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リアリティのダンス

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(原題: La danza de la realidad 2013年/ チリ・フランス合作 130分)
監督・原作・脚本/アレハンドロ・ホドロフスキー 製作/ミシェル・セドゥー、モイゼス・コシオ、アレハンドロ・ホドロフスキー 撮影/ジャン=マリー・ドルージェ 編集/マリリーヌ・モンティウ 音楽/アダン・ホドロフスキー
出演/ブロンティス・ホドロフスキー、パメラ・フローレス、イェレミアス・ハースコビッツ、アレハンドロ・ホドロフスキー、バスティアン・ボーデンホーファー、クリストバル・ホドロフスキー、アダン・ホドロフスキー

概要とあらすじ
1970年代に発表した「エル・トポ」「ホーリー・マウンテン」などでカルト的人気を誇るアレハンドロ・ホドロフスキー監督が、「The Rainbow Thief」(93/日本未公開)以来23年ぶりに手がけた監督作。自伝「リアリティのダンス」(文遊社刊)を自ら映画化し、1920年代の軍事政権下にあったチリの田舎町を舞台に、幼少期のホドロフスキーと権威的な父親、息子を自身の父親の生まれ変わりだと信じるオペラ歌手の母親との暮らしや、ロシア系ユダヤ人であるがゆえに学校でいじめられて苦しんだ逸話などを、チリの鮮やかな風景と、現実と空想が交錯した幻想的な映像で描く。(映画.comより



赦し、そして癒す。家族の物語

『ホドロフスキーのDUNE』
にわかに再燃したホドロフスキー・フィーバー。
(一部だけ?)
その盛り上がりを決定づけるのが
23年ぶりの新作『リアリティのダンス』です。
H.R.ギーガーがあの世に旅立ってしまった今、
85歳になるホドロフスキーの表現魂は
衰えをみせるどころか、輝きを増しているようにさえみえます。
じゃあ、なんで23年間も映画を撮らなかったのかといえば
本人曰く「資金が集まらなかったから」だとか。

そんな23年間の思いが強いからか、
のっけからホドロフスキー自身が登場して
カメラ目線で拝金主義に対する呪詛を吐きます。
無邪気ささえ感じるストレートなメッセージですが
自伝を原作にしたこの作品の語り部を自らが務めることで
この作品がメタ構造になっていることを宣言します。

天使か妖精のように美しい少年(イェレミアス・ハースコビッツ)
幼少期のアレハンドロ・ホドロフスキー本人を演じます。
厳格で暴力的なアレハンドロの父親ハイメに扮するのは
ホドロフスキーの長男ブロンティス・ホドロフスキー
『エル・トポ』でフリチンだったあの子供です。
ほかにも、
少年アレハンドロに瞑想を教える行者(クリストバル・ホドロフスキー)
大統領暗殺に失敗して自殺するアナキスト(アダン・ホドロフスキー)
ホドロフスキー監督の息子です。
(アダン・ホドロフスキーは音楽も担当)

5人の兄弟のうち、三男は事故で亡くなってしまったそうですが
いわずもがな、この作品はホドロフスキー一家の家族映画です。
そして、この作品は自伝でありながら、
本人よりも父親ハイメを中心とした物語になっています。
自分の父親のことを語るために
実の息子がその父親を演じることで、
不思議な円環構造を作っているのです。
アレハンドロの母サラ(パメラ・フローレス)
アレハンドロのことを自分の父親の生まれ変わりだと
信じているのも同様でしょう。

父ハイメは
金髪のアレハンドロに「男らしくしろ!」と
異常なほど厳しく当たり、
失神するまで殴ったり、麻酔なしで歯の治療をさせます。
共産党員として独裁政権に反対しているものの、
家庭内のハイメは明らかに独裁者で
周囲に対しても差別的な人間です。
また、「神はいない。死んだら腐るだけだ」
宗教に関しても否定的です。

