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さよなら渓谷

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(2013年・日本 116分)
監督/大森立嗣 原作/吉田修一 脚本/大森立嗣 撮影/大塚亮 美術/黒川通利 録音/吉田憲義 編集/早見亮 音楽/平本正宏
出演/真木よう子、大西信満、鈴木杏、井浦新、新井浩文、木下ほうか、三浦誠己、薬袋いづみ、池内万作、木野花、鶴田真由、大森南朋

概要とあらすじ
真木よう子が「ベロニカは死ぬことにした」以来7年ぶりに単独主演を飾り、吉田修一の同名小説を映画化した人間ドラマ。緑豊かな渓谷で幼児殺害事件が起こり、容疑者として実母の立花里美が逮捕される。しかし、里美の隣家に住まう尾崎俊介の内縁の妻かなこが、俊介と里美が不倫関係にあったことを証言。現場で取材を続けていた週刊誌記者の渡辺は、俊介とかなこの間に15年前に起こったある事件が影を落としていることを知り、2人の隠された秘密に迫っていく。俊介役は「赤目四十八瀧心中未遂」「キャタピラー」の大西信満。「ケンタとジュンとカヨちゃんの国」「まほろ駅前多田便利軒」の大森立嗣監督がメガホンをとり、監督の実弟・大森南朋も週刊誌記者・渡辺役で出演。(映画.comより



究極のSM、冤罪プレイ

それにしても、よく喋る映画だ。
登場人物が早口でセリフをまくし立てるという意味ではありませんよ。
あいもかわらず、セリフで状況を説明していく
副音声映画
なのです。
このような演出が日本映画に多いと感じるのは
僕が日本語しか操れず、日本語以外のセリフに対しては
理解不能だからというだけではないでしょう。
憤りからのあきらめを通り越して、
なんでこんなことになるのかと不思議に思えて
かえって興味が湧いてくる次第です。
じゃあ、いいじゃねえかよ。よくねえよ。
ひとつひとつ追っていくとキリがないけれど
一番ずっこけたのは
鈴木杏が、食事の予約をしているので今日は残業しませんよと言ったあと、
「それにしても、レイプ犯だと知ってて
 一緒に暮らす女性なんているんですかね。じゃっ、お先に〜」

と、あからさまに物語のヒントを残していくシーン。
なんじゃ、これは!

いきなり中身を語っちゃって
ドーモ、サーセン。
とにかく、ひとつひとつのセリフや演出につまづいては
げんなりしながら観てしまったのです。

映画館での興行成績がどれほどのものだったのか知りませんが
DVDリリースとともに、レンタルDVDの棚は
軒並み貸出中でカラッカラになっていました。
おそらくはみんな、真木よう子の裸見たさだとふんで
大方間違いはないでしょう。
わかる、わかる。真木よう子はいい女だ。
個人的にはもうちょっと貧乳だったら文句の付け所がない。
しかも日本人女優にはめずらしく、
寺島しのぶの次くらいに大胆な露出を躊躇しない立派な女だ。
立派ないい女、それはM・A・K・I、真木よう子。
ヤナギサーワー……マキ。(おお〜)

そんな下世話な期待どおりに
オープニングからセックス・シーンで始まるのですが
後半の展開から考えても
猛暑の中で絡み合っているわりには、
肉体と精神ともに熱さが物足りないのです。
『アデル、ブルーは熱い色』のセックス・シーンを観た後では
なおさらママゴトのようにみえます。
しかも真木よう子は乳首すら晒さない。
どうした、真木。いやさ、よう子。
違う、違う。問題は演出。

監督の大森立嗣の弟、大森南朋が雑誌記者に扮して
物語の真相へと迫る役回りなのですが
大森南朋自身も鶴田真由との結婚生活に
不安を抱えているのはいいとしても
大森南朋が元ラグビー選手で、結局ケガで辞めることになり、
今はしがない雑誌記者だということを
やっぱり鶴田真由がセリフでまくし立てるのは
あまりにも設定の説明を急ぎすぎているようにも思うし、
観客を馬鹿にしているようにも感じます。
口上を述べるようにセリフで説明するくらいなら
せめてラグビー選手だった頃の写真一枚くらい見せませんか?
そもそも、大森は上司に怒られたり、イケてないことが強調されていますが
部下がいるくらいの役職にはあるわけで
あんなに鶴田にキーキー言われるほど落ちぶれているわけではないと
思うのですが。

隣に住む母子家庭の子供が殺されたという事件
物語の発端となっているのですが、
尾崎(大西信満)が容疑者として浮かび上がったことで
大森南朋が尾崎とかなこ(真木よう子)の過去を探り始めるうちに
子供が殺された事件はどうでもよくなっていきます。
尾崎とかなこの愛憎物語の語りだしのためだけに
子供が殺された事件を採用するのは
いささか命を軽く扱っているように感じ、あまり気持ちがよくありません。

ともかく、尾崎が過去に仲間と共にレイプ事件を起こし、
その被害者の女性は悲惨な人生を送った挙げ句に
行方不明
になってしまっているわけですが
じつは尾崎の内縁の妻であるかなこが当の被害者だったという
最も重要などんでん返しがインパクトに欠けるのは
大問題です。
しかもかなこ=レイプの被害者であると判明する根拠が
かなこの前の夫(井浦新)が立川で見かけたというだけ
で、
場所が近いからって、同一人物だという結論に直結するのは
いくらなんでも都合よすぎ。
映画の構造的にも、ここを基点とする前半と後半で
まったく違う映画になってしかるべき、というか
撮り方を変えるべきだと思うのですが
そのような鑑賞の態度を揺さぶられるような面白味もありません。

