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かぐや姫の物語

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(2013年/日本 137分)
監督・原案/高畑勲 企画/鈴木敏夫 脚本/高畑勲、坂口理子 美術/男鹿和雄 人物造形・作画設計/田辺修 音楽/久石譲 主題歌/二階堂和美
声の出演/朝倉あき、高良健吾、地井武男、宮本信子、高畑淳子、田畑智子、立川志の輔、上川隆也、伊集院光、宇崎竜童、古城環、中村七之助、橋爪功、朝丘雪路、仲代達矢

概要とあらすじ
高畑勲監督が「ホーホケキョとなりの山田くん」(1999)以来、約14年ぶりに手がけた監督作。日本最古の物語といわれる「竹取物語」を題材に、「罪を犯したために、この地に下ろされた」とされてるかぐや姫の犯した罪、そして、罰とは何かを描き出す。主人公のかぐや姫役の声優は、映画「神様のカルテ」やNHK連続テレビ小説「てっぱん」などに出演した新進女優の朝倉あき。2012年6月に他界した俳優の地井武男が、作画完成前に声を収録するプレスコ方式で生前に収録を済ませており、かぐや姫を見つけ育てる翁役として声優出演を果たした。宮崎駿監督作品で常連の久石譲が、高畑監督作で初めて音楽を担当。(映画.comより)



人間の愚かさすらも愛おしい

もともと師弟関係の高畑勲宮崎駿
表現に対する考え方の違いから
袂を分かってしまいました。
夢を追いかけて風になろうとする宮崎駿に対して、
高畑勲はより人間のウェットな部分に迫ろうとします。
僕はその両者の違いを
「宮崎は空を飛び、高畑は地を這う」なーんつって
気の利いた言い回しで言い当てたつもりになっていたのですが
『かぐや姫の物語』の終盤での飛行シーンを観てズッコケました。
すげー飛んでるじゃん! とほほ。
結局、本質的には
ふたりとも考えていることは同じなんじゃないでしょうか。
宮崎駿が『かぐや姫の物語』の試写を観て
「こんな映画を観て泣く奴は素人だ!」と言っていたそうですが
批判というより、愛憎入り乱れた負け惜しみのように聞こえて
こんなふうに、絶対に負けたくない尊敬すべきライバルがいるのが
うらやましくも思えます。

さて。
まず単純に驚くべきはアニメーションの技術でしょう。
登場人物の顔の描写には安定感がなく、
キャラを立たせるという面ではいまひとつかも知れませんが
CG合成によって草木を揺らす細田守作品や
風景画のスライドショーをアニメと称する新海誠作品など
足元にも及びません。
自由な筆致と動きが相まって本当に活き活きしています。
登場人物の動きにあわせて着物の柄まで動くのをみると
クラクラするばかりです。
転げまわる赤ちゃんに始まり、ウリボウの群れ都の群衆
うねり狂う荒波などなど、その表現力に圧倒されます。
内容のことなどまったく考えずに
絵の素晴らしさに酔いしれるだけでも十分に楽しめるでしょう。

物語の大筋は、日本人なら誰でも知っているはずの「竹取物語」
それに大きく加えられているのが
原典には描かれていないかぐや姫の葛藤です。

まさに筍のようにグングン成長する「タケノコ」
自由奔放に山里を駆け回る生活を送っていたものの、
翁が金と豪華な着物を竹の中から見つけたことで
いままでの生活を捨て都へ連れて行かれることになります。
当然、金や着物は「月」のしわざなのですが
翁は人が変わってしまいます。
翁には表面上の私利私欲はなく、あくまでかぐや姫の幸せを願ってのことで
悪気はないのですが、その悪気の無さが余計に罪深い。
結局、「都でお姫様になったほうが幸せに決まっている」という
自分の価値観を押し付けることになっています。
子を持つ親なら、少しは身に覚えのあることではないでしょうか。

「高貴な姫」になるためにつけられたお目付役から
「眉を剃れ」「お歯黒にしろ」といわれたかぐや姫は
「眉を剃ると汗が眼に入る」「お歯黒にすると思いっきり笑えない」
と抵抗しますが、お目付役は
「高貴な姫は汗もかかないし、歯を見せて笑わない」と返します。
それに対してかぐや姫は
「高貴な姫は、人間じゃないのね」というのです。
このくだりで、この作品のテーマを
ほぼ説明しているといってもいいんじゃないでしょうか。

