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カレ・ブラン

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(原題:Carre blanc 2011年/フランス・ルクセンブルグ・スイス・ベルギー・ロシア合作 80分)
監督・脚本・制作/ジャン=バティスト・レオネッティ 撮影/デビッド・ニッセン 編集/エリック・ジャクマン、アレックス・ロドリゲス 音楽/エフゲニー・ガルペリン
出演/サミ・ブアジラ、ジュリー・ガイエ、ジャン=ピエール・アンドレアーニ、カルロス・リール、フェイリア・ドゥリバ、バレリー・ボドソン、ドミニク・パチュレル、マジッド・イブ、アデル・エグザルチョプロス

概要とあらすじ
フランスの新鋭ジャン=バティスト・レオネッティ監督が、全体主義や社会の不条理を冷徹な眼差しで描いたSFディストピア。思考や感情が統制された近未来。完全な管理のもと、人類は「社畜」と「家畜」に分類され、弱者判別テストで不合格になった家畜は、人肉として社畜の食卓に提供される不条理が繰り返されていた。幼いころから思想教育を受けてきたフィリップとマリー夫婦は、社畜として不自由ない生活を送っていたが、やがてふたりの間に亀裂が生じはじめ……。(映画.comより)



自分の中の「怪物」を直視する

大量の血しぶきや切り株が登場するわけでもないのに
「精神的な暴力の提示」を理由に、
本国フランスで数館のみの限定公開となった
『カレ・ブラン』
この上映規制こそが、まさにこの作品が言わんとしていることを
裏付けているようで皮肉です。

『アルファビル』『THX-1138』なんかを彷彿とさせる
近未来ディストピアSFですが
いかにもSF的な意匠は登場せず、
日本版のタイトルロゴが
家具ブランドの「カリモク60」みたいなデザインだったりして
むしろレトロ・フューチャーな趣です。

タイトルの「カレ・ブラン」とは、
フランス語で白い四角、数字のゼロを意味するそうで
たびたび登場する無機質な四角と直線で構成された建造物は
マンモス団地をみたときに感じる威圧感&不安感と同様だし
ゼロは人間性がすべて失われた瞬間を表しているそうです。
また、監督のインタビューによると
冒頭から繰り返し登場する意味不明な数字は
「世の中がどのように死んでいっているか」
示すカウントダウンだとか。

過剰な管理社会を題材にしたディストピアSFは
管理する側(体制)と管理される側(反体制)との対立が
描かれることが多いと思うのですが
この作品は、自分を管理し束縛しているのは
自分自身なのだと訴えているように感じ、
もはや空想によって作られたSFというよりも
デフォルメされた現代社会そのものでしょう。

映画紹介サイトのあらすじでは
「人類は「社畜」と「家畜」に分類され」とありますが
そんな描写は本作に一切出てきません。
このような紹介の仕方は
本作の意図から逸脱したミスリードだと思います。

少年時代のフィリップ(マジッド・イブ)の母親は
社会の不条理に気づき、
「心を隠しなさい。」と言う言葉を残して自殺してしまいますが
心を隠さずに生きている人はどのくらいいるでしょうか。
現代を生きる僕たちも
少なからず自分の心を押し殺して生きています。
いつまでたっても人間として成熟しない僕のようなものは
つねに「外的自己」と「内的自己」を天秤に掛けながら
日々をやり過ごしています。
(急に愚痴みたくなってしまった……)

母親と同様に自殺を試みるも
少女時代のマリー(アデル・エグザルチョプロス)
助けられたフィリップは
生き延びるため、心を隠しているうちに
心を忘れてしまったようです。
これも、なかなか身につまされる話じゃありませんか?

人肉を食す描写も、いくらでもグロくできたはずですが
あくまでトレイにのったミンチやきれいに盛りつけられた料理という
無機質な表現に留めているのが秀逸です。
僕たちは日常から、牛や豚が屠殺され、
切り刻まれてパックされていることは知らない振りをして
おいしいおいしいといいながら食べているのですから。
もとが人肉だったからといって
気にする必要がどこにあるでしょうか。

成人したフィリップ(サミ・ブアジラ)の仕事が
どういう目的なのかわかりませんが
毎日「ゲーム」をしていると言われる彼の仕事ぶりも
一体何のために働いているのか、
ちょくちょくわからなくなる僕にとっては現実そのものでした。

駐車場の警備員パトリス(ジャン=ピエール・アンドレアーニ)
指示に従って歯を見せて笑うのも
同じようなことを僕たちはやっているのではないでしょうか。
パトリスに関してよくわからなかったのは
おもちゃの銃を持っていた子供の存在ですが
「子供も孫もいない」というパトリスのセリフを鵜呑みにすれば
あの子供はパトリス自身の子供の頃の幻影ではないでしょうか。
もちろん、深読みおよび推測の域を出ませんが
終盤でパトリスが涙するのは
おもちゃの銃に象徴されるように、子供の頃に持っていた
冒険心や反抗心を失ってしまった事に対する後悔ではないでしょうか。

ネットが普及し、SNSの利用が当たり前になった今、
現代人は誰でも自分の意見を発言する自由を手に入れましたが
ちょっとしたいたずらでも、取り返しのつかない犯罪のように
糾弾されるようになってしまいました。
フィリップを襲った四人組の乱暴な振る舞いが
「炎上」に見えてしまう
のは僕だけでしょうか。

「それぐらい、いいじゃん」なんて言おうものなら
「それぐらいってどれくらい? 明確にしてくれ」
という反論がきそうですが
「それくらい」が「どのくらい」か通じなくなったら
人間は本当に終わりだと思うのです。
僕なんぞはネット上で発言するということは、
基本的に公的なもので、そもそも晒されていると思っているので
「晒し」という考え方がどうにも理解できないのですが
男を車で轢いたマリー(ジュリー・ガイエ)
監視カメラに見つめられるなか
わざわざ自分の身分証明書を落として身元を「晒す」くだりに
監督の意図を感じました。

マリーを捉える監視カメラは、
どこかのサイコな暴君が備え付けたものではなく
僕たち自身が作り上げた社会の眼なのです。





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