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アクト・オブ・キリング

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(原題:The Act of Killing 2012年/デンマーク・ノルウェー・イギリス合作 121分)
監督/ジョシュア・オッペンハイマー 共同監督/クリスティン・シン、匿名希望 制作総指揮/エロール・モリス、ベルナー・ヘルツォーク、アンドレ・シンガー、ヨラム・テン・ブリンク、トシュタイン・グルーテ、ビャッテ・モルネル・トゥバイト 撮影/カルロス・マリアノ・アランゴ・デ・モンティス、ラース・スクリー 編集/ニルス・ペー・アンデルセン、ヤーヌス・ビレスコウ・ヤンセン、マリコ・モンペティ、チャーロッテ・ムンク・ベンツン、アリアナ・ファチョ=ビラス・メストル 音楽/エーリン・オイエン・ビステル
出演/アンワル・コンゴ、ヘルマン・コト、アディ・ズルカドリ、イブラヒム・シニク

概要とあらすじ
1960年代インドネシアで行われた大量虐殺を加害者側の視点から描いたドキュメンタリー。60年代、秘密裏に100万人規模の大虐殺を行っていた実行者は、現在でも国民的英雄として暮らしている。その事実を取材していた米テキサス出身の映像作家ジョシュア・オッペンハイマー監督は、当局から被害者への接触を禁止されたことをきっかけに、取材対象を加害者側に切り替えた。映画製作に喜ぶ加害者は、オッペンハイマー監督の「カメラの前で自ら演じてみないか」という提案に応じ、意気揚々と過去の行為を再現していく。やがて、過去を演じることを通じて、加害者たちに変化が訪れる。エロール・モリス、ベルナー・ヘルツォークが製作総指揮として名を連ねている。山形国際ドキュメンタリー映画祭2013インターナショナル・コンペティションで「殺人という行為」のタイトルで上映され、最優秀賞を受賞。14年、「アクト・オブ・キリング」の邦題で劇場公開。(映画.comより



繰り返される狂気と慚悔

公開開始から1ヶ月近く経って
ようやく観ることができた『アクト・オブ・キリング』
超話題作にもかかわらず、
公開当初、東京都内での上映は1館のみで、劇場は大混雑。
やがて2館になったものの、レイトショーのみで
こちらも連日満員御礼。
どちらの劇場もネットで座席予約ができず、
レイトショーに行ってみたら満席で入れませんでした〜
って帰ってくるのは辛いので、二の足を踏んでおりました。
結局、昼間に一度予約のために劇場まで足を運んで
座席を確保することができたのです。
平日にも拘わらず、いまだにほぼ満席でした。

1965年、インドネシアで起きた軍部によるクーデターから
3年間でおよそ100〜200万人を殺したという大虐殺。

その後、40年経った現在に至るまで
大筋で政治状況が変わっていないというのが驚きです。
虐殺の対象となったのは、共産主義者や華僑たちですが
米ソの代理戦争の趣が強く、
日本政府もクーデター後に政権を握ったスハルト政権を支持し、
大虐殺を黙認していたというのですから
まったくもって対岸の火事ではありません。
クーデター当時の大統領はスカルノ大統領で
その奥さんがデヴィ夫人
ですが、彼女によると
スカルノ大統領は共産主義を標榜していたわけでもなかったようで、
(そもそも共産主義者だからといって殺していいはずもないのですが)
「共産主義は悪である」という扇動が
政権転覆のために利用されたとみるべきなのかもしれません。
パンフレットに掲載されていた越智啓太氏の
「カテゴライゼーションとレッテル貼り」という解説

非常に興味深いです。

当初は虐殺の被害者たちを取材していたそうですが
政府の弾圧によって企画が頓挫。
ところが取材していた被害者からの
「加害者を取材してみれば?」という申し出を受けて
製作がスタートしたという経緯が面白い。
被害者たちは、加害者に虐殺の話をさせれば
喜んで話すことを知っていたのですね。
それから8年という年月をかけて製作されたわけですが
多くの加害者に取材し、その41人目の加害者だったのが
1000人を殺したとされるアンワル・コンゴ
この三池崇史みたいな顔した老人に目をつけた
ジョシュア・オッペンハイマー監督の審美眼が素晴らしい。
加えて、西田敏行みたいなアンワルの弟分ヘルマン
愛嬌溢れる風貌(あくまで風貌)。
このふたりのキャラクターが
この作品の魅力を決定づけたといっても過言ではないと思います。

