" />

ニンフォマニアック Vol.2

nymphomaniac2.jpg



(原題: Nymphomaniac 2012年/ デンマーク・ドイツ・フランス・ベルギー・イギリス合作 123分)
監督・脚本/ラース・フォン・トリアー 原案/ジェンル・ハルンド 撮影/マヌエル・アルベルト・クラロ 美術/シモーヌ・グラウ・ルネイ 衣装/マノン・ラスムッセン 編集/モリー・マリーヌ・ステンスゴード
出演/シャルロット・ゲンズブール、ステラン・スカルスガルド、シャイア・ラブーフ、クリスチャン・スレイター、ジェイミー・ベル、ユマ・サーマン、ウィレム・デフォー、ミア・ゴス、ソフィ・ケネディ・クラーク、コニー・ニールセン、マイケル・パス、ジャン=マルク・バール、ウド・キア

概要とあらすじ
「ダンサー・イン・ザ・ダーク」「アンチクライスト」「メランコリア」など、数々の問題作を手がける鬼才ラース・フォン・トリアーが、「ニンフォマニアック(色情狂)」を自認する女性の数奇な半生を、8つの章仕立てで描いた2部作の後編。快楽を求めて不特定多数の男と交わる主人公の女性ジョーにシャルロット・ゲンズブールが扮し、過激なベッドシーンも体当たりで演じている。そのほか、シャイア・ラブーフ、ユマ・サーマン、ウィレム・デフォー、クリスチャン・スレイター、ジェイミー・ベル、ジャン=マルク・バール、ステラン・スカルスガルドと実力派のキャストが集っている。(映画.comより



スカートめくり的コメディらしきなにか

さて、『ニンフォマニアック Vol.1』から
3週間ほど経過しての『ニンフォマニアック Vol.2』です。
『vol.1』は、初老のセリグマン(ステラン・スカルスガルド)
自身の性遍歴を語る「ニンフォマニアック(色情狂)」である
ジョー(シャルロット・ゲンズブール)
不感症に陥ってしまうまでのお話でした。
色情狂が不感症になって、
さあ、どうなるのかが『vol.2』なわけです。

『vol.1』に引き続き、チャプター分けされた物語は
「第6章 東方教会と西方教会(サイレント・ダック)」
「第7章 鏡」
「第8章 銃」

と、なっていますが、
『vol.1』でジョーの性遍歴を
フライ・フィッシングや賛美歌の和音などに細かく喩えていた
セリグマンの博識ぶりは鳴りを潜め、
ギミックの面白さは半減しています。
予想通りにセリグマンが童貞だということも早々に打ち明けられ、
セリグマンが自身の童貞を「無垢」と表現してしまうあたりに
気持ち悪さはあるものの、
淡々とジョーの回想を聞かされているという印象は否めません。

不感症に悩まされながら、
ジェローム(シャイア・ラブーフ)との結婚生活を送るうち、
妊娠したジョー(ステイシー・マーティン)は
予てからの考え通りに帝王切開で出産します。
その3年後に、シャルロット・ゲンズブールへと交替したジョーをみて
一気に老けたな、おい!と思うのは致し方なし。

色情狂なのに不感症で苦しむジョーに
ジェロームは「虎の餌やりを手伝ってもらう」として
ほかの男とのセックスを勧めたのが運の尽き。
ジョーはまたしても男漁りを始めます。
この作品を「コメディ」と評するひとがいるように
ジョーに誘われた黒人二人組が
「穴の取り合い」でモメる
のは確かに滑稽ですが
笑ってしまうほどには至りません。

どこでみつけたのか、
SMの家庭教師みたいなK(ジェイミー・ベル)のもとへ
足繁く通うようになり、
ソファに縛られてシバかれるうちにオーガズムを思い出すのですが
ポルノ的な要素以外にはとくに見るべきところもなく、
家に一人残された子供がよちよちと歩いて
雪の降るベランダから背伸びするシーン

