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フラッシュバックメモリーズ 3D

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(2012年/日本 72分)
監督/松江哲明
出演/GOMA、辻コースケ、田鹿健太、椎野恭一

概要とあらすじ
事故で記憶に障害を負ったディジュリドゥ奏者・GOMAが、リハビリを経て復活するまでの過程を追ったドキュメンタリー。監督は「童貞。をプロデュース」「ライブテープ」の松江哲明。2009年11月26日、首都高速で追突事故に遭ったGOMAは「記憶の一部が消えてしまう」「新しいことを覚えづらくなる」といった後遺症に悩まされる。後にMTBI(軽度外傷性脳損傷)と診断され、一時はディジュリドゥが楽器であることすらわからないほど記憶を失うこともあった。リハビリ期間を経て再びステージに上がる姿を、GOMAと妻すみえの日記を交えて振り返る。突然異なる映像が頭の中に飛び込んでくる症状「フラッシュバック」をアニメーションで表現。12年・第25回東京国際映画祭のコンペティション部門で観客賞を受賞。(映画.comより)



3D童貞。筆下ろし!

『フラッシュバックメモリーズ 3D』
僕が初めて観る3D映画でして、
初めて観る3D映画がこの作品でありながら3Dを語るということは
極度に風変わりな性癖を持つ女性を相手に童貞を捨てた男が
セックスを語るようなもので
甚だ偏ったものになる危険性が高いのですが
なぜいままで3D作品に食指が伸びなかったかというと
3D映画で謳われる「アトラクション性」が
映画そのものが本来持ちあわせている魅力にとって
さして重要だとは思われなかったからです。
3Dは従来の2Dの表現に+アルファを加える添え物として
「アメイジング」ではあるけれど「インタレスト」とは
関係がないと考えていたのです。
この見立ては当たらずとも遠からずではないでしょうか?
ね。セックスの時はみんなおしっこ飲むんでしょ?

そんなふうに3D映画に偏見を持つ僕が
『フラッシュバックメモリーズ 3D』を観に行ってみようと思ったのは
TwitterのTLという名の風の便りと
どうやら松江哲明という監督はこれからの日本映画にとって
重要な監督となり得るんじゃないかと感じたからです。
「貸し出す受付はどこにあるんだろう……」などと
無用な心配をしていた3Dメガネを入場口であっさりと渡され、
予約していた席に着き、平常心を取り戻した僕は
「同じメガネをぶら下げて、どいつもこいつも馬鹿な連中だ」などと
心の中でうそぶきながら、自分は3Dメガネの必要のない劇場予告から
すでに装着済みで準備万端開演を待ったのでした。

無音。GOMAが映る写真のスライドショー。スーパーの文字。
明らかに緊張に包まれた映画館。
そして、ドラムスのカウントの合図で始まる怒濤のリズムの荒波!
(コホン、ひと呼吸置いて…)
かっこいいいいい!!
GOMAという人がどんな音楽をやるのか知らずにいたのですが、
かっこいいリズムがあればメロディなんていらないという
僕の音楽的趣向にばっちりで
この段階で完全にノックアウトされました。

おそらくGOMA自身もしくはGOMAの奥さんが撮影したと思われる
ホームビデオが映し出され、さりげない態度で
GOMAの人となりを説明していきます。
ドキュメンタリーによくあるインタビューシーンなどはなく、
スーパーで入れられる文字も必要最小限な説明とそのときの日付。
そう、これはその後GOMAが記憶を失う原因となった
交通事故の瞬間へのカウントダウンなのです。

事故が起きる当日、
娘を連れて車で出かけようとしたGOMAは
「一緒に連れてっていいの?」という不思議な声を耳にします。
胸騒ぎを感じたGOMAは泣いて嫌がる娘を車から降ろし、
一人で出かけていったのです。そして……
生死の境を彷徨うGOMAは臨死体験をします。
雲に乗って空に浮かぶGOMAは
「まぶしい」光に導かれるようにして生還するのですが、
その後MTBI(軽度外傷性脳損傷)と診断される高次脳機能障害となり、
記憶の一部を失い、また感情の抑制も利かなくなったはずなのに
なぜかその臨死体験の情景ははっきりと憶えているようです。
霊的な体験というのは、胡散臭いものが数あれど
「見た」というすべての人が嘘をついているというのも無理があるわけで
科学的に証明できないにしろ体験の存在自体は
受け入れるほか手がないでしょう。

