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きっと ここが帰る場所

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(原題:This Must Be the Place 2011年/イタリア・フランス・アイルランド合作 118分)
監督/パオロ・ソレンティーノ 脚本/パオロ・ソレンティーノ、ウンベルト・コンタレッロ 撮影/ルカ・ビガッツィ 美術/ステファニア・セラ 編集/クリスティアーノ・トラバリオッリ 音楽/デビッド・バーン、ウィル・オールダム
出演/ショーン・ペン、フランシス・マクドーマンド、ジャド・ハーシュ、イブ・ヒューソン、ケリー・コンドン、ハリー・ディーン・スタントン、ジョイス・バン・パタン、デビッド・バーン

概要とあらすじ
名優ショーン・ペンが引きこもりのロックシンガーに扮し、亡き父の思いをたどってアメリカ横断の旅に出る姿を描くドラマ。人気絶頂の最中に表舞台を去り、アイルランド・ダブリンの広大な邸宅で穏やかな日々を過ごしていたロックスターのシャイアンのもとに、故郷アメリカから30年以上も会っていない父親が危篤との報せが届く。飛行機嫌いなシャイアンは船でニューヨークに戻るが臨終には間に合わず、ユダヤ人だった父が元ナチス親衛隊の男を探していたことを知ると、父にかわって男を探す旅に出る。元「トーキング・ヘッズ」のデビッド・バーンが本人役で出演し、音楽も担当。タイトルも「トーキング・ヘッズ」の同名曲からとられている。監督は「イル・ディーヴォ」「愛の果てへの旅」のパオロ・ソレンティーノ。(映画.comより)



なにかが変だ。「これ」とは言えないけど。

皺だらけの顔にメイクをするシャイアン(ショーン・ペン)
クローズアップから始まる『きっと ここが帰る場所』

人は歳を重ねることで経験を積み、
それなりに豊かになっていくものですが
それとは裏腹に新鮮さは失われ、醜くなっていくのが常。
経験豊富なうえに若くてピチピチ!とはいかないのが
人生ってやつの難しいところで
ウマイことできとるのうといわざるを得ません。

ザ・キュアのリード・ボーカル、ロバート・スミスから
ヒントを得たとパオロ・ソレンティーノ監督が語る
シャイアンのルックスは、まさに若者にだけ許されるファッションで
年老いたシャイアンには違和感たっぷり。
いつもカートを引きずりながら歩くシャイアン
いかにも弱々しくみずぼらしいのです。
とはいえ、歳をとったからといって
すっかり落ち着いてしまう必要はないわけで
マライヤ・キャリーを揶揄するセリフや
同じ商品が並ぶスーパーの陳列棚のカットからは
均質化してしまうことへの反発も見て取れます。

どうやら人気ロックバンドのヴォーカルだったシャイアンは
バンドに影響されたふたりのファンが死んでしまったことを機に
バンド活動を止め、豪邸で株をやりながら暮らしています。
シャイアンのなよなよした口ぶりから
勝手にホモだろうと思っていたのですが
快活な妻ジェーン(フランシス・マクドーマンド)との生活は
経済的な余裕もあり、それなりにうまくいっているようです。

これまた勝手にシャイアンの娘だろうと思っていたゴス少女の
メアリ(イブ・ヒューソン=U2ボノの娘だそうな)とは
年は離れているけど気の合う友人関係で
このメアリの兄・トニー
おそらくシャイアンのバンドの影響で行方不明になっていて
悲しみに暮れる母親の存在がラストで重要になってきます。

元ロックバンドのヴォーカルという設定が
シャイアンにメイクをさせているのは当然ですが
シャイアンのメイクは
子どものまま大人になりきれないことを隠すための仮面でもあります。
「タバコを吸わないのは子どもだから」などのセリフにもあるように
大人になるための通過儀礼を経験せずに
または自らそれを避けてきたシャイアンは
腕に「212603」というユダヤ人収容所に入れられていたことを示す
入れ墨がある父親の死を契機に
父親の遺志を継いでナチ&自分探しの旅に出るのです。

っていうと、まるでシャイアンはずっと甘ったれていたようですが
本人役として登場するデビッド・バーン
彼のサウンドインスタレーションの前での会話では
「君はアーティストだ! 僕はポップ・スターなんだ!」という
シャイアンの心の叫びが彼の苦悩を表しています。

陰気で弱々しいシャイアンは、独特のユーモアを携えていて
ナチ&自分探しの旅はコミカルで
彼が少しずつ解放されていくのがわかります。
シャイアンが追い求めるナチの残党、
アロイス・ランゲの孫娘レイチェル(ケリー・コンドン)との出会いは
シャイアンに父性を目覚めさせるものでしたが
レイチェルの子どもがシャイアンに歌って欲しいとリクエストするのが
原題にもあるトーキング・ヘッズの『This Must Be the Place』だったのは
どうなの? いくらなんでも、ヘッズに興味持たないだろ、年齢的に。

ハンツヴィルという街に入ってからは劇判がシリアスになり
物語が核心に迫っていることがわかりますが
レストランで出逢った
ロバート・プラスと名乗る老人(ハリー・ディーン・スタントン)との
やりとりが魅力的です。
僕はこの老人がナチの残党、アロイス・ランゲだ!と思ったのですが
またしても勝手な早とちりでした。はは。
ちなみに、ロバート・プラスという人は
キャリーバッグを発案した元パイロットで、実在の人物だそうです。

銃まで用意したシャイアンは
ついにアロイス・ランゲと対面するのですが
シャイアンはランゲを殺さずに、裸にして放り出します。
ここでシャイアンがランゲを殺さなかったのは
憎しみは新たな憎しみを生むだけでしかなく
それはレイチェルやその息子を同じ負のサイクルへと
巻き込むだけだと考えたからではないでしょうか。
憎しみに駆られて報復することよりも
ランゲに自分の過去と向き合わせることを選択したわけで
それはシャイアン自身に対しても向けられています。
ランゲの年老いた裸体のみすぼらしさが、シャイアンの風貌とかぶります。
目的を果たして「大人」になったシャイアンは
帰路に就く空港で、いままで吸わなかったタバコを吸うのです。

最も判然としないのが、行方不明のメアリの兄・トニーです。
ラストシーンで、メアリの母親があいかわらず窓辺でたそがれていると
おそらくは、古い町並みのと対比で
未来を象徴させるダブリンアリーナ(アビバスタジアム) をバックに
メイクを落として髪を短く切ったシャイアンが登場します。
それを見た母親が笑顔になるので
実はシャイアンはトニーだった!
というふうにも見えなくはないのですが
ふたりの年齢からいって親子とは考えづらいので
シャイアンの変身ぶりを見た母親は
その姿になにか新しい兆しを感じたのでしょう。
つまりはこの母親も囚われていた過去から解放されたのだと
考えられないでしょうか。

この作品の「大人になること」または「大人というものの姿」に
完全に同意できるわけではありませんが
(歳くったって、世間になびく必要ないじゃん!)
過去と向き合って精算し、また新しい一歩を踏み出して
自分のホーム(自分自身の拠点)に帰ること……
そんなポジティブな作品でした。

「なにかが変だ。「これ」とは言えないけど。 」とつぶやく
シャイアンの違和感の原因は、果たして世の中にあるのか、
それとも自分自身の中にあるのでしょうかねぇ。





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