嫌な予感にハラハラするものの、
『アンチクライスト(2009)』のセルフパロディでしかなく、
ひとりほくそ笑む監督の顔が目に浮かびます。

ジョーが黒人のことを「ニグロ」というのを
セリグマンが戒めるシーンのように
差別は人間の心理によるものであるという本質に目を向けず、
「言葉狩り」によって、差別用語を認定して封じ込めんとする
偽善に対する抗議には賛同するものの、
会社の命令とはいえ、
色情狂を「セックス依存症」と診断して病人扱いし、
「普通」へと導こうとするクソセラピー
そもそも自分の行ないを悪いと思っていないはずのジョーが参加し、
結局は、鏡の中に幼いころの自分を見出して我に返り、
ざまあみろとばかりにセラピーに同席した面々に
一発喰らわせて立ち去るのは
主張の正当性を表現するためにわざわざ設定した感がありあり
必要なシーンだったとは思えません。
ジョーがセラピーに参加する動機が、
ジェロームとの夫婦生活を円満に続けるため、
もしくは愛する息子の育児のためだったとしたら
まだ受け入れられたかもしれませんが。

てなことをいいながら、ここまで観てきて、
ジョーにはそれなりの感情移入をしていたので
「拳銃うんちく」のあとのクライマックスで
ジョーがジェロームにボコボコに殴られるのをみて
ジョーがかわいそうになったりしたのですが、
よくよく考えると、ジェロームにしてみれば
幼い子供をほったらかしにしてSM塾へと通い、
挙げ句の果てに銃を向けられたのですから、怒るのもやむなし。
とはいえ、ジョーが手塩にかけて育てたP(ミア・ゴス)
事情も知らないはずなのに一瞬で手のひらを返し、
路上に倒れ込んだジョーを嘲うかのように
ジェロームと「3+5」のセックスを見せつけ、
挙げ句の果てにションベンをかけるのは
さっぱり意味が分かりません。

ジョーの回想がリアルタイムに追いつき、お話は全て終わり。
ジョーがこれまで語ってきた性遍歴を
すべて男に置き換えると、
「武勇伝」として讃えられたんじゃないか
というのは
まさにその通りとは思うものの、視点自体の新鮮みに欠けています。
ジョーがセクシャリティーを破棄して生きていくのを宣言するのは
勇敢かもしれないけれど、
それって結局、
おっさんみたいな風貌のおばちゃんフェミニストみたいで
マジョリティにおもねったことになりはしないかと首をかしげます。
ジョーには、どんどん色情狂としての道を進んでもらって
頭の中では卑猥なことしか考えていないくせに
「普通」を装ってすました顔をしているやつらに対して
カウンターをくらわし続けてほしいものです。
ラストは、ま、そうなるよなというもので
こういう結末をもってしてコメディというのかもしれませんが
面白くもなんともありません。

語り手と聴き手が存在するという設定上、
時系列に順を追って物語が進んでいくので
すでに終わった話を傍聴している観客は
どこまでも第三者でしかなく、
物語に没入するタイプの映画ではありません。
では、それぞれのエピソードが
面白いかといわれればそれほどでもなく
露悪的な性描写もことごとくありきたりで
スカートめくりにはしゃぐ子供のようだと言わざるをえません。
トータル4時間という上映時間は冗長でしかなく、
まったく必然性を感じられません。

同じく性を扱った作品を例に挙げれば
性描写、コメディ要素、哲学的内容すべてにおいて
『劇場版 テレクラキャノンボール 2013』
足元にも及ばない作品でした。





にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ 
↑お気に召したらクリックしていただけますと、もんどりうって喜びます。
関連記事
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

«  | ホーム |  »

プロフィール

のほうず

のほうず
映画が好きで観るのはいいが、
かたっぱしから忘れていくので
オツムのリハビリ的ブログ。
******************
当ブログの文章・画像およびイラストの無断転載を禁じます。引用される場合は、出典の表記と当ブログへのリンクを設定してください。

FC2ブログランキング

FC2Blog Ranking

お気に召したら
クリックお願いします。
にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ

スポンサードリンク

↓過去の記事はこちらから!↓

検索フォーム

QRコード

QR

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

カウンタ