もしかしたら「記憶」というのは
現在の自分を形作る最も重要な要素なのかもしれません。
記憶を失ったGOMAは「自分は一体誰なんだ」という実存的な疑問まで
考えざるを得ないようになっていくのです。

こう書くと、非常にドラマチックな印象を受けるかもしれませんが
この映画はその様子を実に淡々と描いていきます。
起きていることは深刻で切実ですが
スクリーンに映し出されるのは「記録」なのです。
その冷徹なまでに客観視された「記録」を
目の前に放り出された観客は身を任せて凝視するしかないのです。

中盤から事故後のGOMAの再生が始まります。
といっても、映し出されるのはスタジオライブを撮影した映像と
ステージの背後に合成された映像です。
あたかもスクリーンの前で演奏しているように見えるトリッキーな映像は
監督自身が「レイヤー」と表現する視点の層の違いによって
同じものでも見え方が変わるということを表わしています。
そして、ここからラストに向かって延々と続くスタジオライブが
この作品を3Dで撮影することの意義を
最も効果的に表現した映像となっているのです。

監督がインタビューで語っているとおり、
このバンドはディジュリドゥを操るGOMAを中心にした
ドラムとパーカッションという構成なので
演奏しているメンバーたちがステージを動き回ることはなく
位置が固定されているため、
観客を3Dの世界に没入させることができるのです。
要するに、3Dを観ている観客がその立体感や遠近感になじむには
関係性を計る時間が必要だということです。
このバンドは3Dで撮影するにはうってつけのバンドだったのです。

そして、肝心なのはGOMAが演奏するディジュリドゥという楽器が
そもそもの形からして前に突き出ているということ。
オーストラリアの原住民アボリジニが発祥のこの楽器は
初期のジャミロクワイが好んで使ったりしていましたが、
必然的に設置スペースに奥行きを必要とする楽器なのです。
僕はこのディジュリドゥを撮るために
3Dを採用したと言っても過言ではないと思っていますが
GOMAとそのバンドをみた松江監督が下した判断は
英断としかいいようのないものでしょう。

歌詞もメロディーもない、呻き声のようなディジュリドゥの音色と
リズム隊のたたき出す激しいリズム。
これをトランスと言わずになんと言おうか!!

前半で流された事故前の映像が早送りで再生され
記憶がなくなっていくさまを表現してたあと、
後半は事故後のGOMAの再生へ。
消えていく記憶に苦しみながら
事故前の元の自分を取り戻そうとしていたと語るGOMAは
いつしか元の自分を取り戻すのではなく、
新しい自分を始めるのだという考えに到ります。
この作品の撮影中に発生した東日本大震災により
撮影中断も検討されたそうですが、
まさにGOMAの再生と日本の再生が重なるのです。

松江監督が映画を企画する際に初めに考えることは
作品のテーマではなく、まずは撮影方法と映画の尺だそうです。
自らの作家性の赴くままに足し算をしていくのではなく、
フォーマットという制約を設けてからその中で発想するというやり方は
アーティストというよりデザイナー的であり、
アーティストと呼ばれる人たちの自己肯定力とは別の
ふてぶてしいほど強烈な自信の裏付けのようにも感じます。
(余談ですが、松江監督は劇場・DVDを含めて
 年間400本以上の映画を観るそうです。
 だからどうしたと言われればそれまでですが、単純にすごくね?)

かくして3D童貞。をプロデュースされた僕は、3D映画初鑑賞にして
3Dを2Dの添え物ではなく、映画づくりの必然的選択として
最も有効かつ斬新に採用した作品に出逢ったのでした。

今後も松江監督作品は要注目です!





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