" />

インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌

insidellewyndavis.jpg



(原題: Inside Llewyn Davis 2013年/アメリカ 104分)
監督・脚本/ジョエル・コーエン、イーサン・コーエン 撮影/ブリュノ・デルボネル 美術/ジェス・ゴンコール 衣装/メアリー・ゾフレス 音楽/T=ボーン・バーネット、マーカス・マムフォード
出演/オスカー・アイザック、キャリー・マリガン、ジョン・グッドマン、ギャレット・ヘドランド、F・マーレイ・エイブラハム、ジャスティン・ティンバーレイク、スターク・サンズ、アダム・ドライバー

概要とあらすじ
「ノーカントリー」「トゥルー・グリット」のコーエン兄弟が、2013年・第66回カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞した作品。1960年代のフォークシーンを代表するミュージシャン、デイブ・バン・ロンクの生涯を下敷きに、売れない若手フォークシンガーの1週間をユーモラスに描いた。60年代の冬のニューヨーク。シンガーソングライターのルーウィンは、ライブハウスで歌い続けながらも、なかなか売れることができずにいた。音楽で食べていくことをあきらめかけていたが、それでも友人たちの助けを借り、なんとか日々を送っていく。「ロビン・フッド」「ドライヴ」などに出演したオスカー・アイザックがルーウィン役を演じ、歌声も披露。音楽に「オー・ブラザー!」「クレイジー・ハート」のT=ボーン・バーネット。(映画.comより



哀しき徒花、死屍累々

コーエン兄弟の新作だと聞けば
どんな内容の作品だろうが
見逃すわけにはいかないと思ってしまいます。
だって、がっかりすることなどありえないから。
あえて、そう言い切ってしまいます。

それにしても、
『インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌』
ある種の人たちにとっては心が痛い作品です。
ミュージシャンではなく、物書きでも絵描きでも
なにかしら自分を表現して認められたいと思っていたのに
世の中に受け入れられなかった多くの人たちにとっては
身につまされる物語です。

ボブ・ディランが憧れていたという、
デイブ・ヴァン・ロンクというフォークシンガーを
モデルにしてはいるものの、
オスカー・アイザック扮するルーウィン・デイヴィス
日の目をみなかったあらゆる表現者たちの姿
表しているように感じます。
とはいえ、ルーウィンを捉えるまなざしは
理不尽な世間を呪うルサンチマンに共感するでもなく
かといって不遇な男を哀れんでみたりもしません。
アフレコではなく全てライブ演奏という、
オスカー・アイザックのギターテクニックと歌声は
素晴らしいものでしたが
ルーウィンの演奏と歌声をきちんとうっとりするように映し出し、
彼の音楽的才能があることを伝えたうえで
才能があるからといって成功を収められるわけではないという現実
偏ることなく表現しているように思います。
そのうえで、スポットライトが当たることのなかった
あらゆる表現者への愛情を感じます。
もちろん、モデルとなったデイブ・ヴァン・ロンクは
語り継がれているだけでも成功といえるのかも知れませんが。
また、音楽マーケットの変化の渦中にいたルーウィンは
時代の犠牲者という言い方もできるかもしれません。

『ドライブ』でオスカー・アイザックと夫婦役だった
キャリー・マリガンがミュージシャン仲間として登場しますが
今までのイメージとうって変わり、
黒髪のロングヘアで全く印象が違います。
しかも妊娠が発覚した彼女は
一夜を共にしたルーウィンをこれ以上ないほど罵倒します。
いやいや、レイプされたわけじゃないんだから、さ。
ま、その罵倒の仕方が面白いのですが。
ていうか、ジーン(キャリー・マリガン)が住んでいる
アパートの廊下は先に行くほど細くなっていて
一体どういう構造の建物なのか不思議でした。

さて、重要かつめんどくさいのが
「ユリシーズ」と名づけられた猫の存在です。
『ユリシーズ』は、プルーストの『失われた時を求めて』と並んで
20世紀を代表する世界文学の金字塔といわれる
ジェイムズ・ジョイスの小説ですが、
その『ユリシーズ』は、
ホメロスの叙事詩『オデュッセイア』が下敷きになっていて
おそらくはこの作品と連なるであろう『オー・ブラザー!』の
ベースになっているのが『オデュッセイア』
なのです。
だからして、猫の名前に何の気なしに「ユリシーズ」なんて名前が
つけられているはずがありません!
とても重要な意味を持つのは間違いないのです!
かくして、その意味とは……無理!!
『ユリシーズ』なんて読んだことないし。

