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ゴーストワールド

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(原題: Ghost World 2001年/アメリカ 111分)
監督/テリー・ツワイゴフ 原作/ダニエル・クロウズ 脚本/ダニエル・クロウズ、テリー・ツワイゴフ 撮影/アフォンソ・ビアト 美術/エドワード・T・マカボイ 音楽/デビッド・キティ
出演/ソーラ・バーチ、スカーレット・ヨハンソン、スティーブ・ブシェミ、ブラッド・レンフロ、イリアナ・ダグラス、ボブ・バラバン、テリー・ガー

概要とあらすじ
70年代のカルト・コミック「フリッツ・ザ・キャット」の作者ロバート・クラムを描く「クラム」(94) などドキュメンタリーに定評のある監督ツワイゴフが劇映画に初挑戦。クラムとは長年の友人だったという彼が、今回、原作に選んだのは現代のオルタナ・コミックの代表的作品「ゴーストワールド」(翻 訳はpresspop gallery刊)。原作には登場しない中年おたく役でスティ ーブ・ブシェーミ、2人にいつもいじめられてる男の子役でブラッド・レンフロが出演。(映画.comより



大人になるとは、負けを認めること

成人式で暴れたり、
中年と呼ばれるような年齢になっても
実家で親に飯を食わせてもらっている人もいるけれど
(働けない事情がある人は別として)
高校を卒業したばかりというのは
嫌が応にも大人になることを強要される年頃です。
それは仕方のないことだし、必然とはいえ
スイッチを切り替えるように
立派な社会人の道をスタスタ歩めるようになるかといえば
そうもいかないのが現実でしょう。
ま、大学(もしくは大学院)に逃げるという方法もあるわな。

イーニド(ゾーラ・バーチ)
レベッカ(スカーレット・ヨハンソン)の仲良し二人組も
大人への脱皮に四苦八苦しています。
それでも、このとき15歳でピッチピチのスカ女が扮するレベッカは
現実を受け入れて、大人として生きていこうとしていますが
イーニドはあいかわらず
現実もしくは自分と向き合うことができません。
ダサいやつやキモいやつをみつけては
からかって喜んでいるのですが
他人の揚げ足をとっているに過ぎず、
まったく自己主張などと呼べるようなものではありません。
他人を笑ってみせることで、自分が笑う側の立場にいると装い、
相対的に優位に立っている気分に浸っているだけ
なのです。
もしも、本当に自分が主張したいことがあるならば
他人をからかって笑うより、泣きながらでも罵倒するほうがマシなのです。

イーニドには、将来の目標がありません。
だからこそ、ファッションや髪の色をころころと変えてみて
自分自身をも茶化しています。

かろうじて、絵をかくのが好きなようですが
その絵もこれといって秀でた才能や技術があるわけでもなく、
(教師の評価は関係なく、彼女が描いた絵をみれば明らか)
絵の道に進みたいという気持ちもなさそうです。
一度は奨学金付きで美術学校への進学を勧められるものの、
ある問題が起きて時すでに遅し、となるわけですが
これとて、イーニドが美術学校への進学を熱望していたわけではなく、
ほかのアテがなくなったから進学におもねっただけです。

とまあ、イーニドをみていると
あまりに無遠慮で幼稚な態度に腹が立ってくるのですが
いわずもがな、それは若かった頃の自分に対する憤りでもあるわけです。
ネット上の感想をあたってみると
「社会に溶け込めないイーニドはまるで自分のことのようだ」
という意見がなかなか多く見受けられるのですが
そんなに多くの人が社会に溶け込めないのなら
一体社会を構成しているのは誰なんだという疑問はさておき、
世の中が馬鹿ばっかりでクソだらけなのは事実です。
イーニドよりもはるかに年齢を重ねているにもかかわらず、
いまだに僕は憤怒と劣情と絶望を日々実感していますのよ。

イーニドが70年代風パンクフォッションをしていたときに
ビデオを借りたやつのセリフにあったような気がしますが
(具体的なセリフは失念)
社会が気に入らないなら、社会に入って内部から壊さないとダメなのです。
そのためには、社会との戦いに何度も負け、
もしくは負けたフリをしなければなりません。
これがなんとも辛いのですが、
どうやらほかに方法はなさそうです。

「ミスター・ピンク」こと、スティーヴ・ブシェミが演じる
シーモアとイーニドの交流は
お互いを理解者と呼べるような関係になりかけたものの、
結局はイーニドの優柔不断な行動によって
シーモアを傷つける結果に終わってしまいます。

すでに多くの意見が交わされているように
最大の問題はバスをどう解釈するかでしょう。
2年前に廃線になったというバス停留所のベンチに
いつも座っている老人
に、バスは来ないとイーニドが告げると
老人は「君はわかってないな」と返すのが最初の出会い。
大の仲良しだったレベッカとも疎遠になり、
居場所を失ったイーニドがバス停に目をやると
来ないはずのバスがやってきて、老人はそのバスに乗り込みます。
誰もいなくなったベンチにイーニドが腰掛けると
再びバスがやってきて、イーニドを乗せたバスは
どこかへ遠ざかっていく
のです。

原作のラストでも、レベッカと別れたイーニドは
荷物をまとめて街を出るそうで
このラストシーンがイーニドの自殺をほのめかしているという意見が
多くみられるようですが
少なくとも僕には、肉体的な自殺だとは感じられませんでした。
前述したように、社会に対する(一時的な)精神的な敗北
示唆しているのではないでしょうか。
なにしろ、来ないはずのバスを待ち続けているのが老人なので
死や老いを感じないわけではありませんが
考え方と行動範囲ともに狭かったイーニドが
別のどこかへ旅立ったのであれば
敗北を受け入れた痛々しい一歩だと思えなくはありません。

なんつって考えていると
小林秀雄の「Xへの手紙」の一節が頭に浮かびました。

 どんな個人でも、この世にその足跡を残そうと思えば、
 何等かの意味で自分の生きている社会の協賛を経なければならない。
 言い代えれば社会に負けなければならぬ。社会は常に個人に勝つ。
 思想史とは社会の個人に対する戦勝史に他ならぬ。

 (Xへの手紙)

来るはずのないバスを待っていた老人は
この「ゴーストワールド」を代表する死に神のような存在で
「ゴーストワールド」、すなわち幽霊の世界とは
ジョージ・A・ロメロが「ゾンビ」を通して描いた
リビング・デッド=生ける屍が蔓延する現実
同様なのではないでしょうか。

だって、社会はゾンビだらけだもの。





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