景がわかるようになります。
フランシスは典型的なDV男。
相手を恫喝し、暴力を振るうことでしか
他人とコミュニケーションのとれない人間なのです。
おそらくは、弟ギョームが母アガットから溺愛され、
自身は母親からの愛情に飢えて育ったことが原因のひとつで
それは、トムをまるでギョームのように可愛がる母親が
葬儀の途中でトムと手を握っているのに気づいて
苦渋の表情をみせることでも窺えます。

また、パンフレットによると
舞台となっているカナダのある地域は
まるでキリスト教原理主義者が暮らすアメリカ南部のように
信仰心だけが異常に強く閉鎖的で、他者を受け入れない場所なのだとか。
長年その地で暮らす母親のアガットにも不寛容がみられ、
30歳になるフランシスを子供をしつけるかのごとく、びんたするように
家族の中で絶対的な存在なのでしょう。
あれほど暴力的なフランシスが
母親に頰を殴られても反撥しないのには
母親に愛されたいという思いのほかに
逆らえないという心理もあるように思います。

サイコサスペンスの常套からいえば
そのような、偏ったルールがまかり通る家族もしくは地域に
紛れ込んでしまったトムはいわゆる「正常な」感覚の持ち主で
彼の災難と脱出が見どころになるはずですが
そう簡単にはいかず、
トムは何度も逃げ出そうとするものの、逃げ切れず、
徐々にフランシスと不思議な愛情関係のようなもの
作り上げるようになります。

じつはトムは、死んでしまったギョームの友人ではなく恋人
すなわちふたりはゲイの恋人同士だったわけですが
フランシスが、ゲイなどは汚らわしいとしか思っていないことも
高圧的な態度のひとつの根拠でもあり、
ゲイであることの社会的な後ろめたさと
恋人を救えなかったことの償い
として
トムはこの地を離れることが出来ないのです。
また、顔つきや匂いにギョームの面影を残すフランシスに
愛情を感じ始め、まさにDV男と別れられない女性のように
フランシスを慕い始めるのです。
ふたりでタンゴを踊るシーンはあからさまにロマンティックですが
とうもろこし畑で格闘しているときも
すでにエロティックな雰囲気が漂っていました。

原作には、
「同性愛者は、愛し方を学ぶ前に、嘘の付き方を覚える」
という言葉があるそうですが
フランシスに強要されて、
自分とギョームとの本当の関係を押し隠し、
ギョームにはサラという彼女がいるという嘘をつき続けるトムの姿に
すべてのLGBTが強いられている社会的抑圧
表現する意図があるようで
『わたしはロランス』との共通点を感じます。

すっかり農場生活を楽しんでいるようなトムでしたが
バーのバーテン(マニュエル・タドロス=グザビエ・ドランの父親)から
フランシスの過去を聞き、農場からの脱出を決意します。
このとき、バーに流れるポップスのうえに
話の流れにシンクロするように不穏なストリングスの劇判が重なる
音楽の使い方が絶妙です。

カートのごろごろが取れたりするハラハラもありながら、
なんとか脱出に成功するトム。
「あの男」にも遭遇し、フランシスの恐ろしさを再確認したトムが
街へ向けて車を走らせる間、
「アメリカ おまえにはうんざりだ」という歌が流れます。
これは、ルーファス・ウェインライト
「ゴーイング・トゥ・ア・タウン」という曲だそうで、
政治的な意味合いよりも、
ルーファス・ウェインライトがカナダはケベック州のミュージシャンであり、
2012年に同性結婚している
ことのほうが重要なのでしょう。
暗い森の中で見苦しくも取り乱すフランシスが
星条旗がデザインされたうえにUSAと書かれたジャケットを着ているのは
歌詞の意味を際だたせるため、もしくはあいまいにするのが
目的なのではないでしょうか。
信号が青に変わるのとシンクロして、曲が終わる演出がポップです。

中心人物が不在という、
『ゴドーを待ちながら』から『桐島、部活やめるってよ』へと連なる
物語のフォーマット自体が面白く、
サイコサスペンスとはいえども、
ただハラハラドキドキするに留まらない作品づくりに
グザビエ・ドランの類い稀な感受性と才能を感じざるを得ず、
やっぱり癪に障って、目が離せないのです。





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