だからして、猫の名前が「ユリシーズ」だったのは
気がつかなかったことにして憶測するに
あの猫はルーウィンそのものであり、
彼が追い求める自由の象徴で、
また、ルーウィン自身も持て余してしまう
彼のプライドの象徴のように感じました。
冒頭の電話をかけるシーンで
「Llewyn has the cat(猫を預かってる)」というのを
「Llewyn is the cat(ルーウィンは猫だ)」と聞き間違えられるのも
ただのジョークとは思えません。

ニューヨークに居続けたルーウィンが
友人の誘いに乗ってシカゴへ向かうのは
現実逃避と自分を見つめ直す旅の両方を兼ね備えた
ロードムービーになっていますが、
途中でルーウィンは猫を置き去りにしてしまいます。
この長い道中の、おそらくジャズマンのジョン・グッドマン
いけ好かないビートニクのギャレット・ヘドランドとの
3人の関係は当時の音楽的状況を象徴していると思われますが
車に猫を(じつはこの猫は「ユリシーズ」ではない)
置き去りにした時点で
ルーウィンは、ロバート・ジョンソンの「クロスロード」よろしく
「魂」を捨てる覚悟をしたと考えても
いいのではないでしょうか。
とはいえ、一縷の望みを託して望んだ面接で
技量を認められながら「金の匂いがしない」といわれ、
別のグループの一員に加わることを進められて拒絶します。
「魂」を置き去りにしたつもりでも、
まだ譲れないものが彼には残っていたのでしょう。

そして、シカゴからニューヨークへの帰路の途中で
ルーウィンは猫らしき動物を車で轢いてしまいます。
その猫は茂みの中へゆっくりと消えていくのですが
自ら傷つけ闇に消えてしまった夢と誇りを目の当たりにし、
ルーウィンはミュージシャンとして生きていくことを
今度こそ本当に諦めてしまったのではないでしょうか。
また、じつは自分の子供を堕胎せず出産していた元彼女が
暮らす街のそばを通りかかったとき、
ルーウィンは逡巡するそぶりはみせるものの、
結局立ち寄ることはありませんでしたが
これも彼が過去との決別を意識した表れだと思います。

とはいえ、いまさら地道に暮らしますなんていっても
だれも優遇してはくれません。
ミュージシャンをやめて船乗りになろうとするものの
組合の会費を払えといわれ、しぶしぶ有り金をはたくと
今度は免許がないから船に乗れないといわれて
踏んだり蹴ったり。
地道な暮らしをなめんなよ、ってことです。

まるでこれまでのストーリーが
ルーウィンがみていた夢だったかのように、
ラストシーンでオープニングのシーンが繰り返されます。
そこにはボブ・ディランらしき男が歌う姿が。
世界的スター誕生前夜であり、
ひとつの時代が終わろうとしている瞬間です。
ボブ・ディランの輝きの予感とは対照的に
野次った女性シンガーの旦那からボコられるルーウィン。
(あのおばちゃんは、カントリー界のベテラン歌手
 ナンシー・ブレイクだとか)

夢破れた人間の死屍累々に涙しつつ、
地道な生き方だって簡単じゃないぜと思い知らされ、
どっちにしろ生きていくのはしんどいから
とりあえず酒を飲んでごまかそう。







にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ 
↑お気に召したらクリックしていただけますと、もんどりうって喜びます。
関連記事
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

«  | ホーム |  »

プロフィール

のほうず
映画が好きで観るのはいいが、
かたっぱしから忘れていくので
オツムのリハビリ的ブログ。
******************
当ブログの文章・画像およびイラストの無断転載を禁じます。引用される場合は、出典の表記と当ブログへのリンクを設定してください。

FC2ブログランキング

FC2Blog Ranking

お気に召したら
クリックお願いします。
にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ

スポンサードリンク

↓過去の記事はこちらから!↓

検索フォーム

QRコード

QR

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

カウンタ