大虐殺のようすを詳細かつ得意げに話す彼らが
政治活動家でもなんでもなく、ただのやくざだというのも恐ろしい。
華僑からみかじめ料を巻き上げる姿も映し出されます。
「パンチャシラ青年団」という巨大チンピラ組織が登場しますが
そんな連中を操り、これまた得意げに虐殺を振り返る
副大統領や大臣などの政治家たちは
大量の賄賂によって選挙に当選しているというインドネシアの状況に
開いた口がふさがりません。
実際に継父をアンワルに殺された男が
「批判するわけじゃないんだ」とこわばった笑顔で経験を語り、
犠牲者役を演じながら見せる苦悶の表情をみれば
アンワルたちがいかに恐れられているかが伝わってきます。

彼らが演じる劇中劇は一本の映画として完成させるつもりはなく、
本人たちもそれを承知の上だったそうですが
なんでデブのヘルマンが被害者の妻をど派手に女装して演じるのか
さっぱりわかりませんが、とにかくみんなノリノリなのです。
かなりのオシャレさんでもあるアンワルは
殺人の再現よりも服装や白髪のほうが気になるようです。
青い空をバックにアンワルとヘルマンが身につけたピンクが鮮やか
より非現実感をひきたてます。
彼らがダンスを踊る湖畔の巨大な魚(じつは金魚)のハリボテ
いったいなんだろうと思っていたら
かつてシーフード・レストランだったそうな。
このハリボテがある場所そのものも、
人類がここから進化したとされている場所だそうで
(トバ・カタストロフ理論)
因縁めいた意味があるのです。
荘厳な瀧をバックにした大団円と思しきシーンでは
「私を殺してくれてありがとう。1000回の感謝を捧げます」
と被害者の亡霊が語り、アンワルに金メダルを渡します……

自ら被害者役まで演じるアンワルには
少しずつ心境の変化が見え始めるものの、
正直、終盤に差し掛かるまで
この作品をどう捉えていいのかわからないまま観ていました。
加害者たちは自分たちが行なったのは殺人で
それはよくないことだというのはわかっているようなのですが
あまりにも陽気で悪びれる様子がなく、
またそれを滑稽に演じてみせるので
眉をひそめるべきなのか、笑うべきなのか
態度を決められないままでした。

ところが、ラストシーンになって
前半で、実際に殺人が行なわれていた場所で
針金を使ってなるべく血が出ない効率的な殺し方
楽しそうに説明していたアンワルが
再びその場所に戻ってくると、激しい嗚咽をはじめたのです。
この長い嗚咽シーンをみて
アンワルは思想や倫理よりもさきに
肉体的な拒否反応を示したと感じられ、
自分がなにを観ていたのか突然理解したような気がしました。
なんだか子供っぽいし、ダジャレみたいなので
書こうかどうしようか迷いましたが
サルトルの『嘔吐』が頭に浮かんできました。(書いちゃった)
アンワルの嗚咽は、実存への不安による
アレルギー反応なのではないでしょうか。

誰の目にも彼らの姿が異常に見えるはずですが
それは彼ら特有のものではなく、
人間本来の異常さなのでしょう。
戦争中は、ナチスもそうだし、日本軍もそうでした。
まだまだ記憶に新しい、ビン・ラディン殺害のニュースを見て
諸手を挙げて喜ぶアメリカ国民たちの姿は
アンワルたちと大差ないのではないでしょうか。

エンドクレジットに並ぶ、
大量の「ANONYMOUS(=匿名)」の文字。
人間の狂気は現在進行形というわけですな。





↓町山さん、日本のマスコミに激怒!! おまえら全員、バカだ!




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