レイプしたことの懺悔の思いに駆られている尾崎ですが
4人いたレイプ犯の中で、なぜ尾崎だけがこれほど後悔し、
思い悩んでいるのかはまったく描かれません。

同じレイプ犯の新井浩文にいたってはむしろ得意げに話す始末。
(こいつらは刑事罰を受けてないのかな?)
レイプが行なわれているときのシーンをみても
尾崎が他のメンバーと違った行動を見せるわけでもなく
(一応、最初は被害者と二人っきりだったりするけれど)
尾崎だけが贖罪へと及ぶ心理がさっぱりわかりません。
しかも、被害者・水谷夏美(=かなこ)から電話がかかってきたとき、
尾崎は婚約者らしき別の女性と新居の内見中だったわけで
詫びる気持ちを綴った手紙を送り続けていたとはいえ
被害者のために人生をなげうってでも
罪を償う覚悟で生きてきたとは到底思えません。
だってそれは、尾崎がそういう人だから。で強引に済ませたいなら
少なくとも尾崎がそういう人であることをちゃんと描写するべきです。

その後は、尾崎と水谷夏美(=かなこ)の
異形の逃避行が語られるのですが
尾崎は殉教者のようにかなこのあとを黙ってついていくだけ
尾崎の内面の葛藤が描かれることはありません。
完全に水谷夏美(=かなこ)に従うだけなのです。
なにしろ発端は集団レイプなわけで
申し開きのしようもないのは十分理解できるのですが
語弊を恐れずにいうと
尾崎に対する水谷夏美(=かなこ)は被害者最強状態です。
日常のささいな言い争いでも
自分はこんなことをされた、こっちはもっと非道いことをされたと
自分が相手よりも過度な被害者であることを訴えて戦うのは
よく目に耳にする光景です。
誰の目から観ても圧倒的な被害者である水谷夏美(=かなこ)に
従うしかない尾崎の姿を見ていると
徐々に究極のSMプレイのように思えてきます。
かなこの嘘の証言によって拘留される尾崎がかなこを責めないのも
ああ、今回はこういうプレイかと納得しているからでしょう。
これぞ、冤罪プレイ!
かなこの言いなりになって贖罪に努めることが
尾崎に残された生きる術なのですから
それはすなわち尾崎の喜びでもあるはずです。
大森南朋にすれば、『R100』のSMプレイ
生ぬるく感じたに違いありません。
(『R100』、観てないけど)

ラストシーンで、かなこは置き手紙ひとつを残して
尾崎の元からいなくなってしまいます。
これも壮大なる放置プレイでしょう。
(尾崎もしっかりプレイのルールに従って、追いかけるつもり)
かなこが出て行った理由は「幸せになりそうだったから」
幸せになりそうだった=イキそうだった……
まだイカせないわよ! てことで、プレイ続行なわけです。
そしてなにより、最後に大森南朋が吐くセリフがおぞましい。

「もしあのときに戻れるとしたら 事件を起こさなかった人生と
 かなこさんと出会えた人生とどっちを選びますか?」


……葬式の時、遺族に「いまのお気持ちは?」と聞くようなもので
この質問にはすでに答えが含まれています。
まるでワイドショーのレポーターのようなゲスな質問です。
レイプ事件がなければ、全く違った人生だったのは尾崎もかなこも同様だし、
かなこと出会えた人生に価値を見出すなら
レイプ事件を肯定することになりませんか?
水谷夏美(=かなこ)と一緒に暮らせるのはレイプありきかよ!

ていうか、この二択のまえに
水谷夏美(=かなこ)と出会って、レイプ事件など起こさず
普通につき合って結婚してたほうがいいに決まってんだろ!

先の大森南朋の質問(=なんとこれがラストの決め台詞)が
いかに愚問で、とりとめもなく下品であるかは
誰しも感ずるところでしょう。
それに対して、まるで応えに窮しているかのように無言の尾崎。
……ジ・エンド。
タメたからって、ちっともグっとこねえよ!

こんな愛の形もあるよねといいながら
それがどんな愛なのかはさほど深く考えていないというところが
決定的にダメな作品でした。





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コメント

プレイに例えているから理解できないんだと思う。批評をするのならもう少し登場人物の思考と真剣に向き合うべきだ。
自分の理解の範疇に及ばないものをすべて否定するのはあまりにも傲慢だ。
犯した罪の重さより執着にも似た愛する気持ちが勝っただけのこと。それに愛してしまったのはかなこも同じ。
事件ありきのかなことの出会いの肯定=事件の肯定、となるのはおかしい。事件がなく普通に結婚出来たかもしれない未来より、今現在強烈に愛し合ってしまった事が、過去の事件をどうしても肯定せざるをえない理由なんじゃないのか?

2017/02/20 (月) 22:51:59 | URL | #QktxJpj6 [ 編集 ]

Re: タイトルなし

人の意見にいちゃもんつけるなら、せめて偽名くらい名乗れないかね、名無し小僧。

> 自分の理解の範疇に及ばないものをすべて否定するのはあまりにも傲慢だ。
↑ということは、俺の意見を否定するのも傲慢だな。名無し小僧。

> 事件がなく普通に結婚出来たかもしれない未来より、今現在強烈に愛し合ってしまった事が、過去の事件をどうしても肯定せざるをえない理由なんじゃないのか?
↑集団レ●プを肯定しろと? できるわけねえだろそんなもん。脳みそ腐ってんじゃないの。名無し小僧。

2017/02/21 (火) 00:57:20 | URL | のほうず #- [ 編集 ]

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