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アイ・ウェイウェイは謝らない

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(原題: Ai Weiwei: Never Sorry 2012年/アメリカ 91分)
監督・撮影/アリソン・クレイマン  製作/コリン・ジョーンズ、アリソン・クレイマン、アダム・シュレンジャー 編集/アリソン・クレイマン、ジェニファー・フィンラン 音楽/イラン・イサコフ
出演/アイ・ウェイウェイ

概要とあらすじ
2008年北京オリンピックのメインスタジアム「鳥の巣」の設計にも参加し、日本でも09年に森美術館(東京・六本木)で開催された個展が注目を集めた中国の現代芸術家アイ・ウェイウェイのドキュメンタリー。知識階級に生まれ、自国批判者としても知られるアイ・ウェイウェイは、08年5月の四川大地震における校舎倒壊と5000人以上の学童の死を独自に調査したことで、中国政府と決定的に対立。09年8月には警察に急襲されて暴行を受け、脳外科手術を受ける怪我を追う。時を同じくして英ロンドンのテート・モダンから新作展示の依頼も舞い込むなど、芸術家としての評価も高まっていったアイ・ウェイウェイだが、11年4月にはついに拘束され、保釈後も軟禁状態が続く。政府の監視が厳しくなっていった08年12月から撮影され、本人や初収録となる肉親のインタビューなどを通して、政府に挑み、芸術を生み出し続けるアイ・ウェイウェイと、いまだ司法や言論の自由が強い統制下にある中国の真実を描き出す。(映画.comより



オレは、わりと早めに謝る!

北京五輪のメインスタジアム、
通称「鳥の巣」の設計に関わったことで有名なアイ・ウェイウェイ
今や、反体制芸術家として有名な彼ですが
その存在を知られるようになったのが
北京五輪以降のことだということは
この『アイ・ウェイウェイは謝らない』を観て始めて知りました。
よくよく考えれば、
中国政府に反撥ばかりしているやつに
メインスタジアムの設計を発注するはずもないわけで
この時点では、いわば中国政府御用達のアーティストだったわけですな。

この作品を観る限り、
アイ・ウェイウェイの転機となったのは
2008年5月の四川大地震における被害者の数を
政府が公表しなかったことのようです。
とくにその被害者の多くは幼い子供たちで
「豆腐建築」どころか「おから建築」といわれる
ずさんな施工によって建てられた学校が倒壊したことによるものでした。
これに憤慨したアイ・ウェイウェイは
スタッフの協力を得ながら、地道な聞き込み調査を行ない、
亡くなった5000人近い子どもたちのプロフィールを
ネット上で公開した
ことで
中国当局から目をつけられることになるのです。

理不尽で暴力的な中国政府に立ち向かう
アイ・ウェイウェイの姿は非常にヒロイックです。
芸術家というより政治活動家のように見えますが
自由を求めて体制に刃向かう男として
偶像化される危険性を孕んでいるし、
すでにそうなっているのかもしれません。
注意しなければいけないのは
彼の言動=パフォーマンス=作品は
作品そのものの価値によって評価を得ているというより、
それが話題となり、多くの人に広まって
ある種のムーブメントになって初めて作品たり得るという点です。
おそらく、それはアイ・ウェイウェイ本人も自覚していて
だからこそネットとの親和性、なかでも速報性の高いTwitterを使い、
RTに反映される賛同こそが作品となっているのではないでしょうか。
同じことを無名な誰かがつぶやいたとしても
決してRTされて大きな動きになることはないでしょうから、
彼は自分の知名度を利用しつつ、世界的な世論を巻き込むことで
自己の表現たらしめているように思います。

深夜のホテルで、突然警察に押し入られ、
頭を殴られたというアイ・ウェイウェイですが
殴られる瞬間が撮影されていない以上、
アイ・ウェイウェイによる狂言の可能性も残しておくべき
だと思います。
とかく、権力を行使する側に対して反撥する人間に
いいぞいいぞと同調するのは心情的に理解できますが、
我が国における「政府」や「東電」に対する反発心と同様に
漠然とした仮想敵を作り上げ、それを攻撃することで満足してしまうと、
客観的な判断を妨げる原因にもなりかねず、
なにからなにまで、アイ・ウェイウェイに賛同するのではなく、
やはり冷静な批評性を持って接するべきではないか、
と思うのです。

世界各地で、
中指を立てた写真を撮影しているアイ・ウェイウェイですが
パーティーの乱痴気騒ぎで、いえ〜い!なんつって
酔っぱらったガキが中指を立てている写真との違いは紙一重です。
「芸術はそんなくだらないもんじゃない!」
なんて言われれば、その時点で芸術が権威主義的になっている証拠です。
芸術なんて、立派なものではありません。
だからこそ自由なのです。

アイ・ウェイウェイはそのことも自覚しているように思います。
あらゆる権威というハリボテをはがすということが
彼の表現活動の根幹になっています。

既存の価値観に対するアンチな態度は
既存の価値観に対するリアクションでしかなく、
あくまで相対的に発生したのであって、
既存の価値観があってこそのアンチなのだと考えている僕にとって
アイ・ウェイウェイの表現活動は
非常に考えさせられるものがありました。
もちろん、彼を否定するつもりはないけれど
常に客観性は維持したいと考えています。

うがった見方かも知れませんが
個人の自由を封じる中国政府の圧政があるからこそ
彼はそれに反撥するという表現方法を発見したのではないでしょうか。

ニューヨークで活動していたときには、
彼の表現が大々的に認められることはありませんでした。
父親の体調を心配して祖国に戻った彼が
今最も世界的に注目されている不可解な国からメッセージを発することに
芸術家としての生きる術を見出したのではないかというのは
考えすぎでしょうか。

「もし、アイ・ウェイウェイが中国人として生まれていなかったら」
というのは、タラレバが過ぎているかも知れません。
では、中国が人々の自由な言動を保証する国になったとき、
アイ・ウェイウェイは一体何を表現するのでしょう。
そのときこそ、彼が「活動家」ではなく
純粋な「芸術家」たり得るのではないでしょうか。





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