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サニー 永遠の仲間たち

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(原題:Sunny 2011年/韓国 124分)
監督・脚本/カン・ヒョンチョル
出演/シム・ウンギョン、カン・ソラ、ミン・ヒョリン、ユ・ホジョン、ジン・ヒギョン

概要とあらすじ
1970~80年代の洋楽ヒットナンバーの数々で彩られ、2011年韓国で740万人を動員したドラマ。夫や娘にも恵まれ、何不自由ない生活を送っていた42歳のナミは、ある日、母の入院先で高校時代の友人チュナと再会する。25年前の高校生時代、ナミやチュナら7人の仲良しグループはずっと一緒にいると約束しあったが、ある事件がきっかけで離れ離れになってしまっていた。病気に苦しみ、最後にみんなに会いたいというチュナのため、ナミは当時の仲間を集めようと決意。各地に散った仲間を訪ねる旅の過程で、再び人生に輝きを取り戻していく。監督は「過速スキャンダル」のカン・ヒョンチョル。(映画.comより)



整形してごめんね〜

2012年の夏、『桐島、部活やめるってよ』と並び称され、
「おっサニー」(サニー好きのおっさん)という
集団(?)まで発生するほど、一部の熱狂とともにヒットした作品。
日本公開当初は芳しくなかった観客動員が
その後Twitterなどを通じて口コミで評判が広まり、
大ヒットに繫がったというところも『桐島』と似ているところか。

『サニー 永遠の仲間たち』に対する著名人(とくにサブカル系)の絶賛が
少なからずバイアスとなってしまうのだが
良作なのは間違いないとはいえ、
個人的には、絶賛するほどの感動は得られませんでした。すまぬ。

主人公のナミ(ユ・ホジョン)は、母が入院する病院で
偶然にも余命2カ月の旧友チュナ(ジン・ヒギョン)と出会い、
それをきっかけに25年前の仲良しグループ「サニー」のメンバーを
探し始めます。その25年前が1986年にあたるのですが
2年後にソウルオリンピックを控えた1986年の韓国は軍事政権下にあり、
民主化運動が吹き荒れる「政治の季節」でした。
主人公たちが25年前の高校時代を懐かしく振り返り、
その後成長して現在に至るそれぞれの個人史と、
韓国という国そのものが当時まさに変わろうとしていた
若く青い時代とを重ねて表現しているので、
単にアラフォー(もしくはアラフィフ)のノスタルジーで
片付けてしまっては見間違えることになるでしょう。

日本でも、韓国の事情よりもさらに20年ほど遡った60〜70年代に
学生運動があり、それを伝え聞く者たちは
運動の政治的な是非はともかく、
「世界が変わる瞬間に立ち会っているかもしれないワクワク感」に
心躍らせてしまうのが正直なところ。
もしかしたら当時の運動家たちも、その「ワクワク感」に
引きずられていたのではと邪推してみたくなりますが
日本同様、韓国でもそういう時代にある種の輝きを感じるようです。

さて。
仲良しグループのメンバーが7人もいるのは多すぎるんじゃない?
5人くらいでいいんじゃないの? と思っていたところ
韓国では「7人の女性(セブンシスターズ)」
トラブルメーカーの高校生を意味する隠語だということで納得。
親分肌、お調子者、優等生、クールな美人、デブ……と
それぞれが漫画的なキャラクターで分類されているのですが
それにしても、現在の7人と25年前の7人が、まーそっくり!
違う世代の同一人物を違う俳優で表現しなければならないとき、
「この子が大きくなったのがこの人ですからね」というテイで
観客に納得させるか、最近では『LOOPER/ルーパー』のように
特殊メイクを使って力業で乗り切るのが通常だと思いますが、
見た目だけでなく、それぞれのキャラクターも踏まえたうえで
ここまでよく似た俳優を見つけてきたのは
キャスティングの勝利といっていいでしょう。

顔が全く変わってしまったメンバーがひとりだけいますが
そこは整形天国・韓国。
そっくりな俳優をキャスティングできなかったのが実情だったとしても
美容整形が当たり前の韓国では、そんな事情も軽々と飛び越えます。
「あなた、変わらないわね」というあいさつが
すなわち「あなた、整形してないのね」という意味を成すという、
なんとも独特というか、ちょっとヒクような話が
この作品のキャスティングに一役買ったと言えるでしょうか。
劇中に整形にまつわるエピソードは少なからず出てきますが
この作品の後半に登場する「美人」という別のポイントと併せて
監督の韓国における美容整形文化を揶揄する態度が見て取れます。

1986年当時の風俗を表現するために
ファションから小物、『ロッキー4』の看板に到るまで
様々な時代考証が成されています。
その最たるものが、主題歌の『サニー』『愛のファンタジー』
『タイム・アフター・タイム』などの音楽です。
なぜか音楽というものは、その曲を聴いていたときの
自分の思い出とともに記憶されているものですが
とくに登場人物たちと同世代の観客たちにとっては
いてもたってもいられない思い出ぽろぽろのトリガーになっています。
当時、韓国で流行した曲のなかには、当然韓国の歌謡曲のようなものも
含まれているはずですが、選曲を「洋楽」に絞ったのは
普遍性を持って観客にタイムスリップしてもらうためでしょう。
ほぼ同時期と言って差し支えないであろう、
1987年の日本を描いている『苦役列車』も時代考証に優れた作品なので
見比べてみるのも一興かと。