初潮を迎えたかぐや姫を祝う宴には
美しいという噂を聞きつけた人間が押し寄せ、
三日三晩どんちゃん騒ぎした挙げ句に
やはりかぐや姫を見てもいないのに
「本当はおばけみたいな顔なんじゃないのか」と冷やかし始めます。
これぞ、まさにゴシップです。
「お騒がせキャラ」なんて言われるひとがいますが
たいがい勝手に騒いでいるのは好奇の目をした周囲の人間たちです。

これにショックを受けたかぐや姫が
慟哭とともに着物を脱ぎ捨てながら駆けだすシーン
明らかに怒りのこもった荒々しいタッチで描かれますが
ボロボロになって辿り着いた山里では
都とは違い、物乞いと思われて施しを受け
炭焼きの老人から、今は冬だから木々は枯れたように見えるが
やがて春が来て花が咲くという話を聞き、
今の自分は冬の季節にあるのだから
堪え忍んで春を待たなければならない
と心に決めるのです。

やがて5人の求婚者がかぐや姫の元を訪れます。
どいつもこいつも虚飾にまみれた男たちです。
かれらにとってかぐや姫は宝飾品でしかありません。
(自ら男の宝飾品になりたがる女もいますが)
巧みにかぐや姫の本質を突いて口説いてくる男がひとりだけいましたが
醜女と入れ替わったかぐや姫をみると
這々の体で逃げ出してしまいます。

帝まで袖にしたかぐや姫は、「月」の記憶が蘇り
俗世に嫌気が差して「月に帰りたい」と願ったことで
「月」から迎えが来ることになってしまいます。
かぐや姫があとから思い直しても時すでに遅し。

かぐや姫は「月」の世界で犯した罪の罰として
地球に送られてきました。
では、かぐや姫の罪と罰とはなんなのか。
はっきりとは語られていませんが
悟りを開いたような「月」の世界では
地球を慕う歌を聴いて、
汚れた俗世に惹かれたことが罪だったのでしょう。
乱暴なたとえですが、高貴な精進料理を食べていたのに
あのラーメンうまそうだな〜って思ったこと自体が罪なのです。
だったらラーメンの世界へ行けとばかりに地球に送られ、
かぐや姫が「こんなラーメンなら食べたくない!」と
音(ね)を上げるまで
背脂と煮卵(金と着物)という煩悩を周囲に投下するのです。

ところが、清濁入り交じっているのが人間の魅力。
おそらく高畑監督はそういいたいのではないでしょうか。
食べ過ぎると毒になるラーメンをおいしいと感じる
人間の愚かさすらも愛おしいと。

媼がかぐや姫の唯一の理解者であるように
この作品は主に、既成の型にはめられる女性の
鬱屈
を表現しています。
女性は少女から大人の女性になり、
やがて母という役割を本能的に背負わされる存在です。
女性が大人になるということは不遇の始まりであり、
また宿命でもあるのではないでしょうか。
では、男性から見るとまったくピンとこない話かといえば
そうでもないでしょう。
女性ほどではないにしろ、男性も年齢を重ねるにつれて
それ相応の役割を押し付けられ
いつしか重い荷物を背負わされて
眉を剃ったりお歯黒を塗るように
なにかを演じながら生きています。

ラストで、月に重なる幼児のかぐや姫。
あれは無垢の象徴ではないでしょうか。
人間が成長していくなかで、無垢で居続けるのはほぼ不可能でしょう。
翁の声を演じる地井武男の遺作となった本作ですが
(一部、三宅裕司が代役を務めたとか)
素晴らしい演技だった地井さんの
前半でのよちよち歩きのかぐや姫に対して、
「た〜けのこ!」と呼ぶ山里の子どもたちに対抗して
「ひ〜め! ひ〜め!」と必死になってかぐや姫を呼ぶシーン
おかしさと愛おしさがたまりません。

あのとき、翁は無垢だったのではないでしょうか。





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