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夢の中へ

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(2005年/日本 100分)
監督・脚本/園子温 撮影/柳田裕男 録音/大西光 編集/伊藤潤一
出演/田中哲司、夏生ゆうな、村上淳、オダギリジョー、市川実和子、岩松了、麿赤兒、温水洋一

概要とあらすじ
イタリアの作家A・モラビアの「夢」に関する短編をモチーフに、園子温監督が新世代俳優たちと作り上げた爆走エンターテインメント。主演は「この世の外へ クラブ進駐軍」の田中哲司。共演に村上淳、オダギリジョー、夏生ゆうな、市川実和子。(映画.comより)



それは金星人のせいだ!

園子温監督にとって、2005年の『夢の中へ』
『自殺サークル(2001年)』から(『ノーパンツ・ガールズ』をはさんで)
『奇妙なサーカス(2005年)』に至る間に作られた作品です。
自身の体験が作品に色濃く反映される園子温監督作品では
彼のフィルモグラフィーの中で
どのようなタイミングで撮られたのかということは
重要なことなのではないでしょうか。

端から見れば、『自殺サークル』で
映画監督として一般的な評価を得たんじゃないかとも思えるのですが
この『夢の中へ』を観ると、この時点では
園子温監督はまだまだ自己実現へといたる葛藤の渦中にあり、
キンタマがルサンチマンでぱんぱんに膨れあがっていたことが
うかがえます。
もちろん、自己実現なんてものは夢のまた夢。
ヨーロッパの映画祭でも名を知られるようになった今でも
園子温の自我の苦しみが消え失せることはないのでしょう。

むしろ、園子温が自己を投影したであろう主役の鈴木ムツゴロウ(田中哲司)
テレビのトレンディドラマに出演したりすることで
本来の理想とする自分と現実に折り合いをつけながら
それなりの名声を手にしていることが
園子温の苦悩を想像させます。

鈴木は夢を通じて、さえない俳優とテロリスト集団の一員という
ふたつの人格を行き来します。
園子温はどこかのインタビューか何かで
「詩を書くことで犯罪者にならなくて済んだ」
(もしくは「犯罪者にならないために詩を書いていた」)
というようなことを語っていますが
犯罪者になってしまった自分を投影しているのが
テロリストとしての鈴木でしょう。

また、繰り返し登場する
「無数にいた俺からチョイスした今のこの状態は俺が選択したわけじゃない」
という台詞は
一時、監督をつとめたAV作品が評価を受けていれば
そのままAV監督になっていただろうという園子温の心情を表現しています。
そのように状況の変化に流され、それでもあがきながら作品を作ることで
現在の映画監督という立場にたどり着いたのでしょうから、
他人からみれば立派なもんじゃないかと思えますが
園子温にとっては自分の運命を自分でコントロールしていないことが
鬱憤を募らせるのではないでしょうか。

小便をするときにちんちんが痛むので性病を疑う鈴木ですが
ちんちんの痛みは排泄=自己の発露がうまくいかないことの隠喩だと思われ、
性病であることで、もっとも端的に欲望を表現するセックスも
ままならない状態です。
(とはいえ、排泄には難儀していても
 彼の本質は「配水管の水漏れ」のようにダダ漏れ)
しかも性病はセックスの対象からうつされるものなので
自分の不具合の原因が他人にあるとする責任転嫁の根拠にもなり得ます。
もちろん、それは現実逃避であって誰のせいでもなく
問題が自分にあることは鈴木もうすうすわかっているはずですが
だからといって、どうすればいいのか簡単に答えは出ません。
だってそれは「金星人」のせいだから!
金星人ってなんだよと思ってましたが、
どうやら占いには付きもののようで
要するに金星人=運命ってことかしら?

テロリストの鈴木が
鈴木の父(麿赤兒)演出家(温水洋一)に取り調べを受けるシーンは
鈴木にとってこのふたりが頭の上がらない存在であり
ふたりに期待されていることを責められているように感じていることの
わかりやすい表現です。
「それはおまえのオリジナリティでもなんでもねえんだ!」という
ふたりからの叱責は、園子温自身に向けられているでしょうし、
「今のこの状態は俺が選択したわけじゃない」という台詞とリンクします。
……身につまされますな。

同窓会を機に(口実に)実家へ帰り、旧友とじゃれる鈴木にとって
彼の根拠地は地元にあり、自分で自分の人格を掌握できていたのが
高校時代ということなのでしょう。
自分は○○になる!と夢をふくらませ、希望に満ちていた年頃から
やがて社会に出て年を重ね、こんなはずじゃなかった……となるわけですが
誰しも思い当たる節があるのではないでしょうか。

鈴木の夢と現実は、次第に渾然一体となり
同棲相手との別れによってひとつの区切りを迎えたのでしょうか。
泥酔して感情を爆発させた鈴木は同窓会からひとり飛び出し、
園作品おなじみの疾走で幕を閉じるのです。

井上陽水の『夢の中へ』をモチーフにして
まさに「探しものはなんですか」状態の鈴木の物語は
いわゆる「自分探し」ではあるものの
それが甘ったれた印象を与えないのは
園子温監督があきらかに身を削り、愚直なまでに自分をさらけだして
自ら傷を負いながら表現しているからではないでしょうか。
この作品を観て、面白いと思うかどうかは
人それぞれで構いませんが
すくなくとも園子温の絶叫と疾走は敬意に値すると思います。





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