これまた過剰なほどムチムチの母サラは
全てのセリフをオペラ調で歌います
これは、オペラ歌手になる夢を断念した母の
夢を叶えるため
の演出だとか。
サラがスクリーンに登場したてのころは
オペラ調のセリフに客席から笑いがこぼれていましたが
それがサラの特徴として馴染んでくると
その音楽性によって、違和感どころか
高貴さまで漂ってくるようになります。

舞台の中心となるトコピージャ
ホドロフスキーの故郷で
その町並みは70年近く変わっていないそう。
少年アレハンドロが金髪のカツラをはぎ取られる床屋の
暖簾に漢字があったのも
当時から実在した日本人が経営する床屋だそうです。

砂浜に上がった大量のイワシに群がる大量のカモメから
イワシを奪おうと貧しい人たちが集まってくるシーン
デフォルメされているものの、実体験だとか。
ホドロフスキー作品おなじみのフリークスたちが登場しますが
彼らは鉱山の採掘に使用するダイナマイトによって
手足をなくした人々。

ホドロフスキーが、ただの悪趣味でフリークスを登場させるのではなく
少年時代に彼らと身近に接していた経験に
基づいていることがわかります。

ロシア系ユダヤ人である少年アレハンドロは
チリの人々のなかでは肌が白くて鼻が高かったために
「ピノキオ」とからかわれ、
かなり鬱屈した少年時代を過ごしていたようです。
ちんちんを木の棒に見立てて浜辺でせんずりする少年たちの
アレハンドロの木の棒だけ亀頭がくっきりと露わになっているのは
ユダヤの割礼を受けているから。

消防団の行進の最中にアレハンドロが倒れたことをきっかけに
周囲から臆病者とバカにされ、消防団を辞めることになったハイメは
名誉挽回とばかりに、ペスト患者の集団に分け入って
水を与えるものの、自分もペストに罹ってしまいます。
命からがら戻ってきたハイメを優しく抱きしめたサラは
なんと、ハイメにまたがって長々と放尿!
監督によれば、多くの宗教で尿は人を癒すものだとされているそうで
それまで、威張り散らすハイメに対して
従順なだけのようにみえたサラが豊かな包容力を示し、
ハイメを癒す聖母のような存在へと立場が逆転したのです。
これぞ、愛のマウント。

ついに、父ハイメは独裁者イバニェスを暗殺する旅に出ます。
ところが、イバニェス大統領を目の前にし接することで
ハイメの心境に徐々に変化が訪れます。
暗殺を企てるほど憎んでいた相手だったにもかかわらず
イバニェス大統領の人間的な側面に気づき、
全否定できなくなるのです。
差別的で威圧的だったハイメは
徐々に弱い人たちを思いやるようになります。
また、同監督作によく登場する「師」と呼べる存在は
この作品では椅子職人の老人でしょう。

前半で、男らしい威厳や強さにこだわっていた男が挫折し、
後半で悟りを開く修業の道を辿るというのは
構造的に『エル・トポ』とそっくりです。
『エル・トポ』の主人公はホドロフスキーの父親像が反映されているし、
砂漠に捨てられるフリチンのこどもはアレハンドロです。
夫婦のように暮らす奇形の女性が登場するのも
『エル・トポ』と酷似しています。
『エル・トポ』では、主人公が悟りの境地に達することができず
焼身自殺してしまいますが、
この作品では家族がひとつになり、
ある種のハッピーエンドになっています。
なぜなら、この作品が癒しと再生の物語だからでしょう。
ハイメが自分の頑なな態度を悔い改め、敵を赦したように
ホドロフスキーはこの作品を通じて
父を赦し、母を癒したのです。


行進するナチスの戦車をハリボテにして
見せかけの威力に過ぎないことを揶揄していたり、
ハイメに倒されたナチスが赤ちゃんの泣き声だったのは痛快でしたし、
ほかにもあれやこれやあったけれど、このへんにして
ただただイメージの氾濫に身を任せるのみ!





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