25年前の登場人物たちのファッションがやけにカラフルなのは
その世界があくまでナミの思い出の中の世界であるからでしょう。
思い出というやつは、いいことも悪いことも多めに彩るもんですな。

その「多めに彩られた世界」では、もう一緒にいるだけで楽しく、
毎日がコメディーのような生活です。
私がいまひとつこの作品に乗りきれなかったのは、
まさにこのコメディーの部分で、
対立するスケバングループとの対決やナミが頰を赤らめる特殊効果などの
いかにも「コメディー然としたコメディー」がくり返されるうち、
徐々にしらけた気分になってしまったのです。
「そこがいいんじゃない!」と言われるかもしれませんが
こればっかりはしょうがない……すまぬ。

それでも、この監督の演出の手腕は認めざるを得ません。
冒頭での、慌ただしく朝食の準備をするナミを
しばらくは顔を映さずに追いかけ、
その後、鏡を見て肌の衰えを気にするナミの顔を捉えることで
専業主婦であるナミの生活を説明し、
せっかく作った朝食をまともに食べない夫と娘を送り出したあと、
ナミがひとりでトーストを食べるシーンは
経済的に恵まれた結婚生活を送りながらも、潜在する孤独を
説明的なセリフなど用いずに巧みに表現しています。

闘病を続けるチュナの病室に貼られた写真が
旧友たちとひとり、またひとりと出会ううちに増えていくのも
観客にストーリーを説明するための小道具ではなく、
登場人物がとるであろう行動に即した、さりげないが重要な演出です。

何から何までセリフで説明しようとするダメな日本映画
(あくまで「ダメな日本映画」であって「日本映画はダメ」ではない)
なぜこういうことをやろうとしないのか不思議でなりません。
おそらくは、自分の無能さを棚に上げ、いやその無能さゆえに
観客の知性を信用していないのが原因ではないかと思われます。
愚作は世界中にごまんとあるでしょうが、
日本で生活する以上は傑作・愚作を問わず、
必然的に日本映画を目にする機会が増えるので
それほどバジェットが大きくないこの作品のような、
しかもお隣の韓国映画にできて、日本映画にできないのはなぜなのか……
と考えると、ため息混じりに屁まで出るのです。
あ。『桐島』みたいな作品もちゃんとあるんだから、別にいいか。
よし、解決。

かつての仲良しグループのメンバーを探すため、
現在と25年前とを往来するタイムスリップ映画でもあるこの作品は
登場人物が振り返ったりカメラがパンすることで
その時間の変移をこれぞ映画的といえる手法で見せてくれます。
「ああ、いま映画を観ているのだ!」という愉悦を味わえるのです。
やがて、何度となく現実と過去を行き来したナミは
実体化した思い出である25年前の自分と邂逅し抱き合うのです。

終盤、「サニー」のメンバーたちにとって最も重要な事件が起き、
それによって7人は離ればなれになります。
「あんなに仲がいいのに
 25年も連絡を取り合わないなんてことがあるのか?」
という声もあるようですが、携帯電話もtwitterもFacebookもない
当時としてはわりと普通のことだと思います。
別に事件もなければ喧嘩別れしたわけでもないけど
わざわざ追跡しない限りは「あいつ、どうしてっかな〜」くらいのことで
年賀状のやり取りだけでも続いていれば、
まだましなほうだと言えるのではないでしょうか。
かたや「25年ぶりに会って、あんなに意気投合するのか?」
という声に対しては……するんだよ! これが!
本当に仲がよかった相手の場合なら
「お〜、久しぶり〜」なんていう感激があるというよりも
まるで一週間ぶりに会うかのような感覚さえあるのです。
まあ、「25年ぶり」といっている時点で、この感覚を共有するには
それ相応の年齢を重ねていないといけないわけで、
そうでない方には無理な話ですな。

『サニー 永遠の仲間たち』にはディレクターズカットが存在するようで
劇場版では唐突に感じられるシーンにも辻褄があるようです。
とくに終盤の事件のあと、
7人が離ればなれになった理由が語られるのですが
ディレクターズカットによくあるように
全体的に冗長で、劇場版のテンポが失われているようです。
ようですようですと言っているのは
僕がディレクターズカットを観ていないからで、ははは、
知ったかぶりはできませんが
外的な制約がかえって作品の完成度を高めるのはよくあることです。

ラストの葬儀のシーンで、他界したチュナは
自分の財産を「サニー」のメンバーに与えることを遺言で伝えます。
これを「拝金主義」だなどという意見もあるようですが
遺産相続させるような家族がいなければ
金額に拘わらず、自分の財産や貯蓄を
友だちにあげてしまおうと考えるのは当然なことではないでしょうか。
銀行や役所を喜ばせるくらいなら、たぶん僕もそうしますよ。
あとは寄付すると金。いや、寄付するとかね。

というわけで、
個人的にはいまいちだったけれども、そんな僕にもこれくらいのことは
語らせるだけの魅力がこの作品にあったのは事実です。
一見の価値は十分にあり。

ちなみに、僕は高校生時代のチュナが好みです。
聞いてませんか? ああ、そうですか。





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